第1日 バスに飛び乗り光州へ

  半年ぶりの韓国である。前回は、韓国の民族大移動期のチュソクにあたり、ソウルから光州への夜行バスに乗れず、急遽、白バスに乗車するという珍体験をした。

  また、目的地の光州(クァンジュ)、全州(チョンジュ)では、飲食店の休業のために、試してみたかった料理を食べ損なったりした。また、入れなかった施設もあった。

  そんなわけで、いま一度、光州、全州に行ってみたいと思っていた。 

 

    くわえて、宝城(ポソン)、麗水(ヨス)、南原(ナムォン)も回ってみたいと考えていたので、それらを結ぶコースが出来上がった。だが、今回は2泊3日。この短い期間で、これらを回りきれるか、、そこで考え付いたのが夜行の利用だった。

 
  ソウルに立ち寄ったあとで夜行に乗車。2日目は、麗水、宝城、光州、3日目は、光州、南原、全州というコースで回るつもりだった。だが、この夜行ムグンファ号、かつて連結していた寝台車は今はなく、オール座席車になっていることがわかり、夜行の利用に魅力を感じなくなった。到着が4時台なので、早すぎるのも身の置き場に困る。

  そのため、仁川空港から空港バスで、直接、光州に入るルートが急浮上したが、それでは、ソウルで計画していた数時間の行動はすべてカットされる。それで、当日になっても、はっきり決まらないまま旅立ったのだ。

  到着後、入国審査のあと、両替。大変、厳しい状況だ。1年前まで数年間は、1万円が10万ウォンという時代が続いていた。ところが、前回、1万円が9万ウォンを少しきる程度になっていてびっくりしたのだが、今回は、1万円が8万ウォンと少々。

  旅行者にしてみれば、たとえば、3万ウォンの旅館代は、以前なら3000円と同じだったのだが、今回は、3750円に値上がりしたのと同じことだ。%でいうと25%の値上がりなのだ。両替は3万円したが、243000ウォン。プラス前回余ったお金が少々。これで3日間、何とかやりくりしよう。

 

  さて、はっきりしないまま光州行きのバス乗場に行った。いい時間のバスの有無に身を任せることにしたのだ。

  何と、目の前に光州行きのバスが止まっているではないか。バスの表示は12時50分。自分の時計は12時45分。

  急いで、バスの写真を撮り、トイレに急行。乗車券売場で乗車券を購入。そしてバスに飛び乗ろうとしたら、ドアが閉まった。ドアをたたくと、3mほど走ってバスは停車。ヤレヤレ、乗車することができた。

 

  バスは、少し走るとソウル市内に向かう高速道路から離れ、今までに通ったことがない経路を走った。

  途中、安山(アンサン)を通ったので、西海岸の高速道路を経由するのかと思ったら、いつのまにか、幹線の京釜高速道路に入った。

  その後、天安(チョナン)から論山(ノンサン)方面への短絡ルートに入り、公州(コンジュ)近くのチョンアン(漢字は不明)のサービスエリアにバスが入った。

 

  このサービスエリア、前回の旅で、夜中に到着したサービスエリアと同じだ。前回は、チョンアンはどこかわからなかったのだが、観光案内パネルで公州(コンジュ)近くと判明。

  10分あまりの休憩で、チュンムキンパブを購入。中身のない海苔巻きで、キムチがついている。イカのキムチも入っていた。バスの中で食べた。

 

  やがて光州のバスターミナルに到着。16時55分着。4時間5分の所要時間だった。

  このターミナル、大工事中で、形状はそのままで、建材を新装するような工事をしていた。

  工事のおかげで、バスを降りてから、ターミナル前のバス停まで10分ほどかかってしまった。

  次回、訪問したしたときには新しいターミナルに一新されていることだろう。

 

  バスターミナルから市の中心部まで1000番のバスで移動。このバスは、光州空港の空港バスを兼ねていて、一般の市内バスより少し高い1000ウォンだが、停留所が少なく、座席も少し立派だ。

  まず、前回は訪問できなかった、光州学生独立運動歴史館に向かった。前回の訪問時には、1980年の光州事件に関連したところを多く訪問したのだが、1929年の光州学生独立運動に関連したところには行けなかった。

  だが、今回も到着時間が遅く、光州学生独立運動歴史館は閉まっていた。それで、記念碑だけを撮影した。この歴史館と記念碑は、学生独立運動のおこった光州第一高校の敷地を一部区切ってつくられていた。

 
  このほか、市内には光州学生運動紀念館もあるのだが、こちらも含めて、次回の全羅道訪問時に訪れてみることする。

  すでに18時もまわり、薄暗くなってきている中、前回の訪問時には休業していた、無等山(ムドンサン)というチュオタンの店まで歩いた。

 

  チュオタンを注文。店のどこにもメニューが書いていないので、チュオタンしか出していないのかも知れない。

  チュオタンはどじょうのスープである。どじょうをすりつぶしたものを野菜と混ぜて煮込んである。どじょうの痕跡は、少しだけ入っている、細かい骨とごく小さな身の切れ端だ。すりつぶしきれなかったのだろう。土臭さなどはまったくなかった。

 

  食後はバスターミナルへ向かったのだが、このときにちょっと失敗。一般の市内バスで、行き先に、ちらっと、ターミナルという文字が見えたので、それを市外バスターミナルのことだと思い込んでしまったのだろう。

  そのバスに乗って、バスターミナルじゃないところまで行ってしまった。地下鉄の路線沿いなので、地下鉄でターミナル近くの駅まで戻って歩いても良かったのだが、ちょっと面倒でタクシーの世話になった。

  バスターミナルでは、明日の宝城(ポソン)行きの始発時刻、運賃、乗場を確認して、宿のかたまっているエリアに向かった。 売店で時刻表も購入。今回の旅では時刻表が必需品だった。

 

  当初、前回、泊ったアジア荘に行くつもりだったが、その手前にある新世界荘(シンセゲジャン)から、手招きされて呼び込まれた。

  イーマノン(2万ウォン)だということで、即決。お金と引き換えに鍵と歯ブラシを受け取り部屋へ。明日の予定などを考えながら、夜をすごした。 この時点では、麗水で泊るか、南原で泊るかどうしようかなと思っていた。

 

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