1 日 目 能 登 半 島
(0日目) 今回の旅は出発の3,4日前に急きょ決まったものだ。というのは、マンションの自室のリフォーム工事中で、最後に畳や襖の修復になった。思いがけず、畳や襖を持ち帰っての修復って聞いて、びっくりした。 畳がないので、すでに工事の終わったリビングのソファで4夜をすごそうと思った。でも、襖がないので、リビングのエアコンの効きがよくなく、夜中が暑いかもしれない。それで、急きょ旅に出ることにしたのだ。 なるべく旅先での時間を多くとろうと、行きは夜行バスで行けるところで行先を検討。結局、行先は金沢にし、1夜行と現地2泊、京都で1泊にした。 |
![]() 値段は"青春"の方が、安いのだが"青春"は4列で"百万石"は3列なので、"百万石"を選んだ。3列夜行バスは日本では初めてで体験したかった。 |
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![]() 上右 バスの前面の表示。 左 バスの側面。今回は短い旅で、荷物はリュック1つなので、荷物は預けない。 |
![]() 窓側はカーテンが閉められかなり埋まっているが、真中席はほとんど空席だ。(後日調べたら、JRバスの3列シートでも、京阪神・東京間のバスは、2列と1列で、よく調べる必要があると思った。) |
![]() 3列席の夜行バスは初体験。4列席とはずいぶん違う。列車でいえば、4列席は普通車、3列席はグリーン車だ。クレイドルシートというらしい。 座席間隔が長いので、後の席を気にすることなくリクライニングできた。リグライニング幅もグリーン車程度はあるうえ、枕の部分が柔らかいので、皿にリクライニングしている感じがする。また、バスの乗車口に使い捨てスリッパが置いてあったので利用した。 座席にはコンセントがついいる。少し前にトイレがあったが、利用していない。 残念だったのは、カーテンが閉じられていて、開けないようにと放送もあったので、外はわずかな隙間から除く程度であった点。それに、荷物棚がなく足元にリュックを置いたのだが、足元が狭くなった点。 |
(1日目) |
![]() 5時47分、定刻に金沢駅に到着。着いたのは西口だった。 |
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![]() 金沢は30年ぶりの訪問で、駅前は全く別の街になっている、近江町市場もとてもきれいに改装されている。 |
![]() 写真の右下の白いのは、名前と注文の品を書いた紙を張り付けるボード。自分もこれに名前と注文するものを書いて貼った。 やがて名前を呼ばれ、入店。 |
![]() いろいろな魚が十数種入っている。魚の生の説明も受けたが、すぐにわからなくなってしまった。 下左 別注のタイのアラ煮。 下右 みそ汁は追加料金でアラ汁にかえてもらった。 |
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![]() 左 近江町市場を歩いて回った。昔きたときよりきれいになっているが、雰囲気はそこそこ残されている。 |
![]() JRバスの能登への観光バスは土日祝のみ運行。北陸鉄道も能登への観光バスを出していて、毎日運行。この日はたまたま日曜だったので、訪問地が北陸鉄道のコースよりも興味深かったので、JRバスのコースを利用した。前日にネット予約。 |
![]() わかりにくかったのは乗場。近江町市場から駅に戻り、東口の観光バス乗場でずっと待っていた。でも、出発5分前になって、その乗場は北陸鉄道のバス用の乗場で、JRバスの観光バスはJRバスの路線バス乗場から出発と分かり、少し離れた乗場に行った。 |
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![]() 写真は砂浜に下りる直前に車道から撮影。 左 砂浜を通行中の写真。普段より車が多いのは「SSTR2022」の最終日だかららしい。 |
![]() 下左 砂の像がいくつか造られていた。右下に「自衛隊」とあるので、雪祭りのように自衛隊が協力してつくっているのかな。 下右 「SSTR2022」のポスター。ライダーのイベントで全国からライダーが集まるようだ。 |
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![]() 旧福浦灯台で、木造で四角錐型をしている。1876年につくられ、現在の福浦灯台ができる1952年まで使われた。 この写真ではわからないが、巌門を含む能登金剛の断崖の上にある。 |
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![]() 写真真中から少し左下に遊覧船乗場が見える。 |
![]() 松本清張の代表作のひとつである「ゼロの焦点」では巌門が登場する。巌門はずっと以前から行ってみたかったのだが、理由は「ゼロの焦点」にでてくるからだった。輪島へ40年前、金沢は40年前、30年前にきているが巌門には行けなかったので、ようやく願いがかなった。 |
![]() 道元が開祖である曹洞宗は、大本山が3つあり、福井の永平寺とここと横浜の総持寺だ。このうち総持寺は、もともとは能登の総持寺が本山だったが、明治31年に火災でほぼ全焼し、横浜に移転した。その後、能登でも総持寺が再建され「祖院」と呼ばれ、大本山が3つある。 |
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![]() 上右 経蔵。六角形の部分は回転し、模様に見える黒丸の1つ1つが経典の入っているj引き出しだ。 左 仏殿。大正元年に再建。主な法要はここで行われる。 |
![]() 下 ここで解散だったが、希望者のみ900円で、昼食に精進うどん定食が用意される。客の全員がいただいた。 うどんがぶつ切れになり、冷めていたのでイマイチだった。 |
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![]() 総持寺のことや門前地区に関する展示。 |
![]() 能登に行ってから1週間ほどして、能登を中心に地震が頻発した。以前の能登半島地震のことがあるので、地震の報道を注視した。 |
![]() 門前とは総持寺の門前町ということ。現在は輪島市に合併された。 |
![]() 下左 棚田を拡大。 下右 コーンにこの棚田でとれた米を使ったというソフトクリームを食べた。 |
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![]() ここは道の駅だが、塩の資料館と小規模な塩田が併置されている。塩田は、塩の生産方法を展示、実演するとともに、できた塩を販売している。 |
![]() 土が山になっているが、塩分を取り出した後の土だ。四角い箱の中に入れられていて、その箱を取り除いたあとなので、土が四角い山になっている。 この山をくずして、塩田に土が均等に敷き詰められた。 |
![]() 昔は海水を桶にいれて丘の中腹の塩田に運ぶが、現在はポンプでくみ上げている。 海水を「おちょけ」というラッパ型をした専用の容器に入れて、それを塩田にばらまく。バケツではうまくばらまけないのだろう。 |
![]() 下左 塩田に戻ると、乾燥した土を入れる箱が組み立てられていた。 下右 ここでつくられた塩を使った「塩れもん」という飲料を飲んだ。 |
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![]() ここは、かつて輪島駅だった場所だ。 左 玄関の右側に「輪島駅」の表示。もともとこの位置にあったのか、別の位置から移転したのかは不明だが、もとの駅舎で使われていたもののようだ。 |
![]() 駅名標につぎの駅が「シベリア」と書かれている。これは40年前、国鉄時代に乗車したときにすでにそうなっていたらしいのだが、自分の記憶では不明。 |
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![]() 金沢カレーを試してみることにして、「ゴーゴーカレー 金沢駅総本山」に入店。駅の中の店が本店なのか、ちょっとわからない店名だ。 下左 店内。 下右 生ビール。 |
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![]() かなり色が濃いカレーで、味も濃厚で、煮込んであるという感じ。やや辛口。 ステンレス皿を使い、キャベツ千切りも添えられている。 |
![]() しっかりいただいてから宿へ。 |
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