1  ビ エ ン チ ャ ン へ

 

 

ビエンチャンへの道

 

 

  週末弾丸旅行でラオスのビエンチャンに向かった。ラオスは5年前のルアンパバーン以来。

 今回は、ANAのマイルでタイ航空の特典航空券をゲットしての旅。

 利用した便は、関西空港を深夜0時30分に出発する便。この日は0時20分発に変更されていた。もっともドアは0時20分に閉まったけど、離陸したのは0時50分ごろだったが。

 この深夜便は、かつては自分のバンコク行きの定番の便。15年前から3年前までに10回利用している。しかし、3年前からはJAL便を使うようになり、その後のバンコク行きの便は4回JALが続いた。それで3年ぶりのタイ航空深夜便利用となった。

 チェックインのあと保安検査、出国手続を終え、タイ航空で1時間ほどすごした。 ウナギの寝床のような細長い構造である。タイ航空が関空に独自ラウンジをもつのは意外なことだ。

 上左  いよいよ搭乗。搭乗率は3分の1くらい。この深夜便は便利なので廃止されないことを願っている。

 上右  水平飛行になってまもなく軽食。飲物だけ飲んで、軽食はパス。

 左  軽食のあと機内は消灯になり、3時間ばかり睡眠タイム。到着の1時間ほど前に朝食。日本時間でも5時半、タイ時間では3時半ごろ。和食を選んだら3年前と 同じ(リンクあり)。少し食べるだけにしておいた。

 上左  乗継の保安検査を通り、出国エリアから入国エリアに階を上がり移動。タイ入国なら利用するイミグレーションを階下に見ながら、ビエンチャン行きの搭乗口に近いところにあるラウンジへ。5時15分に開くのだが、着いたのが早く、通路の椅子でしばらく待った。

 上右  タイ航空のラウンジは5箇所あるようだが、入ったところは特に大きかった。

 左  機内食は控えていたが、ここでは朝食をいただくことにした。ビエンチャン行きは11時台の出発なので、6時間をこのラウンジで過ごした。

 上左  搭乗するのはTG570だがラオス航空とコードシェアしているようだ。

 上右  搭乗したタイ航空機。

 左  離陸から着陸までは50分ほどだったが水平飛行になるとすぐにボックス型の機内食が配られた。ポテトとチキンがメインであったが、かなり辛く、タイであることを実感した。あわただしく片づけが始まり、あっという間にビエンチャンのワッタイ空港に到着。

ホテルに着きメコンをめざす

 ワッタイ空港は日本の地方空港でやや大きめの空港並み。北海道で言えば旭川並みか。

 5年前のルアンパバーン訪問の直前にラオス入国にビザが不要になっていた。そのときは欧米人の観光客が多く、乗客の多くはアライバルビザ窓口に並んだので自分が一番に入国できた。今回はビザ不要のタイ人が多く、入国手続で数人並んだ。

 到着ロビーにでたところにタクシーチケット売場があり、市内まで7ドルまたは57000kipの定額。距離の割にはやや高い。両替はしていなかったので、支払いは7ドルにした。

 空港のゲートを出ると、そこはビエンチャンの市街地の端のほうで、15分ほど市街地を走ってホテルに到着。

 今回予約していたホテルは「デイ・イン・ホテル」。ホテルだが、ゲストハウスのような名前である。ホテルの中では一番安いランクのところで、かつ市内の中心部ということで選んだ。

 撮影している自分の背後にはタクシーだまりがあった。常にタクシー、それもメータータクシーが止まっていた。もっとも、徒歩と路線バスでほとんど回ったので、タクシーに乗ったのは帰国時の空港行きだけだった。

 室内はとても広く、床は大きなタイルであった。清掃もできていてなかなかよかった。左端に窓があるが、その向こう側はバスルーム。

 下左  窓越しに見たバスルームの内部。奥にシャワールームがある。上部の真ん中あたりに、シャワーが見えるのがわかるだろうか。バスタブとシャワーの両方があるのは、とてもありがったかった。ドアの向こう側にはトイレがある。

 下右  30分ほど休んで街歩きスタート。塔のすぐ下が泊まっているホテル。ビエンチャンの中心部なのに、走る車は少なくのどかな感じだ。 この近くで両替をした。5000円がほぼ50万kipになった。円を100倍すればkipなので、とてもわかりやすい。

 

 上左  移動式屋台。何を売っているのかはよくわからなかった。

 上右  トゥクトゥク。呼び込みをするこぎ手は「サムロー」と言っていた。後ろに入口があり、座席が向かい合わせにある。

 左  ホテルから15分ほど歩いて、ついにメコン川までやってきた。対岸はタイ。川幅は1kmほど。

お寺めぐり第一弾

  メコン川沿いには大きな公園があるが、これは2010年にできたもの。

 この公園の一角にあるのが(1)アヌ王像。アヌ王は19世紀の王で、ラオスのラーンサーン王国がタイの属国であったときにラーンサーン王国の分離独立をめざしたが失敗した。タイに向かって建つ。この像も2010年につくられた。赤字は訪問した観光ポイント。

  このあと、迎賓館の東側を 裏側をのぞきながら、迎賓館の東側にあるワット・ホーパケオに向かった。

 ここでビエンチャンの市街地について。メコン川と並行して、川から500mほどのところにセーターティラート通り、さらに300mほどのところにサームセンタイ通りがある。この2つの道路はファーダム王像とシーサワンウォン像の間の3kmにあり、この付近がビエンチャンの中心部である。

 別に川から離れる形で2つの道路に直交してラーンサーン通りがあり、この道路の周辺も中心部といえる。観光地はほぼこの3つの道路の周辺にあるので、だいたい徒歩で観光できる。

 かなり大きな敷地をもつ迎賓館の裏側 と東側を回って、迎賓館の東隣にある(2)ワット・ホーパケオにやってきた。セーターティラート通りに面している。

 ワット・ホーパケオは、タイ語ではワット・プラケオ。今はバンコクのワット・プラケオにあるエメラルド仏が置かれていた時代もあった。エメラルド仏は、チェンマイ、ルアンパバーン、ビエンチャン、バンコクと移動したが、これで移動先の寺を一通り回ったことになる。

 16世紀の建立だが、20世紀に再建されたので新しい感じがする。本堂内は小さな博物館になっていたが、撮影禁止。博物館化した寺で、ここには僧侶はいないという。庭もよく手入れされていて美しい。

 ワット・ホーパケオの向かいにあるのが、(3)ワット・シーサケット。こちらは19世紀の建立で、その後のタイの侵入などの戦乱に耐えて、原型をとどめているという。

 ここも本堂の内部は博物館になっていて、撮影禁止。

 本堂を取り囲んでいる回廊の壁には小さな穴が無数に開いていて、その中に仏像が入っている。

 その後、セーターティラート通りを1kmほど東へ歩いた。やがてサームセンタイ通りと合流するのだが、その直前に(4)ワット・シームアンがある。

 この寺は先に訪問した2つの寺と違って、観光寺院ではなく、地元に密着した寺。ビエンチャン市内の寺としては一番多くの参拝客を集めているという。参拝客めあての出店も何店か出ている。

 16世紀に建立されたが、19世紀に破壊され、20世紀初めに再建された。 

 ここは本堂内で撮影禁止ではなかった。

 火を灯して、紐を使っての祈りが行われていた。何なのだろう。

 この寺を出たところにあるのが、(5)シーサワンウォン像。シーサワンウォンは、第2次大戦後、フランスから独立したさいの国王。当時、首都はビエンチャンであったが、王宮はルアンパバーンにあった。

 下左  シーサワンウォン像のある公園の東端が、2つの道路の合流点。

 下右  合流点に日本とラオス国旗の記念碑があった。ビエンチャン1号線(空港と友好橋を結ぶ道路で、中心部はサームセンタイ通りとセーターティラート通りに分かれている)の整備は日本の無償援助で行われたことが書かれている。 

 このあと、サームセンタイ通りを歩いて、ラーンサーン通りとの交差点まで歩いた。首都の幹線道路とはいうものの、車は余り多くは走っていない。なんとものどかな首都である。

 交差点で左折し、南へ。突き当たりにあるのが(6)迎賓館。ホワイトハウスとも呼ばれる。門の中には入れないが、門扉のすきまから写真撮影したが、とがめられたりすることはなかった。

 このあとは、2kmほど延々とセーターティラート通りを歩いた。やはり車はさほど多くない。

 そしてやってきたのが、2本の幹線道路の西の合流点である公園。そこには(7)ファーグム王像がある。この王は14世紀にできたラオス人による最初の統一国家、ラーンサーン王国の最初の王だ。

 ここが2つの道路の西の合流点。実は、この2つの道路、一方通行なのだ。左側はサームセンタイ通りで西行きの一方通行で、右側はセーターティラート通りで東行きの一方通行に・っている。

 15時にホテルを出て歩き始めたのだが、17時をすぎていた。曇っていて日没ははっきりとわからなかったが、少し暗くなり始めてきた。今度はサームセンタイ通りを歩いてホテルに戻ったのだが、ホテルに戻った18時前にはもう真っ暗になっていた。

ラオス料理一発目

  ホテルで1時間ほど休んで、夕食をとりに出かけた。ホテルから5分ほど歩いたところに(8)ナンプがある。ビエンチャンのヘソのようなところだ。

 ナンプとは噴水ということ。昼間に出かけたときも通ったのだが、そのときは水が出ていなかった。今度は水が出て、ライトアップと音楽演奏が行われていた。撮影している自分の左右には野外レストランがあって、その客向けのサービスのようだ。

 めざす店はさらにセーターティラート通りそしてメコン川方面への道を20分ほど歩いたところにある「ナーンカンバン」。

 下左  外国人旅行者2組が食事をしていたが、冷房のきいた室内でも食事できるようだったので室内へ。その後、地元客はほぼ室内に入ってきたが、外国人は外で食べる人のほうが多い。

 下右  まずはビアラオを飲む。ラオスのビールといえばビアラオ。よく冷えていてうまい。

  ビールとともに運ばれてきたのは、注文した料理ではなく大量の野菜だった。インゲン豆の長くなったようなものや、ホウレンソウの葉っぱを小さくしたようなもの、プチトマトの熟していない青い状態みたいなもの、野草だとしか思えないものなどいろいろと盛られている。ラオスで麺類を注文すると大盛りの野菜がついてくることは知っていたが、普通の食事のときはどうだったっか、5年前のルアンパバーン旅行のさいのことを思い出せなかった。注文した料理がくるまでの間、この野菜に辛味噌のようなものをつけていただいたが、なかなか減らない。
 15分ほど待って、料理が次々と運ばれてきた。

 まずは、ラープ・グア。ラープとは、肉(牛、豚、鶏など)のミンチや魚片を炒めて(生の場合もある)にライム汁や香草を混ぜたサラダで、ラオス料理の中でも一番有名なものだ。グアは牛肉なのだが、英語メニューを見るとウェルダンとレアがあって、ウェルダンを選んだ。

 牛肉に唐辛子の辛さ、ライム汁の酸味、香草の香りが混じり、とても美味しい。

 こちらは、タム・マークフン。熟していない青いままのパパイヤ千切りして、塩漬けした魚のエキスで和えたものだ。タイではソムタムと呼び、イサーン料理だが全国で食べることができる。だからタイでは何度かいただいている。

 注文時に、スパイシー? と聞かれたので、マイルドと返した。これでいいのだろうか。結果はというと、かなり辛く、野菜を食べて辛さをおさえたりしたので、スパイシーと答えていれば、食べることができたかどうかわからない。

 焼き飯。これは注文してから、他のテーブルの客の食べ物を見るとカオ・ニャオの入った籠が置かれていて、しまったと思ったが、もう遅かった。

 カオ・ニャオはメニューには書いていなかったので、ついご飯ものとして焼き飯を頼んでしまったのだ。ラープもタム・マークフンもご飯に合いそうだったのでちょっと失敗。次の食事からはメニューになくても、カオ・ニャオを注文してみることにしよう。

 とはいえ、この焼き飯も旨かった。これだけ食べて、満腹で大満足だったが、800円ほど。

 「ナーンカンバン」からメコン川は歩いて3分ほど。メコン川沿いの道路と堤防上の道との間で(9)ナ イトバザールが開かれていた。

 300mほど区間に出店が並んでいたが、残念ながら、ほとんどが衣類や雑貨品などで、食べ物の店はほとんどなかった。もうナイトバザールが終わりといったあたりで、ほんの少しだけ食べ物屋台があったが、食べたいと思えるものはなかった。

 堤防の上にあがってみるとメコン川の対岸にはタイの街の明かりが見えた。対岸の街は、シーチェンマイだということだ。

 このあとホテルに戻り1日を終えた。シャワーを浴びた後、バスタブで長くお湯に浸かることができて、のんびりできた。

 

 

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