1  串 本 

串 本 へ
 
 
 朝早い出発のため、朝食を取らずに出発し、新大阪駅で食べた。駅なかの「浪速そば」に入った。
 
 新大阪そばの肉そば。
 
 麺が中華麺、出汁は和風だし。
 
 「サンダーバード 金沢行き」の行先表示を見ることはこれが最後だろう。
 新大阪発7時34分、新宮行き「くろしお1号」に乗車。

 先頭はパンダ柄。くろしおの一部がパンダ柄なのだ。
 
 側面にはアドベンチャーワールドの動物が描かれている。
 
 側面の行先表示。「くろしお 新宮」行き。
 
 座席の枕カバーにはパンダが描かれている。まるでパンダが並んでいるかのような感じ。
 座った座席。
 客室の扉も動物柄。
 
 非常時の脱出の案内もパンダ。
 大阪駅の一部として開業して1年になる「梅北」の地下ホームを初めて見た。
 
 紀伊田辺の手前あたりから海がよく見えるようになった。

 紀伊田辺をすぎると、単線になり、特急とはいえ、かなりスピードダウン。
 
 11時5分、串本着。3時間31分の乗車が終了。
 
 串本駅。本州最南端のJR駅。
串 本 観 光
 串本では主なみどころを周遊する「まぐトル号」が運行されていて、利用することに決めていた。

 駅のコインロッカーに荷物を預け、バス乗場で待つ。駅の写真で、右端のさらに右側。

 モデルコースとして示されている3区間に乗車したが、同じ経路を乗った人はほかにおらず、2区間で各1人が乗車した。

 いつ運行停止になっても不思議ではない感じだった。
 
 まぐトル号。

 まぐトルは、串本のマスコットで、"トル"は"トルコ"のこと。

 下   まぐトル号のチケット。
 
 
 「串本観光タワー・南紀熊野ジオパークセンター前」で下車。

 最初に、ジオパークセンターに入った。他所でよくあるビジターセンターに当たる施設だ。
 
 興味深かったこと。

 南紀は火山がないが、温泉は多い珍しい地域。プレートの滑りこみの際の摩擦による熱が原因らしい。

 紀伊半島周辺は本来はサンゴが生育できない水温だが、黒潮の影響で生育。半島の西側の方が黒潮があたるので水温は高い。
 
 
 隣の観光タワーへ。写真左側のレストランや土産物店のある棟で先に昼食。
 
 近大マグロ丼。

 近大でマグロ養殖を他掛けている水産研究所は数ヶ所に施設があるが、串本町にもある。
 
 タワーにあがり、太平洋や潮岬灯台を展望。
 10分ほど歩いて潮岬灯台へ。

 日本に16ある上がれる灯台の1つ。階段の最後はとても急でスリルがあった。
 
 本州最南端を見る。海岸段丘になっているのがわかる。
 
 ジオパークの方へ戻る。最南端に近い記念碑。
 
 クレ崎。潮岬の最南端=本州最南端。下りていく道があり、磯釣りもできるようだ。

 休憩所があり、オーストラリア北端に近い木曜島へ、串本出身者が多くわたり、真珠貝をとるダイバーをしていたことの展示があった。
 
 ジオパーク前から2回目のまぐトル号に乗車。ドライバーは1回目の乗車と同じ人だった。

 大島に渡る串本大橋。平成11年完成と新しい。それまでは船で渡った。

 大橋はループとアーチ橋を合わせて660mほど。別に築堤が500mほどあるが、そこは橋ではない。
 
 海金剛で25分停車。その間に海金剛と日米修交記念館へ。

 海金剛は荒々しく岩石が頭を出している海。

 向こうに断崖が見えるのが樫野崎。断崖の右の方に小さく見える白いのが樫野灯台。
 
 日米修交記念館。

 下   トルコ記念館と日米修交記念館の共通券。日米の半券は切って渡された。
 
 
 1791年、2隻の米国商船が大島にきて、船員が上陸した。ペリーの黒船来航よりも62年前のこと。

 上陸した船のことなどについての展示。

 それにしても、最初に日本にきた米国人はペリーではないんだ。
 
 これは翌日に撮影したもの。串本駅前には、1791年に来航した米国船のモニュメントがある。
 
 「樫野灯台口」でまぐトル号を下車。まず一番奥にある樫野灯台へ。

 中には入れず、外側にある階段から上がれるようになっている。

 この灯台の付近の海域は難所で、1890年、トルコ軍艦エルトゥールル号が遭難。
 
 樫野灯台の官舎。エルトゥールル号の遭難のさい、存命の船員はここへ助けを求めてきた。船員が滞在した部屋を見た。

 明治天皇は慰霊のために行幸し、そのさいの宿舎になり、御座所と書かれた図も見た。

 この官舎は内部の撮影は不可だった。
 
 エルトゥールル号遭難慰霊碑。
 
 トルコの民芸品などを販売する店があり、そこでドンドルマを売っていたのでいただいた。
 
 トルコ記念館。
 
 エルトゥールル号の遭難について展示が充実して、詳しく知ることができた。
 
 写真中央の白く見えるところのうち、左上のところが遭難現場。海岸から200mくらいのところなのが意外だ。助けを求めて灯台官舎までやってきた船員がいたのもわかる。

 「樫野灯台口」から3度目のまぐトル号で駅前へ戻る、
夕  食
 駅のコインロッカーから荷物を出して宿へ。宿へは2分ほど。「ビジネスホテル串本 駅前店」で2泊。
 
 部屋へ。
 
 窓側から撮影。

 1時間30分ほど休憩し、夕食に出かける。
 
 行こうと考えていた店は、カツオが売り切れたので夜は休業という張り紙があり、「ひろや」という居酒屋へ。
 
 店内。

 女将が1人でやっている店で、時間がかかるかもしれないといわれたけど入店。実際、注文してから料理が出てくるまで時間がかかり気味だったが、ほかの人の注文の際に、一緒に同じものを注文するとかして、さほど気にならなかった。
 
 冷酒で地酒の「潮岬」をいただく。
 製造は、新宮市の「尾崎酒造」。
 
 刺身盛り合わせ。

 まぐろ、びんちょうまぐろ、あじ、かつお。
 
 あおりいかの天ぷら。
 だしまき卵。何でもないものだが、アツアツで美味しい。
 
 かつお茶漬け。

 たれに浸けたかつおのお茶漬けなので、色が濃くなっている。

 待ち時間が長めで、1時間30分かけての食事だったが、味はよかった。
 
 宿に戻る途中、コンビニで飲物や翌日の朝食にするおにぎりなどを買った。

 コンビニは広い敷地の一部を使っていて、敷地のそばのコミュニティバスのバス停は「旧役場前」だった。

 この付近は、潮岬ある島と本州の間の陸繋砂州の上にあり、標高が2、3mのところなので、津波対策で役場が移転したのだろう。ネット検索してみると、2021年5月の移転だった。

 現在の役場は駅の上方の高台にある。
 

 

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