6   打上げ失敗と新宮 

打上げ失敗
 朝食は、前日にコンビニで買っておいたカップ麺とサラダ。
 
 駅には早めに行き、1日旅程を延長したので、切符の変更をする。

 緑の券売機でオンライン購入は複数回したことがあるが、変更は初めてなので心配だったが、問題なくできた。

 御坊〜新宮の普通電車は全電車が自転車持ち込み可能なサイクルトレイン。料金は不要。

 午前9時以降終日で、高校生の通学での利用は通常の場合できない。この日は、特別に利用できない掲示があった。
 前回と同じく、紀伊田原で見学することにした。場所は、公式見学会場そばではなく、離れた海岸にした。
 
 11時1分発射。しかし、すぐに花火のような光。ロケットは破壊され、飛び散った。
 
 まもなく火山爆発のような噴煙があがった。夜にTVニュースで火災が発生していたことを知った。
 
 駅へ向かう。乗車証明書をわたされた。
 臨時電車の新宮行きに乗車。紀伊田原から乗車した客は全員着席できたが、つぎの紀伊浦神から乗車した客が多く、立客が多く出た。紀伊勝浦でかなり下車し、また全員着席状態に。
新宮観光の続き
 新宮のメインストリート中央通り。市役所もこの道路に面している。

 この通りが駅の裏側にあるのがわかりづらい。このような街は珍しい。
 
 昼食をカレー店「ドン」でとる。
 
 店内。
 
 カツカレーサラダセット。美味しいカレーだった。
 
 水野家墓地。

 水野家は紀州藩新宮領の領主だった。

 墓地の入口を入ると長い階段を上がった丘の上にあったのでびっくりした。
 
 崖の上に神倉神社が見えた。あんな上まで上るんかって思った。
 
 神倉神社の石段下。前日とは違って、石段がかわいていたので上がる。

 とはいえ、石段の下半分はとても急なうえ、歩きにくい石段で怖かった。あと少し年齢を重ねると、もう上れないだろう。
 
 なんとか最上部に到達。社殿の斜め上の石がゴトビキ岩で、これがご神体。
 
 神社の門のところからは新宮市街地と海がきれいに見えた。
 
 佐藤春夫記念館。

 東京の旧宅を移設したもの。サンルーフなど当時としては珍しいつくりだった。

 彼の年少時代の住居は、新宮城の昔のケーブルの下の駅付近だったようだ。
 
 川原町。

 江戸時代から昭和のはじめまで熊野川の川原には、仮設式の飲食店や土産物店が並んでいた。洪水がおこりそうになると解体して、避難した。その川原の街並みを再現したところ。
 
 熊野川の川原。ここに仮設式の店舗があった。
 
 宿に戻り、しばらく休憩。

 夕食は「つむぎ家」へ。個室に案内された。
 
 生ビール。
 しび刺身。
 
 魚水炊き。魚はたいの仲間だった。豆腐と野菜も多くてヘルシー。
 

 

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