1 日 目   人 吉 へ

 

 

 2023年は4月から海外旅行を再開の予定。海外旅行を始めれば、中長期の旅は海外旅行に回すので、国内旅行は1週間が最大限になると思う。

 3月までは長めの国内旅行をする予定で、この旅は最終の1つ前の長めの国内旅行だ。

 今回は9日で、人吉、鹿児島、種子島、宮崎を回る計画。でも、宮崎は訪問前夜に取りやめ、種子島の滞在を増やす大変更をした。

 まずは、鹿児島空港に向かう前に、伊丹のサクララウンジで休憩。
 
 ゲートにて。9時20分発の鹿児島行きJL2403。

 株優券利用。もっと安い運賃はあるのだが、変更ができるのとキャンセル料が安いのが利点。

 今回は、復路で種子島〜鹿児島と宮崎〜伊丹を払い戻したのだが、手数料は各440円ですんだ。さらに、株優券の1枚は、鹿児島〜伊丹の購入に再利用できた。株優券1枚は手元に残り再利用を考えている。
 J-AIR所属のE190による便。クラスJの終わる部分で通路が曲がる。クラスJの最後尾の2人席窓側をとっておいた。隣席には客はあらわれずよかった。

 下左   飲物サービスではコーヒーをいただく。

 下右   着陸体制に入ったころ滑走路が見えた。宮崎空港にしては少し位置が変だなと思った。あとで調べたら、航空自衛隊新田原基地だった。
 
 
 鹿児島空港着。10時35分着のはずが、10分ほど遅延。
 
 11時前だったが、このあとバス乗車などで昼食がとりにくくなるので、出発フロアで昼食をとっておくことにした。

 山形屋が出店していたので、山形屋に入った。天文館にある本店の大食堂と似たメニューだ。
 
 焼きそばを注文。天文館の本店でもいただいたものと同じだった。

 右上の三杯酢をかけていただく。
 
 焼きそばといっても、とろみをつけた野菜炒めを固めんにかけたもの。長崎の皿うどんと同じといってよい。
 
 店内。雰囲気は本店大食堂とは違って、ファミリーレストラン風。
 
 11時40分、鹿児島空港発。鹿児島〜熊本間の「きりしま号」の区間乗車だ。

 人吉は、JRや路線バスの不通が続いているので、高速バスが頼りだ。もっとも、鹿児島空港からは熊本地震がなくても、高速バスを利用しないと人吉は行きにくいのだが。
 
 
 上左   乗車券は前日にネット購入。スマートフォンの画面をドライバーに見せればOK。運賃も5%引き。空席が多く、予約なしでも乗車はじゅぶんにできた。

 上右   12時37分、人吉着。写真は後続の宮崎行きのバス。

 左   高速バス乗場に接して路線バス乗場がある。
 
 
 
 上左   人吉駅行きの路線バスに乗車。3qほどだが、大回りする。熊本の産交バスは全国共通のICカードが使える。

 上右   駅前の1つ手前の「中青井町」下車。

 左   2泊する「人吉旅館」へ。荷物を預けて、すぐに街歩きに出かける。
 
 国登録有形文化財になっているという。

 
 
 与謝野晶子の歌碑があった。人吉にやってきたとき、この宿に泊ったという。
 
 まずは、宿の近くにある青井阿蘇神社へ。

 神社の前には蓮の池があり、赤い橋がかかっている。
 
 楼門。茅ぶきの楼門は珍しい。楼門のほか本殿や拝殿が2008年に国宝に指定された。熊本県では初の国宝。

 青井阿蘇神社の創建は9世紀だが、今の建物は17世紀初め(江戸時代初め)のもの。
 
 拝殿。この奥に幣殿、本殿があるのだが、入れないうえ、横側も工事のために入れず、見ることができなかった。

 下   人吉駅。2020年7月の水害で列車がこなくなった。

 右端にある城型のものはからくり時計。
 
 
 
 上   駅構内。ある程度大きい駅のl構内で線路を歩いてホームを移動る駅は今や珍しいと思う。

 左   切符売場が営業していたので驚いた。この駅には列車がこなくても、熊本発など全国の切符をうるためだろう。
 
 人吉鉄道ミュージアム
MOZOKAステーション。

 肥薩線の歴史を伝えるミュージアム。
 
 館内の乗場から100mほど離れた駅舎の横までのミニ列車。

 下   急行「くまがわ」の横サボ。1959年に準急として登場、途中経過は省略。JRになっても生き残り、博多〜熊本の快速であと急行、普通は同じ。その後、熊本発着になり、最終的には、熊本〜人吉だけの特急になったが、2016年に廃止。
 
 
 ミュージアムとは関係なく、駅の構外からみえる、日本で唯一残る現役の石造の機関庫。

 下   列車運行時なら見られない転車台の近くまで行けた。「SL人吉」の運転のために転車台が残されているようだ。
 
 
 
 上   裏側から見た人吉駅。

 左   駅の裏手にあった大村横穴群。古代の墓跡らしい。

 下   横穴の拡大。
 
 
 鍛冶屋町通り。相良藩時代に鍛冶屋が並び、刃物や銃をつくっていたという。

 今は鍛冶屋は1軒だけだが、みそ・しょうゆ蔵やカフェがどが並ぶ。白壁の蔵が建てられ、石畳風の道になり、歴史的な雰囲気がでている。
 
 ウンスンカルタの家。

 ウンスンカルタは、ポルトガル人が遊んでいたカードゲームが日本化したもの。南蛮人などの絵柄があった。18世紀に禁止されるが、人吉だけは生き残った。その展示館。
 
 人吉で唯一、天然もろみを使ってみそ・しょうゆをつくる「釜田醸造所」。

 建物は大正期のもので、この奥が工場になっている。
 
 うなぎの寝床のような細長い工場でどんどん奥に進んだ。

 下  最後の味噌やしょうゆを使った漬物などの試食をすすめられ、お茶もだされた。なりゆきで土産を少し購入した。
 
 
 球磨川を渡る。水量はわずかで、この川が氾濫して、水害がおこったとは信じられない。

 下   球磨川の南側に人吉城跡がある。球磨川に支流が合流する地点に、隅櫓(写真の左のほう)が平成元年に、長塀(写真の真中)と多門櫓(写真の右のほう「)が平成5年に復元されたが、熊本地震で被災し、修復工事中だった。
 
 
 
 上   城跡へ渡る橋は工事中だったが、歩行者は歩くことはできた。

 左   人吉城歴史館は休館中だった。歴史館は川沿いにあり、ほぼ完全に浸水した。
 
 本丸、二の丸、三の丸への上り口。

 下   二の丸から見た球磨川と人吉市街。
 
 
 二の丸御殿があったところ。

 
 
 本丸はせまくて、眺望もよくなかった。天守はない。護摩堂の礎石が残っていた。その他の建物も含め、宗教的なエリアであった。
 
 相良神社。

 人吉城のある丘の麓にある。相良家の歴代の当主を祭神にしている。
 
 元湯。

 木の浴槽などがあるとのことだったが、温泉旅館に泊まるので入らなかった。
 
 大手門跡。
 
 ここから城外へ。宿へ向かった。
 
 人吉旅館に戻ってきた。
 
 フロントは新しい。浸水したあと、つくりかえているようだ。

 チェックイン後、部屋に向かう。
 
 ロビーも今風のつくり。
 
 2階は歴史を感じさせるような廊下だ。
 
 部屋に到着。つぎ足しで拡張されてきた旅館だが、泊った部屋のある西館は昭和28年の建築。

 荷物はすでに部屋にはこんでくれていて助かった。
 
 部屋は和洋室。ベッドの部分は板張り。写真で左側は畳敷き。
 
 窓側から入口側を見る。

 下   部屋は球磨川に面している。堤防の高さは道路と同じなのだが、旅館の1階はそれより低い。部屋は2階で、堤防よりわずかに高い程度だ。氾濫時には浸水しやすい。
 
 
 
 上左、上右   お茶請けはせんべい。図柄は、人吉旅館ものと青井阿蘇神社のもの。

 左   風呂へ行く途中に見えた本館棟。
 
 古い廊下が昔のまま残っていた。
 
 天井まで浸水したという1階部分の内装は新しく造りかえられていた。

 傷んだところを改修して営業を再開したのは2022年6月と、再開まで2年近くを要したが、再開できてよかった。
 
 内湯で入浴。内湯はもう1つあり、男女で入れ替えがあるので、またやってこよう。

 露天風呂は男女入れ替え制になっていて、このときは入れない。食事後にやってこよう。
 
 18時30分より夕食。食事会場へ。

 下左   米焼酎「繊月」。

 下右   製造は人吉市の「繊月酒造」。人吉城の別名は"繊月城"であることにちなんだもの。
 
 
 前菜4種。盛り付けがとてもきれい。
 
 岩魚の刺身。岩魚の刺身は珍しい。食べたのは初めてだった。
 
 がんもどきとふきの煮物。
 
 鍋ものはタジン鍋を使っていた。

 蒸気機関車の図柄というのも面白い。
 
 煮る前の鍋の具。手前の黄色いきのこは、たもぎ茸。地元の独自のきのこだ。
 
 煮あがった鍋。

 下左   米焼酎「球磨の泉」。

 下右   製造は多良木町の「那須酒造場」。
 
 
 鮎の塩焼き。
 
 茶碗蒸し。
 
 天ぷら。
 炊き込みご飯。
 
 茶碗にうつした炊き込みご飯とすまし汁。
 
 デザート。

 モンブラン風のあんを最中の殻ではさんでいただく。
 
 夜遅くにやってきた露天風呂。独り占めできて、ゆっくり入浴。
 
 夕食前に入浴したのとは別の内湯。

 

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