7    本  宮 

熊野古道歩きの出発点へ
 6時前に、前日買ったパンとスープで朝食。
 
 この日は熊野古道の一部を歩いた後、熊野本宮大社を参拝し、最後に湯の峰温泉に入浴の予定。かなり時間がかかるので、7時10分発の本宮大社行きのバスに乗車。
 このバスはペイペイで払えるようだ。

 この日は5回のバス乗車を、ペイペイでバス代を払ったが、バスでパイペイを使ったのは初めて。

 また、この旅では、現金以外はパイペイやその他のQR決済は使えるけれども、クレカはダメという店が多く、食事代などもペイペイをかなり使った。

 下   新宮市内を抜けると、バスはずっと熊野川に沿って走る。
 
 
 北山村方面への分岐点。和歌山県の飛び地で、奈良県と三重県に囲まれている村。かつては舟運で新宮と結びついていたから、和歌山県になったようだ。

 ここで北山村のほうへ行く途中に瀞峡めぐりの船の乗場がある。かつて子供のころ乗ったので、今回、久しぶりに乗ろうと考えた。3月から運行ということで、問い合わせてみると、水量が少なく、3月下旬からということで、あきらめた。
 
 対岸に割と大きな水力発電所があり、関西電力ではなく、電源開発の発電所だったのが意外だった。
 1時間ほどで、本宮大社に到着。初めてバス代をペイペイで払った。このときはスムーズにいったが、うまく行かない場合は、うしろに客がいるので、あきらめて現金で払ったバスも、白浜であった。
 熊野本宮では10分ほどの待合せで、発心門王子行きに乗車。

 このバスは、田辺からやってきたバスで、先ほど乗ったバスとは別のバス会社。でも、ペイペイ払いができた。

 写真は、発心門王子に到着時。15分ほどの乗車。
 
 発心門王子バス停。
熊野古道
 車道をさらに5分ほど歩き、発心門王子に到着。

 王子は、熊野古道に沿った社で、熊野権現を祀っている。多くの王子は、跡だけだったが、発心門王子は、作られたのは新しそうだったが、祠が建てられていた。

 発心は、仏の道に入ることを意味する。

 ここを9時に出発して、熊野古道歩きスタート。
 
 最初は、車道ではないが、舗装された道をしばらく歩いた。

 熊野古道はいくつかのルートがあり、今回歩くのは、田辺から本宮大社に至る「中辺路(なかへち)」と呼ばれる道の最終区間で、7qのコース。この旅では、ほかに、那智大社の直前の大門坂を歩いたが、そこも熊野古道。

 熊野古道の主なルートは、ほかに奈良方面からの小辺路(こへち)、紀伊半島の海岸沿いからの大辺路(おおへち)、伊勢方面からの伊勢路(いせじ)がある。
 
 水呑王子跡。

 ここから、未舗装で、一部は石畳が残っているハイキングコースになる。

 下左   森の中を歩く。

 下右   雪よけがかけられたお地蔵さん。

 
 
 
 
 
 未舗装の道はいったん終わり、舗装された道にでて、ちょっと一息。
 遠くに見える稜線が奈良県との県境の「果無(はてなし)山脈」。

 この集落は、2001年の朝ドラ「ほんまもん」のロケ地になったという。知らないドラマだが、なぜか身近に感じる。

 左に見える丘を「百前森」といい、番組で何度も出てきたという。
 
 道路わきには茶畑が多いほか、みかん系の木も目立つ。
 
 伏拝(ふしおがみ)王子跡。

 社はなく碑があった。本宮大社を伏して拝んだというところから名がついたらしい。



 
 伏拝王子跡の左手5mほどに和泉式部供養塔があった。

 どうして、和泉式部?って思った。和泉式部が熊野詣したときに、生理があり、不浄なものとされて、せっかくここまできたけれども参詣できなくなっり、その思いの歌を詠んだ。その夜、熊野権現が現れ、参詣してよいと告げたという。
 
 無人販売所があった。
 
 「津の望(のぞみ)」という品種のミカン。2個100円。1袋買って食べた。ほどほどの甘さで美味しかった。
 
 再び、未舗装区間になり、まず下りの石段。このあと上りになった。
 三軒茶屋跡。休憩所がつくられていた。
 
 関所跡。
 30分ほど、歩き続けると、寄り道の看板があり、展望台に寄り道する。これは熊野古道ではない。
 大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が見えた。

 大斎原は、かつて本宮大社があった熊野川の中洲だったところ。明治の洪水で社殿の多くが流され、熊野大社は現在地に移転された。大鳥居がつくられたのは平成になってから。
 コースの最終盤は舗装道。

 祓殿石塚遺跡。

 江戸時代後半に、川原石は積まれたもので、陶磁器や銭貨が混じっている。参詣者が、穢れを清めるためや参詣道中の安全の祈念のために石を積んだとされる。塔の一部も埋もれていて、江戸以前から崇拝の地であったようだ。
 
 祓殿王子跡。
熊野本宮大社と湯の峰温泉
 12時、熊野本宮大社到着。発心門王子から3時間かかった。

 裏門から境内に入った。

 下左   黒のポスト。八咫(ヤタ)ポストと書かれている。

 下右   熊野三山のヤタガラス。3社でデザインが違っている。
 この門から参拝エリアに入るが、門の中は撮影禁止だった。

 下   内部が撮影できないので、案内板を撮影。番号は参拝順。

 この番号に従って参拝した。

 エリア内には大きな社殿が1つと、大きな社殿の半分ほどの社殿が2つ、小さいのが1つある。これらは、明治の洪水のさい、流されず、この地に移設されたもの。
 参拝後は、正門に向かい、正門から出た。
 12時40分発、田辺行きのバスに乗車。

 バス停の横に消防署があり、田辺市消防本部って書いてあることに気づいた。本宮町は田辺市に合併されていた。てっきり、新宮市だと思っていた。新宮の方が結びつきは強そうだけれども。
 20分ほど乗車し、「湯の峰温泉」で下車。
 バス停の前に公衆浴場があった。「つぼ湯」に入りたかったが、満員のため、受付もしていなかった。湯の峰温泉の宿に泊らないと無理そうだ。

 源泉をうすめた一般湯と源泉そのままのくすり湯があり、一般湯に入ることにした。
 (本宮観光協会のHPより拝借)

 一般湯。奥は"あつめ"、手前が"ぬるめ"だった。"あつめ"は半端なく熱く、肩まで浸かった瞬間に飛び出した。
 浴場横の東光寺。湯の胸薬師ともいう。
 東光寺とバス停の間に川があり、川原に「湯筒」と呼ばれる施設がある。ここで、ゆで卵をつくったりできる。
 入浴できなかった「つぼ湯」。岩風呂のようなのがあり、世界遺産になっている。
 湯胸茶屋で昼食をとる。
 
 店内。
 
 梅おろしそば。
 
 しょうゆ餅。
 
 バス停から見た温泉街。

 14時43分発のバスで本宮方面に向かう。
大斎原を見て、新宮に戻る
 終点の本宮大社の1つ手前の「大斎原(おおゆのはら)」で下車。
 
 熊野本宮大社は、かつては川の中洲にあった。社殿は減殺の本宮大社よりもたくさんあったが、明治22年の水害でで多くが流された。その跡地は大斎原。

 流出を免れた4つの社殿は現在地に移設された。流出し社殿をまとめて祀る石造りの小さな祠以外はなく、草原と森になっている。
 
 流出した赤い鳥居にかえて、平成12年に石造りの大鳥居がつくられた。

  高さ34m、幅42mで、日本最大の鳥居である。
 
 鳥居の上部の真中にはヤタガラスが描かれている。
 
 10分ほど歩き、熊野本宮館へ。

 バス停の隣にあり、左がバス停、右が熊野本宮館。ビジターセンター的な施設だ。
 
 内部。木材産地だけあって、床、柱やテーブルなど木材が多用されている。
 
 田辺市とサンティアゴ・デ・コンポステーラ市は巡礼路つながりで姉妹都市。

 熊野本宮あたりは新宮と結びつきが強いし、速玉大社や那智大社のことも考えると、本宮も新宮市と合併して、姉妹都市も新宮とサンティアゴのほうがしっくりするんだけどな。でも、古来の熊野古道中辺路は田辺と本宮大社を結んでいたから、田辺と合併したのかな。
 
 日本サッカー教会のシンボルマークが、熊野三山の神鳥ヤタガラスであるという展示もあった。

 歴代の日本代表監督の言葉やサイン入りサッカーボールなどもあった。
 
 16時15分発の新宮行きのバスに乗車。
 
 1時間かけて新宮に戻り、宿で1時間30分ほど休憩。

 4泊した新宮の最終日の夕食は「酔月」へ。
 
 店内。
 
 テーブルに置かれたコンロで魚を焼いて食べる「浜焼き」がウリの店。

 お通しもあぶっていただく。さんま。あじ、平天。

 下左   冷酒「熊野三山」。

 下右   製造所は新宮市の「尾崎酒造」。

 
 
 
 
 浜焼き。

 ほたて、さざえ、はまぐり、たこ、えび、いか。
 
 焼いているところ。えびといかは、刺身でお食べられるとのことで、半分は焼かずに生でいただいた。
 
 
 
 
 上左   「太平洋」を熱燗で。

 上右  製造所は新宮市の「尾崎酒造」。

 左   かにみその甲羅焼き。
 

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