9   白  浜 

白浜の南部
 この日は、白浜の温泉街周辺のみどころを回る。回るところは、ほぼ決めていたが、前日に変わった点がでた。

 1つは、夕食は「長久酒場」で16時に入店すること。昼食は抜く。もう1つは、「ナギサビール」工場に行くこと。予定より、忙しそうになったが、何とかいけるだろう。

 6時すぎに朝風呂へ。朝食は7時30分からと遅め。朝食会場は広くて、ゆとりがあった。
 
 特に珍しかったのは、左上のたこ焼きとその横のまぐろカツか。
 左上はみそ汁、その左は和歌山ラーメン、一番下はネギトロ。
 
 デザートとコーヒー。

 メニューに目新しさはなかったが、いい材料を使っているなという感じがした。

 下   ベランダから宿の下を見る。右下に鉄塔があるが、行幸(みゆき)源泉。左下の木々の向う側に露天風呂の公衆浴場の「崎の湯」がある。この日のスタートは「崎の湯」から。
 
 
 9時前に白浜観光スタート。まず宿のそばの「崎の湯」に向かう。途中、行幸源泉の横を通る。白浜で最古の源泉だという。
 (1)崎の湯。(番号はこの日の訪問順)

 白浜が知られるもとになった温泉。公衆浴場だが、露天風呂なので行ってみた。500円。
 (和歌山県の観光HPより拝借)

 太平洋を眺めながらの入浴ができる露天風呂がある。

 下   入浴後、「崎の湯」の横から太平洋を眺める。左の覆いが浴場。
 
 南に歩き、(2)千畳敷へ。

 人が立っている岩の上まで行った。
 
 海側にある岩山から陸地側を見る。

 岩の上は平坦で、確かにたくさんの畳が敷き詰められている感じではある。

 下   高所からの眺め。
 
 
 南へ歩き、(3)三段壁へ。断崖絶壁が続く。
 
 別位置からの眺め。
 
 エレベータで'(4)三段壁洞窟へ。

 洞窟には熊野水軍が船を隠したとされる。
 
 鉛山(かなやま)鉱山跡の模型。

 実際の鉱山は、白浜空港のあたりに何か所もあり、鉛、亜鉛などを採掘していたらしい。江戸時代に銃弾のために掘るようになり、昭和30年ころまで採掘していたらしい。

 
 
 地ビール工場へ、さらに南に向かうが、車道とは別に遊歩道があり、遊歩道専用の橋もあった。
 
 (5)ナギサビール工場

 麦芽を焙煎して、カラメル色にしたのを使っているのが特徴のようだ。
 
 ビールを買って帰りたいが、重いのであきらめた。
 
 「みかんエール」を飲んでいく。みかんの香りが強い、和歌山らしい飲物。苦みやコクが感じられなく、さっぱり味。
 
 三段壁まで戻り、バスに乗車。三段壁からバスが多く出ているが、円月島方面を回るバスは1時間ごとで少ない。
白浜の北部
 12、3分で「臨海(円月島)」下車。(6)京都大学白浜水族館へ。

 下   京大瀬戸臨海研究所の付属施設のようだが、見せることに力を入れていて、独立した水族館として自立している感じ。

 白浜近海の水生生物に限定しての展示というのが面白い。
 
 
 白いうみへび。

 下   前日食べたし、この日も食べようと思っているうつぼ。
 
 
 上   (7)番所山公園

 事前の調査不足で、ここは調べきれていなかった。水族館のあと、南方熊楠記念館に行くつもりをしていたが、記念館も番所山公園の中にあるのだった。

 江戸時代に紀州藩の番所が置かれて、田辺湾への船の出入りを見張ったとのこと。


 左   植物園だった時期もあり、園内には亜熱帯植物も多い。

 最高所の展望塔にやってきた。
 
 上   展望塔からの眺め。円月島を裏側から見る。真中の穴の部分は見えない。

 対岸の温泉街の右端に泊っている宿、その直下に朝、入浴した「崎の湯」が見える。

 左   番所山灯台。敷地内に入ることはできない。
 (8)南方熊楠記念館

 南方熊楠は、和歌山出身の生物学者。展示では、牧野富太郎や柳田国男と交流があったことなど興味深かった。館内の撮影禁止。

 下   屋上から田辺市方向を見る。神島があるが、熊楠は昭和4年に昭和天皇にこの島を案内し、ご進講をしたという。
 
 昭和天皇は昭和37年に再び白浜に行幸され、そのときに神島を見て、熊楠を思う歌をのこされた。記念館の前に碑があった。
 記念館を出たのが15時30分。「長久酒場」に16時に入るのは難しいかもしれないが、急いで歩く。

 途中、(9)円月島がきれいに見えるスポットがあった。
 さらに歩き、(10)泥岩岩脈の横を通る。

 地下の泥岩の地層が、表面の地層を突き抜けて地表に達したもの。
 30年前に泊った「むさし」。当時は、後にある高層の棟はなかった。玄関はなんとなくだが、こんな感じだったと思う。

 下   (明光バスのHPより拝借)   

 明光バスの「白浜バスセンター」がなくなった。30年前には、ここでバスの乗り降りをしたのだが、ビルが解体されるという。
 (白浜観光協会のHPより拝借)
 
 解体前の「白浜バスセンター」待合所。

 30年前、バスを乗り降りした「白浜バスセンター」は、すでに、ビルの中にバスが乗り入れておらず、待合所があるだけになっていたが、今回それもなくなり、バス停の名前としてのみ「白浜バスセンター」が残るようだ。バスセンターの最後の姿も見られず残念。
 (11)白良浜

 とても白い砂。白浜の語源はこの海岸なのだろう。

 この時点で16時。「長久酒場」へ早く行きたいので急ぐ。

 
長久酒場で夕食
 「長久酒場」に到着。16時の開店を目指したが、着いたのは16時15分。
 店内。(ぼかしてある。)

 カウンターには15人ほど座れるのだが、入店したときには空きが3、4人だった。皆さん、16時ちょうど入店したんだろう。空席があってよかった。座ってよいか確認して着席。

 しばらくすると予約した人以外は入店できなくなった。
 お通しはおから。
 
 生ビール 大。大のある店は少ないので、ここぞはといただいた。
 
 うつぼの焼き物。

 焼く前の生の状態。最初は白い側、焼けてきたら皮の側をしっかり焼いてくださいとのこと。
 焼いているとき。
 
 勝浦産まぐろ刺身。
 太地産くじらの焼き物。
 
 焼いているとき。

 下左   冷酒で「超久」をいただく。辛口の「長久」だということ。

 下右   製造所は海南市の「中野BC」。

 「長久酒場」はもともとは、清酒「長久」を販売するための酒場だったようだ。
 
 
 
 おでん。食べたかったトマト肉詰めが直前に売り切れてしまい残念だった。

 もち巾着と卵だけにしたが、トマト肉詰めを食べるためにまたやってきたい。
 
 かつお刺身。

 
 
 お持ち帰り用に、さんますしをつくってもらった。

 16時杉から食べて17時30分に食べ終わり、宿に帰ると18時前だった。夜にはお腹がすくだろうって思ったので。

 最後の夜だったので、かなり食べた。食事代7600円はこの旅では最高額だった。いい店を紹介してもらったワイン大好きさん、mkさん、ありがとうございました。
 

 

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