2 日 目 若松・直方・飯塚・中間・八幡
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![]() ちょっと和食のイメージではない店だ。 |
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![]() この渡船は40年ぶりの乗船。今にして思えば、40年前に渡船に乗らず、歩いて若戸大橋を渡ればよかった。その後、車道を拡張するために歩道がなくなり、歩いて渡れなくなったので。 |
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![]() 若松は筑豊の石炭を輸出するための貿易港として発展した。古河鉱業も石炭輸出をになった。 |
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![]() 本店は折尾駅にあり、40年前には折尾駅でかしわうどんを食べ、かしわめしの駅弁を買っている。この後、折尾駅で乗換えがあるが、わずかな時間なので若松駅で食べていく。 |
![]() 昼食用にかしわめしの駅弁も買った。 |
![]() 若松・折尾間は非電化区間だ、でも走っているのは気動車じゃなく、電車。でも、ちょっと特殊な蓄電池電車819系。 架線のある区間、若松・折尾を往復する場合は折尾駅で、架線から充電し。その電力で走る電車だ。 |
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![]() 今回の旅でも立体交差を見るのが楽しみにしていた。ところが、新しい駅になり立体交差ではなくなっていた。後日調べると、何と2021年3月に新駅になったという。1年違いで古い駅を見逃したのが残念。 |
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![]() 筑豊地区の鉄道に乗車するのは40年ぶりだ。40年前、とてもたくさんのローカル線があった。炭鉱関連の路線だったが、すでに炭鉱は閉山され、赤字路線になっていた。それらをしらみつぶしに乗車した。 当時は筑豊本線は非電化で、赤い客車による客車列車が多かった。全国でも珍しい複線非電化の路線だった。(若松・折尾間は、いまも複線・非電化) |
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![]() 40年前、開館間もないころに来たのだが、中身はまったく記憶にない。あらためて、炭鉱の歴史をみていった。 2つの展示館が並ぶが、右の古い方は、筑豊の炭鉱経営者の組合の会議所だった建物。 |
![]() 下 筑豊本線開通80周年の記念切符。 |
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![]() 石炭に特化したミュージアムとしては、田川市石炭歴史博物館があり、機会があれば行ってみたい。 |
![]() ボタ山も見えるが、閉山から50年たつと、緑で覆われ、普通の山になっている。 |
![]() 駅舎は、改築されてはいるが、外観は昔のままのようだ。切符売場などは使われておらず、無人駅。 下 駅から歩いて25分ほどのところに、八幡製鉄所で使う水のためのポンプ場があり、世界遺産になっている。 雨の中、傘をさして歩いて見に行った。遠賀川の橋の上から見えたが、この写真では判読できない。 |
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![]() 東筑軒の駅そば、駅弁の店は健在だった。 |
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![]() スペースワールドは宇宙を中心にしたテーマパークで30年ほど前に訪問した。駅もそのときに利用している。 スペースワールドはすでに閉園して久しいが、駅名は昔のままだ。変更にかかる費用を考えてであろうか。 |
![]() 高炉は使われなくなったが、現役の工場なので遠くから眺めるだけだ。この事務所の奥に、ここから見えないが、世界遺産になった修繕工場と鍛冶工場がある。 |
![]() 八幡製鉄所の世界遺産も遠くから見るだけで、イマイチだった。 |
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![]() これは直下から見ると迫力があった。1901と書いてあるが、何度も改築したので、残されているのは1962年につくられたもので、1972年まで稼働した。そのため世界遺産ではない。 |
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![]() 下左 天守はすでに閉鎖されていたので、外から眺めるのみ。 下右 北九州市役所。無機質で特徴はとくにない建物だ。 |
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![]() この中のスーパーで少しおかずや飲物を買って宿に戻った。 |
![]() 下左 朝、買って、昼に食べる時間がなかったかしわめし。昔ながらの紙の包装紙というのがいい。今や駅弁でも、珍しい。 下右 40年ぶりだが、昔と変わらず美味しいかしわめし。 これで2日目終了。 |
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