1 日 目   能 登 半 島 

 

 

(0日目)

 今回の旅は出発の3,4日前に急きょ決まったものだ。というのは、マンションの自室のリフォーム工事中で、最後に畳や襖の修復になった。思いがけず、畳や襖を持ち帰っての修復って聞いて、びっくりした。

 畳がないので、すでに工事の終わったリビングのソファで4夜をすごそうと思った。でも、襖がないので、リビングのエアコンの効きがよくなく、夜中が暑いかもしれない。それで、急きょ旅に出ることにしたのだ。

 なるべく旅先での時間を多くとろうと、行きは夜行バスで行けるところで行先を検討。結局、行先は金沢にし、1夜行と現地2泊、京都で1泊にした。
 乗車したのはJRバスで京都駅発23時40分「百万石ドリーム大阪1号」金沢駅・富山駅行き。20分前に先行して「青春ドリーム号」金沢行きがある。

 値段は"青春"の方が、安いのだが"青春"は4列で"百万石"は3列なので、"百万石"を選んだ。3列夜行バスは日本では初めてで体験したかった。
 
 上左   乗場での案内表示。

 上右   バスの前面の表示。

 左   バスの側面。今回は短い旅で、荷物はリュック1つなので、荷物は預けない。
 
 乗車。3列シートても中間席が独立してバスの真中にあるバスだと知った。というのは、ネット予約の際、座席の予約画面は、2列と1列に別れていたので、てっきり、真中の通路を隔てて、2人席と1人席が両側にあるんだと思ったのだ。

 窓側はカーテンが閉められかなり埋まっているが、真中席はほとんど空席だ。(後日調べたら、JRバスの3列シートでも、京阪神・東京間のバスは、2列と1列で、よく調べる必要があると思った。)
 
 着席した座席。窓側の席を予約時に確保した。

 3列席の夜行バスは初体験。4列席とはずいぶん違う。列車でいえば、4列席は普通車、3列席はグリーン車だ。クレイドルシートというらしい。

 座席間隔が長いので、後の席を気にすることなくリクライニングできた。リグライニング幅もグリーン車程度はあるうえ、枕の部分が柔らかいので、皿にリクライニングしている感じがする。また、バスの乗車口に使い捨てスリッパが置いてあったので利用した。

 座席にはコンセントがついいる。少し前にトイレがあったが、利用していない。

 残念だったのは、カーテンが閉じられていて、開けないようにと放送もあったので、外はわずかな隙間から除く程度であった点。それに、荷物棚がなく足元にリュックを置いたのだが、足元が狭くなった点。

 
(1日目)
 
 途中、多賀サービスエリアで休憩があったが、下りるのが面倒で下りなかった。

  5時47分、定刻に金沢駅に到着。着いたのは西口だった。
 
 金沢駅の特徴的な入口を写真で見ていたので、最初はアレっ?って思ったのだが、すぐにここは西口だって理解。
 
 長いコンコースを歩き東口に向かう。途中、トイレを利用したりした。
 写真で見ていたガラスドームに出た。さらに前方には太鼓をかたどった門が見える。
 鼓門を抜け、駅の東側に抜けた。
 
 駅前の通りを1kmほど歩き近江町市場へ。

 金沢は30年ぶりの訪問で、駅前は全く別の街になっている、近江町市場もとてもきれいに改装されている。
 
 
 朝7時から営業している寿司店「いきいき亭」へ、

 写真の右下の白いのは、名前と注文の品を書いた紙を張り付けるボード。自分もこれに名前と注文するものを書いて貼った。

 やがて名前を呼ばれ、入店。
 
 いきいき亭丼ワールド3300円。

 いろいろな魚が十数種入っている。魚の生の説明も受けたが、すぐにわからなくなってしまった。

 下左   別注のタイのアラ煮。

 下右   みそ汁は追加料金でアラ汁にかえてもらった。
 
 
 
 上   朝食全景。いきいき亭丼は、上の刺身の皿とご飯の部分が分かれていた、これはなかなかかいい方法だと思った。

 左   近江町市場を歩いて回った。昔きたときよりきれいになっているが、雰囲気はそこそこ残されている。
 
 この日は1日現地ツアーを利用する。

 JRバスの能登への観光バスは土日祝のみ運行。北陸鉄道も能登への観光バスを出していて、毎日運行。この日はたまたま日曜だったので、訪問地が北陸鉄道のコースよりも興味深かったので、JRバスのコースを利用した。前日にネット予約。
 
 客は、自分以外には3人だけ。

 わかりにくかったのは乗場。近江町市場から駅に戻り、東口の観光バス乗場でずっと待っていた。でも、出発5分前になって、その乗場は北陸鉄道のバス用の乗場で、JRバスの観光バスはJRバスの路線バス乗場から出発と分かり、少し離れた乗場に行った。
 
 上   最初の訪問地は、「千里浜なぎさドライブウェイ」。砂浜が一般道路になっていて、車が通行できる。

 写真は砂浜に下りる直前に車道から撮影。

 左   砂浜を通行中の写真。普段より車が多いのは「SSTR2022」の最終日だかららしい。
 
 レストハウスでトイレ休憩。

 下左   砂の像がいくつか造られていた。右下に「自衛隊」とあるので、雪祭りのように自衛隊が協力してつくっているのかな。

 下右   「SSTR2022」のポスター。ライダーのイベントで全国からライダーが集まるようだ。
 
 
 つぎに向かうのは巌門だが、その途中に珍しい灯台が見える。

 旧福浦灯台で、木造で四角錐型をしている。1876年につくられ、現在の福浦灯台ができる1952年まで使われた。

 この写真ではわからないが、巌門を含む能登金剛の断崖の上にある。
 
 巌門。駐車場に着く直前に全景が良く見えた。右上に駐車場があり、階段を下りる。洞窟を抜けて、向こう側の海岸に出て。上ってくる。
 
 洞窟まで下りてきた。向こう側が見えるが、人道のトンネルは写真の右側にある。
 
 反対側に抜けたところに遊覧船乗場や売店があった。そこから上ったところの橋の上から撮影。

 写真真中から少し左下に遊覧船乗場が見える。
 
 駐車場近くに松本清張の歌碑がある。

 松本清張の代表作のひとつである「ゼロの焦点」では巌門が登場する。巌門はずっと以前から行ってみたかったのだが、理由は「ゼロの焦点」にでてくるからだった。輪島へ40年前、金沢は40年前、30年前にきているが巌門には行けなかったので、ようやく願いがかなった。
 
 総持寺へ。

 道元が開祖である曹洞宗は、大本山が3つあり、福井の永平寺とここと横浜の総持寺だ。このうち総持寺は、もともとは能登の総持寺が本山だったが、明治31年に火災でほぼ全焼し、横浜に移転した。その後、能登でも総持寺が再建され「祖院」と呼ばれ、大本山が3つある。
 
 
 
 上左   2021年は総持寺の開創700年のイベントがいろいろあったようだ。

 上右   経蔵。六角形の部分は回転し、模様に見える黒丸の1つ1つが経典の入っているj引き出しだ。

 左   仏殿。大正元年に再建。主な法要はここで行われる。
 客殿にある山岡鉄舟の書。襖1枚に2字書かれていて、豪快だ。

 下   ここで解散だったが、希望者のみ900円で、昼食に精進うどん定食が用意される。客の全員がいただいた。

 うどんがぶつ切れになり、冷めていたのでイマイチだった。
 
 
 バスに戻る途中、「禅の里交流館」へ。有料だが、総持寺の入場券と共通なので、見せるだけ。

 総持寺のことや門前地区に関する展示。
 
 この地区は2007年の能登半島地震で最も大きい被害を受けた地区だった。そのことは知らなかった、地図を見ると震源に近い。

 能登に行ってから1週間ほどして、能登を中心に地震が頻発した。以前の能登半島地震のことがあるので、地震の報道を注視した。

 
 
 禅の里交流館の中から旧酒井家に行け、見学してからバスに向かった。

 門前とは総持寺の門前町ということ。現在は輪島市に合併された。
 
 輪島市街を突き抜けて「白米(しろよね)の千枚田」という棚田へ。下に下りて棚田をそばで見ることができるようになっていたが、20分間で下りて上るのは大変なので、上から眺めただけ。

 下左   棚田を拡大。

 下右   コーンにこの棚田でとれた米を使ったというソフトクリームを食べた。
 
 
 能登半島の先端に近い、珠洲市の道の駅「すず塩田村」へ。

 ここは道の駅だが、塩の資料館と小規模な塩田が併置されている。塩田は、塩の生産方法を展示、実演するとともに、できた塩を販売している。
 
 塩田へ出る。ここの塩田は揚げ浜式塩田で、日本ではここにだけ残っているという。

 土が山になっているが、塩分を取り出した後の土だ。四角い箱の中に入れられていて、その箱を取り除いたあとなので、土が四角い山になっている。

 この山をくずして、塩田に土が均等に敷き詰められた。
 
 土が敷き詰められた塩田に海水をばらまく。

 昔は海水を桶にいれて丘の中腹の塩田に運ぶが、現在はポンプでくみ上げている。

 海水を「おちょけ」というラッパ型をした専用の容器に入れて、それを塩田にばらまく。バケツではうまくばらまけないのだろう。
 
 海水をまいたあとの塩田を乾燥させ、それを四角く囲った箱の中に入れる。そこに海水を注ぎ、」濃度の高い海水をつくる。その海水を煮詰めて塩をつくる。

 下左   塩田に戻ると、乾燥した土を入れる箱が組み立てられていた。

 下右   ここでつくられた塩を使った「塩れもん」という飲料を飲んだ。
 
 
 
 上   道の駅「輪島」へ。

 ここは、かつて輪島駅だった場所だ。

 左   玄関の右側に「輪島駅」の表示。もともとこの位置にあったのか、別の位置から移転したのかは不明だが、もとの駅舎で使われていたもののようだ。
 
 旧輪島駅ホームとレール。これもこの位置にあったのか移設したものなのかは不明。

 駅名標につぎの駅が「シベリア」と書かれている。これは40年前、国鉄時代に乗車したときにすでにそうなっていたらしいのだが、自分の記憶では不明。
 
 輪島から金沢まではトイレ休憩1回だけで、ただ帰るだけだった。
 
 宿に行く前に金沢駅の中で夕食をとっていく。

 金沢カレーを試してみることにして、「ゴーゴーカレー 金沢駅総本山」に入店。駅の中の店が本店なのか、ちょっとわからない店名だ。

 下左   店内。

 下右   生ビール。
 
 
 
 ロースカツカレーを注文。

 かなり色が濃いカレーで、味も濃厚で、煮込んであるという感じ。やや辛口。

 ステンレス皿を使い、キャベツ千切りも添えられている。
 
 スプーンではなくフォークが添えられているのも斬新。

 しっかりいただいてから宿へ。
 
 「ダイワロイネットホテル金沢」で2泊する。
 
 泊まった部屋。
 
 窓側から入口側を見る。

 

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