2 日 目 龍 飛 岬 |
![]() 下 宿を5時50分に出た。6時に駅前に到着。左の大きなビルはロビナというショッピングセンター。右の2階建ての建物が駅。 40年前に見た駅もつい最近まで利用されてたようで、新駅はほぼ完成はしたものの、工事は続いていて、いまだに1階部分は囲いがあり、中央口へは狭い通路を通らねばならない状態だった。 |
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![]() 上右 2階にある改札口。昔はバスターミナルの側に面して1階にあり、改札を通ってから跨線橋に上がった。 左 跨線橋からホームを見る。ホームの先端には、自由通路の跨線橋(つり橋の下に写っている)が見えるが、40年前には、これがホームから連絡船に向かう跨線橋で、列車が着くと、ここを走って右手に停泊している連絡船へ向かったのを思い出す。 |
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![]() 津軽線は蟹田の少し先の海峡線との分岐点(新中小国信号場)までは電化され、分岐点から終点の三厩までは非電化。 海峡線は以前は旅客列車が走り、快速「海峡」や急行「はまなす」に何度か乗車した。北海道新幹線の開業後は、海峡線は貨物専用の路線になった。 青函トンネルを走る新幹線は1日15往復程度だが、海峡線として走る貨物は1日25往復程度ある、また、津軽線の青森・蟹田の旅客列車は1日8往復程度だが、貨物は25往復程度ある。実際、青森から蟹田までに3回の行き違いがあったが、全部、貨物との行き違いだった。 |
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![]() 上右 車内はロングシートで、旅の雰囲気は感じられない。 左 6時58分、蟹田着。左側の電車から右側の気動車に乗換える。この先、新中小国信号場までは電化されているが、海峡線のためであって、津軽線の列車はこの先は気動車だ。気動車は蟹田発7時7分。 |
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![]() 上右 乗り換えた気動車の車内。クロスシートで片側1人席で快適。 左 中小国駅をすぎ、やがて新中小国信号場。駅ではないので通過するが、ここで海峡線が分岐することがわかる。 細かいことだが、青函トンネルとその付け根の部分の在来線の線名は「海峡線」。以前。「津軽海峡線」という線名があったが、これは江差線、海峡線、津軽線を通して函館・青森間のルートをさした愛称だ。北海道新幹線の開業で、海峡線の旅客列車はなくなり、「津軽海峡線」という愛称も廃止された。 |
![]() 海峡線と北海道新幹線はまもなく並行して走る。青函トンネルの入口近くまで、並行する。 青函トンネルは、新幹線と在来線の海峡線が共用し、レールが3本ある。新幹線と在来線の軌間が異なるからだ。 |
![]() 駅の横に何かある。これは北海道新幹線の「奥津軽いまべつ」駅なのだ。津軽線の「津軽二俣」駅と北海道新幹線の「奥津軽いまべつ」駅は隣接しているのだ。でも、乗換駅ではない。 さらに、新幹線の駅の手前にも複線の線路が見える。これは在来線の海峡線の線路だが、旅客列車は走っていないので、駅はない。 北海道新幹線の開業前は、海峡線の側に「津軽今別」駅があったが、撤去された。ややこしいのは、津軽線の駅は、ここは「津軽二俣」で、2駅先に「今別」があること。 |
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![]() 上右 三厩駅の駅名標。 左 三厩駅の駅舎。 |
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![]() 8時発で、先に龍飛漁港に行き、次に来た道を少し引き返してから丘の上に上がり、8時30分に青函トンネル記念館前に着く。終着は龍飛埼灯台に8時32分。 |
![]() JRを下りた客のほとんどはこのバスに乗り、バスの座席は満席に近かった。ほとんどの客は青函トンネルで下車。ほかに地元民の乗降が途中に少しあった。 |
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![]() 上右 バス停付近には、トンネル工事の機器が屋外展示されている。 左 記念館。ここは4月〜10月の土日だけの開館だ。しかも、東京などに緊急事態宣言が出ていた間は休館。10月になって、久しぶりに土日だけ開館になったので、訪問できたのはラッキーだった。 |
![]() 工事やトンネルに関わる展示を見ていたら、ケーブルの出発のアナウンスがあり、乗場に向かった。 |
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![]() 左 いよいよケーブルに乗車。 下左 ケーブルの側面。「宝くじ号」と書かれている。 下右 車内。 |
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![]() 青函トンネルの開業当初は、龍飛海底と北海道側の吉岡海底の2つの海底駅ができた。見学は、みどりの窓口で入場整理券を買って、快速「海峡」」のして車両に乗って、見学後、後続の快速に乗車する方法で見学した。自分も龍飛海底、吉岡海底の2駅を見学した。 その後、海底駅は廃止され、緊急時に列車をとめられる定点になった。 |
![]() 下左 地上に戻るケーブルに乗車。 下右 ケーブルで斜坑を上がっていく。 |
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![]() 上右 トンネル工事での殉職者の慰霊碑。 左 「津軽海峡冬景色」の歌碑。ボタンを押すと石川さゆりの歌声が聞こえてくる。いきなり「ご覧あれが龍飛岬 北のはずれと♪」の2番の歌詞が流れてびっくりしたが、確かにこの場所には2番を流すのが適している。心の中で歌いながら、先に向かった。 |
![]() 灯台は台地上にあるので、灯台自体の高さは高くない。 |
![]() 左端の真中付近に記念館がある。トンネル工事が行われていた当時は、工事関係の建物がたくさん建ち、それらが密閉された渡り廊下で結ばれている写真を記念館で見た。 |
![]() 日本の国道の中で歩行者だけが通れる区間はここのみだ。 国道339号は弘前から五所川原、津軽半島西岸、龍飛岬を経由して今別町に至るが、工事困難区間があり、全通したのは1989年と新しい。この階段の区間も車道が建設できないまま国道になったようだ。 |
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![]() 上右 中ほどに中学校跡の平地があり、その付近。 左 階段の一番下。途中の休憩も入れて15分ほどかかった。300段以上あるので、上がる場合は大変。中間に中学校の跡地があったので、中学生は毎日苦労しただろうな。 |
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![]() 階段国道の下の入口のところにバス停があるので向かった。 何か食べるものが手に入らないかと思ったが、食事のできるところは閉まっているので、青森に戻るまで辛抱しよう。 |
![]() 下左 100円の町営バスで三厩駅へ。 下右 三厩駅は無人になり、切符は車内で購入する。 |
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![]() 昭和44年の青森駅を上空から撮影。手前の跨線橋を渡って青函連絡船に乗るようになっていたことを思い出させる。列車が着くと、この跨線橋を小走りで急ぎ、乗船したことを思い出す。 |
![]() 40年ほど前、自分が青森駅を利用したのは、多くが北海道連絡のための鉄道と連絡船の乗換のためだったが、少しだけ青森も観光した。駅名が「あおもり駅」とかな書きになっているのを見て、あぁそうだったって思いだした。 |
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![]() 宿近くまで歩いて、引き返し、駅に近い「朝市寿司」という店は開いていて、本日のおすすめとしている"大間産 特上マグロ丼"を食べて見たくなり、入店。 |
![]() 下左 みそ汁。下北産のあおさ入り。 下右 カウンター席。 |
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![]() まず「ワ・ラッセ」へ。ねぶたの展示施設だ。外観だけでは、現代美術館といった感じ。 |
![]() その大きさや精巧なつくり、立体的なものだということなど実物を見てはじめてわかった。 |
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![]() 赤い建物が「ワ・ラッセ」で、右手にはあとで行く八甲田丸が見える。 左 アスパム。 |
![]() 下の階は観光案内のための施設のようで、イマイチだった。 下 展望台から見た八甲田丸。 かつて青函連絡船の発着した場所に停泊している。 |
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![]() 先に見える跨線橋は、駅西口との連絡に使われる自由通路。ホームからの階段があり、自由通路にも階段を下りるドアはあるが、閉ざされていた。 左 八甲田丸に貨車を積み込むために使われたレール。もとあった場所にそのまま保存されている。 |
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![]() 青函連絡船には、ほかに十和田丸、摩周丸、羊蹄丸、大雪丸などがあり、ほとんどの船に乗船している。 |
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![]() 駅近くの「おさない」へ。1階は食堂、2階は居酒屋で、"食堂がやってる居酒屋"とある通り、2階の居酒屋でも、料理は1階の食堂で調理して、2階へリフトで運ばれていた。 |
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![]() 下左 清酒「田酒(でんしゅ)」を熱燗で。徳利にも「田酒」と書いておる。 下右 陳列ケースにあった「田酒」の一升瓶。 「田酒」は青森市で唯一の酒造メーカー「西田酒造」が醸造元。 |
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![]() 青森県でも八戸など太平洋側では、汁物として「せんべい汁」が有名だが、津軽は「けの汁」が有名。 大根、にんじん、ごぼう。ふき、わらび、こんにゃくなどを細かく刻んで煮てある。刻んであるというのが特徴。 |
![]() 宿に戻ると20時前。朝6時前に出発してから14時間。我ながらよく動いたものだと思う。 |
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