2日目    水  戸 

水戸へ
 7時すぎに朝食会場へ行き、朝食。
 朝食会場。
 雨が降っていた。何とか傘なしでもがまんできる程度で、傘をさす人も多い。

 成田から佐原へ。乗り換えて鹿島神宮へ。
 鹿島神宮で鹿島臨海鉄道に乗換え。非電化で1両。

 すぐに、鹿島サッカースタジアム駅を通過。ここまでがJR線で、ここからが鹿島臨海鉄道。
 
 水戸到着。
偕楽園、弘道館、水戸城跡
 偕楽園行きのバスに乗車。偕楽園バス停から偕楽園に向かうと、途中、常盤神社があり、参拝。徳川光圀(水戸黄門)を祭神としていた。

 茅の輪くぐりがあり、やってみた。
 
 偕楽園に入場。梅や桜の時期がきれいなようだが、行った時期は平凡な感じ。

 偕楽園は徳川斉昭によって造営された。
 
 好文亭。客人をもてなすためにつくられた。昭和20年の空襲で焼け、昭和33年に再建された。
 
 好文亭は中を見て回った。各部屋が似ていて、印象があまり残らなかった。
 
 歴史館が休館中で、バスで移動し、弘道館へ。

 弘道館は、徳川斉昭が1841年に開設した日本最大の藩校。

 中に入ると、最初の部屋に大きく「尊攘」と書かれた書が目についた。尊攘運動は反幕府の動きだが、初期にはなぜ御三家の水戸藩が中心になったのかよくわからない。
 
 最後の将軍、徳川慶喜が大政奉還のあと謹慎生活を送った部屋。
 
 渋沢栄一が慶喜の死後に、弘道館で講演をしたときの書。渋沢は慶喜に仕えていた時代があり(このことは大河ドラマで知った)、慶喜の葬儀委員長をしている。

 下   弘道館は水戸城の三の丸にあったのだが、三の丸跡には旧茨城県庁もあった。今は三の丸庁舎として、パスポートセンターなど県民サービスにかかわるものが入っているようだ。
 
 続いて、二の丸へ。復元された大手門から入る。二の丸のほとんどは小中高の学校敷地になっていた。
 
 本丸跡は水戸一高敷地になっている。水戸城の建築で唯一残っている薬医門があり、その見学者は学校敷地に入ることができた。
 
 薬医門。変わった名前の門だ。由来はよくわからなかった。

 このあと、徳川光圀(水戸黄門)の生誕地を見て、水戸駅に戻った。

 
常盤牛を食べる
 すでに17時を回っていたので、駅ビルで夕食をすませてから宿に向かうことにした。

 入店したのは「キッチン寅家」。
 
 店内。

 下左   ビールは「ハートランド」。キリンビールがつくっているようだ。

 下右   ラベルがなく、ラベルに相当するものがエンボスで表現されている。
 
 
 
 「常陸牛100%スペシャルビーフシチュー」。セットでご飯とサラダつき。
 ビーフシチューを拡大。とてもよく煮込まれていて、柔らかかった。
 
 宿は「東横イン 水戸駅南口」。南口といっても、10分ほど歩かないといけなかった。
 
 チェックインし、屋部屋へ。 
 
 窓側から入口を見る。

 

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