1日目

出発はタイ航空の深夜出発便。関空発の数少ない深夜便で、毎日運航されていた時期もあったが、この旅の時点では、週3便。しかも、プーケット経由なので、早朝着にはならず、バンコクから他へ乗り継ぐのは不便である。(以前、ベトナム行ったときや、カンボジア行ったときは、バンコクに早朝着でたいへん便利だったのだが、、)

しかし、乗った便は、半分強くらいの客の入りであったので、減便されたのも止むを得ないかといった感じだ。深夜出発便は、ツアーではほとんど利用されていないし、業務で渡航する場合、避けられると思われる。すると、個人の観光旅行や知人訪問の客が中心となるため、それだけでは集客に無理があるのかもしれない。

深夜出発のため、離陸後すぐには、サンドイッチかおにぎりのサービス。本格的な機内食は、プーケット到着1時間半ほど前。機内食の写真を見せて、魚かオムレツか選ばせるようなスタイルだった。このようなやり方ははじめて。自分は、魚の和食にした。

プーケットでは、1時間ほど待合室で待機。大部分の客は、プーケットで降りずに待合室に移動したようだ。プーケットの空港は小さい空港で、うろうろするような広さもない。海岸にある空港のようで、乗ってきた機体の背後には、海が防風林?の隙間を通して見える。

バンコクまでは1時間ほど。その間に、この日2回目の朝食が供された。こちらはランチボックになっていた。現地時間、朝8時すぎにバンコク到着。

機内預け荷物がないので、出国手続、両替をすませ、すぐにエアポートバス乗場へ。この時間から予約してあるホテルに行っても、まだ部屋には入れない可能性が高いので、いろいろ見て回ってからホテルに向かうことにした。

エアポートバスは4系統あるが、A2というカオサン行きに乗車。9時すぎのバスだ。この時間帯は、到着便が少ないのか、待ち客はわずかで、エアポートバスの間隔もあいているようだった。

エアポートバスは高速道路を走っている間は快調に飛ばしたが、戦勝記念塔の近くから一般道路を走るようになり、とたんに渋滞に巻き込まれた。

戦勝記念塔は、何の戦争の記念かはっきり記載されているものがネット上では見つからない。以下の斜体の部分は、いろいろなサイトを断片的に見て書いたもので、間違いかもしれません。

タイは、第二次大戦では、日本と同盟を結んでいた。しかし、戦争終結直前に、連合国側について、戦後は、同盟は日本の圧力によるものだと主張して、それが認められたようである。そして、いつの間にか、戦勝記念塔を建てたらしい。でも、そういう状態だから、何の戦争の戦勝記念か誰も知らない。

BTSは、この塔のそばを通っているが、この塔があるため、塔の近くだけ、半円型に遠回りして走っている。この翌々日、BTSの車窓から塔を見たが、塔の4つの側面に、兵士の像があり、確かに第二次大戦のころの感じの像である。上の画像でも、木の上のあたりに、かすかに兵士の像が見える。

渋滞のなか、のろのろ運転を続けていくうち、民主記念塔のそばを通った。この塔の由来は、ガイドブックにも書いてあって、1932年の立憲民主革命を記念したものだという。しかし、その後、タイでは20回以上クーデタが繰りかえされた。1992年に流血事件があってからは、安定している。

エアポートバスは1時間かかって終着に到着。カオサン行きということだったが、カオサン通りに着いたわけではない。それで、いったいどこ?て感じ。これから行くつもりのボート乗場へじゃぁなく、川から離れる向きに歩いたりしていた。かなり、うろうろして、どうにかバンランプーのボート乗場に到着。着いたらもう11時。

ボートでやってきたのは、チャオプラヤ川沿いにあるシリラート病院。なぜ、この病院にやってきたかというと、病院内にある、解剖学博物館と法医学博物館を見るためだ。この2つの博物館は、7年前にも来ている。

解剖学博物館には、シャム双生児の遺体のホルマリン漬けなど、法医学博物館には、死刑囚の人体標本などが展示されている。

解剖学博物館のほうは、以前と同じように、古びた病院内の一室に、遺体の古い標本が並んでいる感じだった。ところが、法医学博物館は大きく変わっていた。以前は、こちらも古い一室が博物館にあてがわれていたのだが、現在では、上の画像のような明るい感じの受付があり、左手の入口から入るようになっている。かつては無料だったが、同じ入口から入るようになっている寄生生物学博物館、病理学博物館と共通チケットで40バーツ(約110円)となっていた。

入口だけでなく、内部も新しく、明るくなっていた。グロテスクな標本も数多くあるのだが、以前よりも不気味さが薄れていたように思った。それでも、写真撮影禁止でほっとした。撮影可能なら撮影したくもある反面、目をそむけたくなるような写真は撮りたくないという気持ちも強いからだ。

なお、解剖学博物館は無料のままだったが、同じ建物の中にある、薬学歴史博物館、先史博物館と合わせて改装し、料金をとるようになるかもしれない。

続いては、王室御座船博物館へ。上の画像のカマボコ型の建物である。運河をはさんで、シリラート病院の向かい側に位置しているのだが、簡単にはいけない。まず、運河を渡る橋まで500mくらい離れている。

そして、上の画像のような民家が密集した狭い路地を歩いていかねばならない。しかも、その路地の入口が、わかりにくく入口を通り過ぎてしまった。

そんなわけだから、この博物館へくる観光客のほとんどは、ここの博物館行き専用のボートでやってくるようだ。自分の場合は、シリラート病院に行っていたので、このボートが使いつらく、歩いていったが、歩いてくる人はほとんどいないだろう。なお、車では行けない。

ここは、王室用の船を展示しているところで、いろいろな装飾をした船が並んでいる。このあと、再び、路地を歩き、炎天下、シリラート病院そばのボート乗場まで歩いた。

再び、ボートに乗船。ボートは結構早くて、渋滞の激しい地上よりも移動に便利である。

バンコク有数の観光地である王宮や、上の画像のワットアルンは今回はパス。ボートから眺めるだけ。

ボートの終点は、BTSとの乗換え場所になっている。BTSのサパーンタクシン駅にて。このあと、MRT(地下鉄)に乗り換えて、ホテルに向かった。

今回泊まったのはマンダリンホテル。MTRのサムヤーン駅の近くである。MTRがなければ、個人で泊まると、移動がしにくい場所にあるのだが、MTRでかなり便利になっている。16時前に到着し、少し休むつもりが、2時間ほど眠ってしまった。夜行便でやってきたうえ、炎天下を歩いたりしたので疲れていたのだろう。

夕食に出かけた。歩いていける範囲にある有名店ソンブーンへ。蟹のカレー煮である、ブーバッポンカレーを注文。疲れていて食欲が低下していたうえ、結構な量があったので、この一皿に、ご飯とビールで十分だった。ビールは、シンハビール。

このあと、ホテルに戻り、翌日に備えた。

 

トップページ へ  2日目前半へ