1 日 目 三内丸山遺跡 |
![]() 伊丹空港では、ひところよりは減ったとはいえ、欠航はまだ目立つ。 今回の旅は、東北の北部で、まず青森空港に飛んで、そこからスタート。11時25分発の青森行きに搭乗する。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 青森行きはJ-AIRの運航するE190。 左 クラスJの最前列の1人席をとっておいた。片側1人席というのはなかなかいい。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 青森到着。荷物受取場から出たところ。 左 青森駅行きのバスはJRバスが運行。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 3分ほどで2泊する「JALシティ青森」へ。着いたのが13時40分で、荷物だけ預かってもらう。 左 10分ほど歩き、駅前のバスターミナルへ。14時発の三内丸山遺跡行きのバスにちょうど間に合った。 2021年、世界遺産に指定された縄文遺跡は青森の他、北海道、岩手、秋田に広がっているが、一般人の認知度では三内丸山は他を圧倒している。全部で18の遺跡が世界遺産に指定されたが、自分が知っていたのは、ここと大湯温泉のストーンヘンジに似たものだけだ。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 遺跡の入口には立派な建物があった。メキシコにいったとき、チェチェンイッツアやウシュマルの入口に大きな管理棟の建物があってびっくりしたことを思い出した。 左 建物の中を通って、遺跡エリアへ。三内丸山の特徴として、地下部分を保存するため、シェルターの中で地下の遺跡を見せているところが多いこと。ここは「南盛土」。 |
![]() 「南盛土」(北盛土もある)は、竪穴建物を掘ったときの土やゴミ、石器や壊れた土器などが捨てられ盛り上がった場所のこと。 土器の破片がたくさん見える。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 腰をかがめて中にはいった。 左 大型竪穴建物の跡。長さ10m以上のが大型竪穴建物で、これは長さ15m。自分の学生時代竪穴住居と呼んでいたのが、竪穴建物と表示されいて違和感があったが、こういう大型のものを入れると竪穴建物のほうがいいと感じだ。 |
![]() 興味深いのは柱の間隔が35pの倍数であるということ。 |
![]() 透明な蓋をして見られるようにしてあった。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 「北盛土」のシェルター。 左 捨てられた土器の破片。発掘当時の様子のまま展示しているという。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 子供の遺体は土器に入れて埋葬された。棺の土器には穴が開けられたり、口や底が壊されていた。写真はシェルター内の墓。 左 大型掘立柱建物。3層の建物で、屋根は復元されていないが、屋根については説がいろいろある。 この遺跡を象徴する建築だが、縄文時代にこんなのがあったとは驚き。それに柱の間隔が4.2mで35pの倍数なのも神秘的だ。 |
![]() こんな大きなのがあったのかとびっくりした。 下左 内部。 下右 かつての展示施設。現在は、お手洗いだけが使われている。 |
![]() ![]() |
![]() 世界遺産に指定された18の縄文遺跡の紹介にあった。縄文遺跡は、復元建物もないところへ行って、想像力だけで見学しても面白くないので、有名な大湯温泉のストーンヘンジのようなもの以外は訪問しないだろうな。 |
![]() 計画では隣接する県立美術館にも行こうと思っていたが、遺跡とミュージアムで閉館近くまで滞在したので、美術館は次の機会にする。 自分の学生時代には、発見すらされていなかった(発見は1992年)が、今や縄文時代を代表する遺跡になった。そして学生時代に教科書に記載されていた内容より、ずっと発展した社会だったことがわかり、教科書の内容も大きく変わった。訪問できてよかった。 下左 青森駅行きのバスに乗車。 |
![]() ![]() |
![]() 目的の「味の札幌 大西」の最寄のバス停で下車。50mほど歩き店へ。 注文したのは、青森名物「味噌カレー牛乳ラーメン」。創業から35年以上の名店だ。 味噌とカレーと牛乳さらバターでほどよい味が出ている。 「味噌カレー牛乳ラーメン」の有名店がもう1軒あり、駅や宿に近いのだが、この店は、遺跡から帰りのバスが店の近くを通るので行ってみた。 |
![]() 翌日は朝が早く、朝食時間を待ってられないので、朝食をつけなかった、それで、翌朝のパンなどをコンビニで買って、宿に向かった。 |
![]() |
![]() |
|