2 日 目   コ タ バ ル 郊 外

 

日本軍上陸地点

 

  2日目の午前中はコタバルの郊外をタクシーをチャーターして回る。8時30分に車がくることになっている。

 朝食は6時から食べられるとのことだったが、6時30分に朝食会場へ。マレー風、中華風、西洋風の混じった食事であった。

 ただ、自分は6階だったが、いったんロビーまで降りて、別のエレベータで3階に上がるのが面倒だった。 

  今回のホテル、あてがわれたのがなんと窓なしの部屋だった。静かなのはよかったっが、雨が降っているのかどうかわからないと、期待していたアザーンを聞けなったのが残念だった。それで、朝食は天気を確かめるためにも重要な場であった。

 部屋に戻り、タクシーがやってくるまで一休み。時間通りにやってきて乗車。 

 まずは太平洋戦争時に日本軍が上陸した地点であるクアラ・パク・アマッ海岸に向かった。1941年12月8日、真珠湾攻撃の1時間半ほど前に戦闘が開始され、翌日に日本軍がコタバルを占領した。

 海岸近く2,3キロほどはダートの細い道であった。道は数多く枝分かれしており、ドライバーは人に出会うごとに道を尋ねていた。

 市内から直線距離では7,8キロだが、川も枝分かれしていて、橋のあるところを回らねばならないところもあり、50分ほどかかって海岸に到着した。

 海岸には上陸地であることを示す石碑があったのだが、ドライバーによると、海岸が波で浸食され、石碑も流されてしまったという。

 石碑は2種類あって、まず日本軍が上陸の記念に設置したもので、はるか以前に流失して、レプリカが前日に訪問した戦争博物館にあった。館内撮影禁止だったので、撮影しなかったが。

 もうひとつは、比較的最近、おそらくは1991年に上陸50周年記念式典があったので、そのときに作られた記念碑。どちらも今はない。

  博物館にあるレプリカの本物はコタバル近郊の学校にあるという情報をブログのコメントにいただきました。(2012.10追加)

 

  2つの石碑の写真が掲載されているサイト(リンクあり)がある。1つ目の石碑は、以前は撮影可能だったのだろう。2つ目の石碑は訪問されたときにはまだ存在したわけで、2006年現在にはまだあったことがわかる。

 さて、上記のサイトにある2つ目の石碑の写真の撮影場所、つまり石碑があったと思われる場所を見つけた。海岸の侵食で木がほとんどなくなったが、遠方の風景などからここじゃないかと思われる。

 

スリーピング・ブッダ、シッティング・ブッダ、スタンディング・ブッダ

日本軍上陸地点を見てコタバル市内に戻ると、ちょうどタクシーに乗ってから2時間が経過。上陸地点はクランタン川の河口の右岸にあるのだが、これから行くトゥンパッは、クランタン川の河口の左岸にある。ところが、右岸と左岸を結ぶ橋はコタバル市内のそれも南のほうあるのだ。だから、ホテルのすぐ近くまで河口からさかのぼって、橋をわたり、今度は左岸を下っていく。
  まず向かったのはワット・ポティヴィハーン。ここには全長41mの巨大なスリーピング・ブッダがある。

 寝仏はタイやミャンマーでも見たが、ここの寝仏が一番大きいのでないか思う。それに前面がオープンになっていて、写真も撮りやすい。タイやミャンマーでは、室内に寝ていて、写真がとりにくい寝仏も見ている。

 上左 寝仏の裏側には坐像がずらっと並んでいた。寝仏の下に入ることもできた。

 上右 仏像の頭部だけが木の根っこのところにある。アユタヤ遺跡を思い出す光景だ。

  左 ムスリムが過半数のマレーシアだが、仏教徒も華人を中心に4分の1くらいいる。当然、お坊さんもいる。

 
 次に、シッテイング・ブッダ。ワット・マチマラームにあり、かなり新しい大仏である。高さ10m以上。
 最後に、スタンディング・ブッダ。ワット・フィクルトンヴァララームにあり、こちらも新しい。手前のは高さ3mくらい。奥のは10m以上。

 仏像をたくさん見て、自分がマレーシアにいることを忘れてしまいそうだった。

マレー鉄道東海岸線終着駅トゥンパッと1駅手前のワカバル

 マレー鉄道東海岸線は西海岸線のグマスからトゥンパッまで527kmの路線である。KL・トゥンパッおよびウッドランズ(2011年からシンガポール・ウッドランズの運行は停止)・トゥンパッには長距離列車が運行されている。

 トゥンパッ駅に行った。コタバルの最寄り駅はワカバルで、トゥンパッは村の中心から離れ、駅だけがある。村は1kmほどはなれている。

 ホーム側から駅の玄関に向かって撮影。小さな食堂があって、そのテーブルがホームと駅の玄関の間にあるが、乗降客は輪是課だろうから邪魔にならないのだろう。 
 左側はホーム。右側に止まっている列車は寝台車が見られるので、KLかウッドランズに向かう列車だろう。
 ホームの端。レールはホームの少し先のところで、行き止まりになっている。マレー鉄道西海岸線はマレーシアとタイの間を行きかうが、東海岸線はタイ国境の少し手前で終わり、鉄道で国境を越えることはできなし。
 次に向かったのは、トンパッツの1つ手前の駅であるワカバル。コタバルからはこの駅が近いので、乗客の乗り降りということで言えば、この駅が実質的な終着・始発駅であるようなものだ。

 ワカバル駅の玄関。

 玄関を入ってすぐの切符売場。トゥンパッでは切符売場に客がいなかったが、ここは何人かが切符を買おうとしていた。
 相対式になっているホーム。

郊外から戻り歩いて市内へ

  12時30分、ホテルに帰着。タクシーは4時間貸切で、140リンギット(約3600円)であった。1時間あたり35リンギットで、最終盤になって、同じ運賃ならばと、ワカバル駅に立ち寄ってもらうなど、うまく利用できてよかった。

  ホテルに戻ったあと、まず屋上にあがってみた。なにしろ、今回の宿は窓なしの部屋なので、街の様子を高いところから見たかったからだ。まず茶色く流れるクランタン川。今、渡ったばかりの橋も見える。その右手のほうにワカバル駅がある。
 

malay2221.jpg   市内の北側を望む。画像の右上見得る白い大きなビルが、かつてのナイトマーケットのあとにできたと思われるショッピングセンター。画像の左手の奥のほうがカルチャーエリア。

                            
  このあと、昼食をとりに前日に行った手づかみビュッフェにもう一度行ってみることにした。
 

 途中、バスターミナルに立ち寄った。バスターミナル付近の建物は赤い色で塗られたものが多く、バスも赤なので、赤ずくめの一帯になっている。
 

  コタバルは明るい色の衣装で身をつつんだムスリムの女性がとても多い。

 

手づかみビュッフェ再び

 前日もやってきたビュッフェへ再度やってきた。前日はハンディクラフト博物館の歴史的建造物の1階へ行ったが、この日は別棟の建物に行った。こちらのほうが開放的な感じであった。こちらも席を探すのが大変で、席を確保するまでに少し時間がかかった。

 
 席を決めて、手を洗って、料理選び。まずは、もやしと青菜の煮物。あっさりとした味付けであった。
 
 ゆで野菜と生野菜。なすやおくらなど。
 
 鶏のから揚げ。
 焼魚。あじのような魚であった。
 
 左 ただの焼魚ではなかった。魚の内臓が取り出されて、その部分にはタマネギを刻んだものが詰められていた。

 下左 焼魚を食べた残骸。

 下右 焼魚もから揚げも野菜もサンパルをつけて食べる。

 

 左 ご飯。インディカ米で手で食べるのはなかなか難しい。地元民はうまく食べている。

 下左 何のジュースだろう。前日に飲んだのは透明だったっが、この日のは不透明。

 下右 スイカ。

 これだけで17リンギット(約470円)。
 カルチャーエリアの中心にあるスルタンの住居。ここは入場できず、塀で取り囲まれている。門が開いたときに中を見たが、写真撮影はできなかった。
 クランタン州博物館。ここはカルチャーエリアからは少し離れている。内部の撮影はできなかった。このあと、ホテルに戻り、しばらく昼寝タイム。

ビールの飲める華人の店

  4時間ほどホテルで休んだあと、夕食に出かけた。マズ、ナイトマーケットに出かけてみたが、前日と同じで食べたいものとくになさそうだった。

 それで、少し離れた華人の店ふが並ぶエリアへ。同じような店が並ぶ。

 屋台風の店が入居してるフードコートがあったので入ってみた。
 左左 タイ風の料理を出す店で注文。

 左右 料理を待つ間にビールを買いに行った。飲み物は専用の店で買う仕組み。 

 タイ風の焼きそば。 
 上左 フードコート内。 上右 別の屋台でも注文。

 左 タマネギ入りの卵焼き。

 このあとはホテルに戻り1日終了。 

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