3  3日目前半  ロカ岬とシントラ

 

  3日目はロカ岬とシントラに行く。ロカ岬へ行く路線バスは1時間15分ごと1日8往復半と本数が少ないので、公共機関を利用していく場合は注意が必要だ。

  また、バスの本数の少ないロカ岬を楽しんだ後、時間の余裕を持ってシントラを周遊するのがよいように思った。

  そのため、まずはロカ岬へ。7時に朝食をとったあと、7時30分にはホテルを出発。カンポ・グランデ駅は闘牛場のそばだけあって、駅の壁面にも闘牛の絵が描かれている。

  地下鉄は、マルケス・デ・ポンパル、バイシャ・シアードと2回乗り換えて、8時10分ごろにカイス・ド・ソドレに到着。地下鉄のホームから地上へのエスカレーターに適当に乗ったら、駅のホームだった。そばには、8時15分発のカスカイス行きが止まっていた。

  でも、切符を買わねばならない。3人ほど並んで、シントラやロカ岬付近のバスとリスボンからカスカイス、シントラ間の鉄道などに乗り放題の1日券を買った。12ユーロ。あとで計算するとかなりお得な切符だった。

  切符を買って乗車すると、1分もたたないうちに発車。危ないところだった。これが1本遅れると計画が 崩れるところだったのだ。

  車内は予想以上に明るく、またきれいな車両だった。平日なので、反対方向からカイス・ド・ソドレに向かう列車は割とたくさん乗車していたが、カスカイス行きはがらがらだ。

  カスカイス行きは、快速になっていて、通過駅が多いのだが、その割りに遅かったのだが、下りてから時刻表を見ると10分途中で多くかかっていたようだ。

  4月25日橋の下や前日に行った発見のモニュメントなどを見ながら、のろのろと進んでいった。

  ようやくエストリルのカジノを見て、カスカイスに到着。カスカイスにもみどころはあるのあが、この日はパス。早くロカ岬に行くために、すぐにバスに乗るのだ。

  左はカスカイスの駅舎。最初、この写真をとっている自分の背後にバス停があり、そこからバスが出発するものとばかり思って5分ほど待っていた。

  発車寸前になって、ちょっとおかしいと気づき、撮影する自分から見て左手にあるビルの中にはいっていったのだ。そこで、ようやく乗車すべきバスを発見。9時10分発のロカ岬経由シントラ行きの304番のバスだ。

  バスに飛び乗って、また1分もしないうちに発車。危ない、危ない。

  バスは、住宅地を抜け、やがて田園地帯へ。満員のバスもガラガラになった。9時32分の定刻より少し遅れて到着。降りたのは自分だけ。乗り込んだ客もいない。自分だけのため、一番近い集落から2kmほどバスは足を伸ばしてくれたような格好だ。

  定刻の9時32分より5分ほど遅れてロカ岬に到着。

  とうとうやってきました。「ユーラシア紀行」というサイトをやっているのでここへはどうしても行きたかった。

  ユーラシア大陸のいろいろなところに行ってきたが、ここより西にはもう何もない。画像の先は大西洋だけが広がる。

  晴れた日だったが、風と波はきつい。大航海時代、この海を渡ってはるか彼方の未知の地へよくぞ渡ろうと思ったものだ。
 

  西を見渡す。ここからは、ただ大洋が広がるだけだ。  こんなにも海が広いのだと改めて実感させられた。

  ロカ岬付近は高さ100mほどの断崖絶壁が連続していて、海岸線に下りることはできない。

  

  ロカ岬灯台が最西端のところから少し離れて建っている。この付近の海岸線は南北方向に走っている。だから、最西端のところと灯台の建っているところとでは、経度的にはほとんど差がない。

  この灯台の敷地内にも入ったが、すでに無人灯台になっていた。だが、画像でいうと灯台の向こう側に民家があって、人が住んでいたのには驚いた。

  あたりを歩き回って45分ほど。もうすることがなくなり、バス停で座って待った。10時47分発のバスは5分ほど遅れてやってきた。乗り込んだのは自分だけ。降りた客もいない。またもや、一番近い集落から岬までの往復は自分だけのために走ってくれている。

  このバスでロカ岬を観光する客は1日に果たして何人いるのだろうか。

   シントラには定刻の11時24分より10分近く遅れて到着した。シントラ駅のそばに到着し、シントラを周回する434系統のバスも同じところから発車する。

  ところが、434のバスがなかなかこないし、来ても空車のまま止まっているのだ。停留所に貼ってある時刻表によると15分間隔で運転されているのだが、どういうわけか25分ほど待たされた。ようやく12時ごろのバスに乗ってムーアの城砦に向かった。

  12時15分ごろに砦へ向かう道の出発点に到着。ここで砦とベーナ宮殿の共通券を購入。右はその出発点。

  ここから、砦の門までまた15分。砦の中を回るのには30分くらいかかった。そして出発点に戻るのにまた15分。

  その内部は、これは万里の長城か、と思いたくなったくらいだ。城壁のアップダウンがとても激しく、軽いハイキングだった。  

  ムーアとはイスラム教徒のこと。ポルトガルは7世紀にイスラム教徒に征服され、12世紀にキリスト教徒が取り戻すまで、イスラムの地だった。

  そのときにイスラム教徒によって建てられた砦だ。だからか、城壁のところどころに立っている旗のなかには、ポルトガル国旗やかつての王家の旗に混じって、緑地に「シントラ」と白のアラビア文字で書いた旗もあった。

  最上部にあがるのは、結構大変だったのだが、眺めはすばらしい。

  この日は晴れていたこともあり、田園地帯とその向こうの大西洋がきれいに見えた。
 

   大西洋とは逆の方向を見ると、けばけばしい色をした建物が山上にある。まさか、あれがベーナ宮殿? あわててガイドブックを見るとそうに違いない。

   一体、この宮殿は、、、って絶句するような宮殿なのだ。山上にそびえるこの宮殿、赤、黄、紫の混じった派手な塗色。緑に覆われた山上にはふさわしくないよ。


 

  再び、周遊バスに乗車。5分も乗車しないうちにベーナ宮殿の入口に到着。バスがなかなか来なかったので、歩いたほうが早かった。

  入口からさらに徒歩で15分ほど坂道をあがると、宮殿に到着。

  このけばけばしい宮殿、近くに行くとその建築も奇妙なのだ。イスラム風のドームや窓があるかと思えば、ロンドンを連想するような時計台、装飾を施した城門、、、これはないよっていいたい。

  内部は撮影禁止だったので画像はないのだが、外観の派手さとうって変わって、ごく普通のつくりであった。

  宮殿というよりは、別荘のような感じで、王家の建物であったわりには、ごく普通の家かと思うくらいだ。

  ここからも大西洋の眺めはすばらしかった。

  またバスに乗って、シントラの王宮へ向かった。途中、狭い急な坂道を下ったりする。15分ほど乗車。 下車するともう15時前。

  14世紀にジョアン1世によって建てられた離宮だ。外観はごく普通の建物だが、中にはポルトガルの黄金時代を象徴するような立派な部屋がある。三角錐のものは食堂の煙突。

  こちらは内部の撮影が可能だった。右下はチャペル。

  

  続いて、10分ほど歩いてレガレイラ宮殿。壁面には装飾がこれでもか、これでもかと言わんばかりに施されている。

  この画像の建物だけ見学すればおしまいかと思っていたのだが、広大な庭園があるのだ。その庭園内には、チャペルあり、見張り台あり、泉あり、池ありと盛りだくさん。

  右は、宮殿内の階段と宮殿2階外側の回廊。

  下左は、池を使った庭園。下は、城壁のミニチュアか。上にあがることができる。

  残念だったのは、温室がしかっり管理されておらず、朽ち果てるばかりであったこと。

  

  これで、シントラの観光が終了。シントラはバスを利用して4箇所回ったが、昼食をとることができなかった。美味しいポルトガル料理をとれる回数が減ってしまった。

  王宮を少し下ったところから、バスで駅前へ。この区間も歩ける距離なのだが、早くリスボンに戻りたくて、バスにした。

  ロシオ行きは10分ごとに運転されていた。乗車したのは16時45分発の列車。

  外観がちょっと汚れていたのだが、車内はきれい。

  シントラからロシオ駅までの途中は街がとぎれることなく続いた。