2 日 目   金 沢 散 歩 

 

 

 朝食は宿1階に入居している居酒屋「庄や」で。

 全国展開している居酒屋はなるべく避けているので、よく見かけるけど、入店ははじめて。

 朝は外から入る入口は閉まっていて、フロントの前からだけ入れるので、ほとんど宿泊者向けの感じだ。
 店内。居酒屋を利用しているので、宿の一室を使ったレストランよりしっかりしたつくりのところでの朝食。
 ビュッフェ式でごく普通の内容。生野菜はボウルいっぱいいただいた。
 
 この日は金沢市内の有名どころを見て回る。

 だいたい金沢の中心部に集まっていて、歩けそうだった。それで、3回のバス料金と同額だった1日券は買わなかった。4回以上は乗らないだろうと。結局、3回乗車で、1日券と同額だった。

 まず「忍者寺」に向かうバスに乗車。
 
 「忍者寺」は予約制で、しかも電話で予約。拝観開始は9時で、電話は8時から。それで、宿の部屋から8時に電話したが準備中みたいな応答。

 金沢駅のバス停、そして寺最寄の「広小路」で下車してから電話したが相変わらず、準備中。もうダメもとで寺に行って、拝観を申し出よう。
 
 バス停から5分ほどで「忍者寺」、正式には妙立寺に到着。8時40分。

 写真の突き当りに本堂があり、その左手に向かうと、インタホンがあり、御用の方は話してくださいということなので、予約してないけど拝観したい旨を申し出た。無事に拝観できることになり、ホッとした。しかも9時の一番で。
 
 9時少し前に名前を呼ばれて、お金を払い本堂に入場。この先は撮影禁止。

 床にある賽銭箱をとると落とし穴になり、床板の下や障子の反対側に隠れ階段がある。真偽は定かじゃないが、井戸は金沢城に通じているとも。

 この寺は前田家の祈願所として造られ。当初から幕府と戦になった場合に、金沢城の出城としての役目を果たすよう、様々な仕掛けが設置されたようだ。ただ、忍者とは無関係だ。

 
 
 外から見ると2階建てだが、実際は4階建て。当時は3階建て以上が禁止されていたので偽装したようだ。

  4階部分だが外からは2階に見える。窓は昔はステンドグラスで、色の違う明かりを信号にしたという。屋根の魚も店主のような感じ。
 
 にし茶屋街。

 「忍者寺」から10分ほど歩く。茶屋が数軒ならんでいる。茶屋の半分ほどはカフェや土産物屋に変わっている。
 
 上左   お茶屋組合の事務所。これだけは洋風建築。

 上右   島田清次郎という名前をはじめて聞いた大正時代の作家の実家のお茶屋で、1階が作家の記念館、2階が茶屋の資料館になっている。

 左   2階の一室、なんだか芸妓があらわれそうな雰囲気の部屋。
 
 上左   にし茶屋街の入口にある落雁専門店「諸江屋」へ。

 上右   すぐに店内のカフェへ。

 左  「冷製 白小豆ぜんざい」を注文。まず冷たいお茶がガラスポットに入れて運ばれてきた。とても涼しい感じ。一緒に和紙で包まれた、小さなかわいらしい和三盆の落雁もやってきたので、味わう。
 
 この日は5月30日だったが、28日から夏用メニューになり、このメニューも登場したようで、ラッキーだ。

 赤飯の小豆などは固めのことが多いが、この白小豆は柔らかい。でも形が崩れることはなく、見た目も美しい。白玉が3個入っている。白いぜんざいをいただいたのは初めて。
 
 最後に、大き目の和三盆と餅米でつくった生落雁が運ばれてきた。器もなかなかいい感じ。
 
 
 上左   水色の犀川大橋。大正元年にできたレトロなものだ。

 上右   橋の上から犀川を眺める。

 左   さらに歩くと金沢の中心地、香林坊へ。香林坊とは橋の名だと知った。
 
 
 上左   香林坊付近。左は東急スクエアというショッピングビル。

 上右   東急スクエアの裏手。暗渠になっていた川が姿を表す。香林坊橋という橋があったわけもわかった。

 左   少し歩くと「おと川」という店があり、ここで昼食をとろうと決めた。

 さらに歩き、長町武家屋敷エリアに入った。水に流れた「大野荘用水」。
 
 武家屋敷の中で、野村家の屋敷だけが入れるようだったので、入場。お抹茶もいただく。

 野村家は代々、加賀藩の奉行職を歴任してきた家柄。

 下左   上段の間。最も格式の高い座敷だ。

 下右   庭園。水は大野庄用水から取り入れている。
 
 2階の茶室でお抹茶をいただいた。庭園を上からのぞくことができる。

 下左   お抹茶とお菓子。

 下右   和紙のつつみからお菓子を出す。「ちのか」というお菓子で、水飴やきなこを練り合わせてつくっている。
 
 
 
 上左   「おと川」へ行くが昼はやってないようで、夕食時にいくことにした。かわりに近くの金沢ラーメンの「豚臓」へ。

 上右   店内。

 左   豚骨醤油らーめん。豚骨とは思えないあっさり味だ。でも、金沢ラーメンってどんな特徴なのかな。
 
 金沢城方面に向かう。途中、尾山神社を通っていく。尾山神社といえば、変わった形をしている神門が一番のみどころ。

 日本離れしているようなスタイルの門だが、海外には似ているものがある。インドネシア、スマトラ島の、ブキティンギにある門だ。
 
 本殿。祀っているのは、初代藩主、前田利家など。藩主を祭神にする例はよくあるが、ここもその1つ。

 下左   本殿から見た神門。上部がステンドグラスになっていることがわかる。

 下右   前田利家の乗馬像。
 
 
 尾山神社から金沢城に向かう。2020年に復元されたばかりの鼠多門橋と鼠多門を通って、金沢城公園に入った。

 江戸時代には武家屋敷から尾山神社を通り、金沢城に向かうルートだったのだろう。今回も遠回りせずに城に入ることができて助かった。
 
 玉泉院丸庭園。2015年に復元された。

 3代藩主、前田利常のときに造られ、その後も拡充していったが、廃藩後は荒廃していたのが、復元されたのだ。

 兼六園より規模はずっと小さいが、コンパクトにまとまった美しい庭園だ。
 
 写真では見づらいが、城の主要なエリアに向かうための坂道が右真中に写っている。

 石垣の上の部分へ上った。
 
 石垣の石には刻印してあるものがある。刻印は200種類以上あるという。

 目的は不明だが、石切場で採掘の目印にしたり、石工の仕事の割り振りに使われたのではないかということだ。
 旧陸軍第6旅団司令部。

 翌日行く工芸館が旧第
9師団司令部で、その下に第6旅団と敦賀の第18旅団が置かれていた。

 戦後は金沢大学の建物として使われていたが、現在は名にも使われていないし、公開もされていない。
 
 三十間長屋。幕末に再建された建物だが、城内に残っている数少ない廃藩以前にあった建物。食料や武器の保管庫であったらしい。
 
 本丸に入る所。城壁がとぎれていて、門があったのだろう。

 金沢城に前田利家が入城したのは1583年。本丸には1686年に天守が造られた。ところが1602年に早くも焼失。跡地には天守ではなく、御殿がつくられたが、それも1831年に焼失。以後は金沢城の主要部分は二の丸に移った。
 
 本丸内を散策。何もないし、散策している人もいなかった。天守の位置が表示されておらず、ただの森の中を歩いただけって感じだ。
 
 
 上   本丸から坂を下りて行く途中、2005年に復元された五十間長屋(多門櫓)とその両端にある菱櫓、橋爪門続櫓が目の高さに見えた。

 左   幕末に建てられた土蔵。ここも数少ない廃藩以前から残る建物。武器庫として使われたが、のちに陸軍の被服倉庫となり鶴丸倉庫と呼ばれるようになった。
 
 
 上   五十間長屋の南半分。屋根が高く見えるところが橋爪門続櫓。右下に写っているのが橋爪門。これらは廃藩後も残ったが、1881年に焼失。2005年に復元。

 下   五十軒長屋の北半分と屋根の高い部分の菱櫓。

 左端は工事中。30年前の訪問時はこの付近一帯が金沢大学で、校舎が林立していた。景観が一変していてびっくりした。
 
 1階を通って、菱櫓に向かい、2階に上ったところ。ここから急な階段で3階にも上る。

 菱櫓は本当に菱形をしていてびっくりした。復元のさい、現代の技術をもってしても、木造で斜めに交差する建物の建築は大変だったと想像。
 
 五十軒長屋の2階を菱櫓から橋爪門続櫓に向かった。かなりの長さにびっくりした。五十間とは90mらしいが、もっと長い印象だ。

 いまは長い廊下があるだけだが、もとは武器庫だったという。左下に案内板がたっているが、石を下にめがけて落とす仕掛けが窓下に続いているので、その説明。
 
 
 上   五十間長屋と2つの櫓を東側の広場から撮影。とても長いことがわかる。

 ここは明治以降に復元された城郭建築では日本最大だという。

 左   菱櫓。菱形であることは、外観からもわかったのだが、写真だとはっきりしない。
 
 石川門は18世紀のものが現存している。石川門から金沢城公園を出た。

 30年前の訪問時は城跡全体が金沢大学のキャンパスであったが、復元された建物が多く、2時間近く時間をかけての見学となった。 
 
 続いて、兼六園へ。40年前、30年前にも行っており、この日、回りたいとろは他にもあるので、ここは池を一周するだけにする。
 
 霞ヶ池。この池のの周囲や池に浮かぶ島に名勝がある。

 下左   唐崎松。冬に来ると、雪の重みを分散させるための雪吊りがあって面白いのだが。

 下右   眺望台。高台になっていて、市街地が良く見える。
 
 
 20分ほど歩いて、主計町(かずえまち)茶屋街へ。小さな茶屋街だ。

 30年前には、ここの茶屋の2階で昼食を出しているところがあり、昼食をとっている。その茶屋を探したのだが、どこかわからなくなっていた。
 
 富田主計(かずえ)という武将の邸宅があってことから主計町という地名だった。しかし昭和45年に尾張町3丁目になり、平成11年に主計町の名が復活したとのこと。伝統ある復活運動があったのだろうな。
 
 5分ほど離れた、ひがし茶屋街へ。

 道の両側に100m以上茶屋が続いている。金沢で一番大きな茶屋街だ。伝統家屋の保存地区になっている。

 下左   加賀麩の専門店「不室屋」。

 下右   麩の中に乾燥野菜などを詰めたすまし汁、みそ汁の「宝の麩」を買って帰った。
 
 
 
 
 
 
 上左   金箔・プラチナ箔専門店「箔座ひかり蔵」。

 上右   店の奥に土蔵を改装し、写真は内壁で、24K純金箔で仕上げたものを展示している。外壁は純金プラチナ箔。

 左   カフェ「カズナカシマ」で一休み。
 
 どこかのカフェで一休みしようと歩いていたら、フルーツが丸ごと入ったフルーツ大福を各種置いているこの店があり、ここに決めた。
 
 みかん大福を注文。みかんまるごと1個入っている。

 下左   ドリンクセットにしたが、選んだのは冷たい棒茶。棒茶が、ほうじ茶の一種で、茎の部分(=棒)だけを焙(ほう)じることから、棒茶という。

 下右   店内には土蔵があり、その中もテーブルがあったので、そちらでいただいた。
 
 
 ひがし茶屋街の北側の卯辰山麓のエリアには寺がたくさんある。

 迷路のように道が曲がる。前田利常の時代に、一向宗以外の寺がこの地に集められた。

 このエリアも保存地区になっている。
 
 散策を終え、夕食のためにバスで香林坊へ。もともとは宿に近い金沢駅付近でとろうと思っていたのだが、昼食時に入りたかったけど、昼はやっていなかった「おと川」に向かうため、東急スクエアの裏手へ。

 下   「おと川」に到着。営業していてよかった。入店する。
 
 
 この店で食べたかったのは「大根寿し」。昼間通りかかったときに、これを見て、食べたくなったのだ。加賀料理(6品付)に大根寿しが含まれるか尋ねると、入っているとのことで。6品付を注文した。入ってない場合は、別注文するつもりだった。
 
 カウンターと小あがり1つの小さな店で、香林坊で生まれて育った主人が1人できりもりしている。

 下左   飲物は、冷酒「福正宗 氷温 生貯蔵酒」。

 下右   醸造元は、金沢市の「福光屋」。
 
 
 ホタルイカ。

 ホタルイカは春がシーズンで、、まもなく旬がおわるとのこと。みそがしっかりはいったホテルイカだった。

 またホテルイカといえば富山湾が有名だが、これは石川県産で能登のものだという。
 
 大根寿し。

 店頭の案内を見たときは、てっきり、ご飯もので、大根がにった握りかなとか思ったのだ。写真もよく見てなかったし。

 実は、大根を米とこうじに漬けて発酵させたものなのだ。だから、これを出されてびっくりした。発酵食品では滋賀のフナ寿しがあるし、それと同系統なんだって納得した。想像していた食べ物ではなかったが、体験できてよかった。
 
 刺身3種盛り。
 
 加賀太きゅうりの青煮。

 きゅうりというより、うりの食感だし、見た感じもそうだ。写真を見せてもらったが、ズッキーニをもっと大きく太くしたような感じだった。
 
 じぶ煮。

 鴨肉、色のきれいな麩、各種の野菜を煮込んだ加賀の代表的な郷土料理。
 
 白エビの天ぷら。

 エビは加熱すると赤くなるのが普通だが、赤くならないエビがあり、白エビという。その天ぷらだが、わずかに赤くなっている。

 いろいろ食べられたうえ、店主と地元客と一緒に話するこちができ、楽しくすごせた。バスで駅へ戻り、宿へ。

 

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