3 パッフィンビリー鉄道
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この日は保存鉄道であるパッフィンビリー鉄道に乗車するために、近郊電車でベルグレイブに向かった。 この日の夕刻には空港に向かうので、荷物はチェックアウトのあと、ホテルに預けて出かけた。 ベルグレイブ行きの電車は郊外からやってきて、シティサークルを回ってサザンクロス駅を通り、フリンダース・ストリート駅を経てベルグレイブに向かう。だからサザンクロス駅から乗り換えなしで行ける。 |
この日も1日券を購入して乗車した。 同一のプラットホームからいろいろな行先の電車が出ていて、しかも電車の形がほとんど同じ、しかも電車には行先が大きくは書かれていないので、乗り間違えないか心配だった。 |
ベルグレイブ行きの行先表示。途中の停車駅が全部、表示されている。通過駅があり、-で示されている。 ここでは書かれていないがベルグレイブ駅などでは通過駅のある電車をLimited Expressと表示していた。 |
上左 ベルグレイブ行きの電車の車内。 上右 ホテルでは朝食がついていなかったので、駅のコンビニでサンドイッチを買って乗車。車内で食べた。 左 車窓は単調で、1時間20分ほど乗って終点のベルグレイブに到着。田舎の小駅である。 |
駅をいったん外に出てから、パッフィンビリー鉄道の表示に沿って歩いていった。 実は、これは遠回りであって、近郊電車から降りたあと、そのホームをさらに前方に進んで行けば、パッフィンビリー鉄道の駅への近道があったのだ。このことは、左の通路を歩いていて、下のほうに見える線路を見ていて気づいた。 |
パッフィンビリー鉄道の駅舎。人が並んでいるのが切符売場。 この鉄道の終点はジェムブリックであるが、訪問した日は終点まで行く列車は1往復で、ほかの3往復の列車は途中のレイクサイドで引き返す。時間の関係で、レイクサイド折り返しの列車に乗車。多客期には終点まで2往復、レイクサイドまで4往復となるようだ。逆に閑散期には終点まで行く列車はなく、レイクサイドまで2往復、その手前のエメラルドまで1往復となるようだ。 |
レイクサイド往復の運賃は42オーストラリアドル(約3400円)とかなり高い。 蒸気機関車が複数あって、1両が緑色で塗られていて、その機関車であった。ほかには黒い蒸気機関車が何両かあた。また、乾燥の激しい日には火災防止のためにディーゼル機関車が使われるようだ。その日に来た客は残念なことだろう。 |
上左 客車の外観。 上右 客車の内部。 左 カーブを通過するときに後ろの車両を撮影。窓枠に腰かけて、足を外に出している人がとても多かった。特に禁止されているわけでもないようだった。 この客車で日本の修学旅行生と一緒になった。彼女らはワゴン車でホテルからベルグレイブ駅までやってきて、この列車は予約してあったようだ。彼女たらといろいろ話をしながらレイクサイドに向かった。 |
上左 レイクサイドにて。折り返しのために先頭についていた機関車が切り離され、反対側にとりつけらるのだが、、
上右 反対側にとりつけられる前に給水がおこなわれた。 左 給水作業を見ていたら、折り返し列車の出発まで45分ほど。その間に、池を一周して、昼食をとるのでかなり忙しい。池はそんなに大きくはなく、一周しても10分くらいであった。 |
上左、上右 池の周囲には多くはなかったが、紅葉も見られた。そうだ、こちらは夏が過ぎて、秋を迎えていたのだったと思いだした。 左 昼食をとることができるのは一軒のカフェテリアだけ。そこで簡単に昼食。 |
駅に戻ると、乗ってきた列車の次の列車がやってきた。この列車は終着駅のジェムブルックまで行く。この列車は黒い蒸気機関車がけん引していた。 下左 レイクサイドの駅舎。 下右 ジェムブルックへと出発した列車を見送った。このあと、自分の列車はベルグレイブに向けて出発。
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上 途中、遠くが良く見えるところがあって、海まで見渡せるとパンフレットには書いてあったが、海ははっきりとはわからなかった。 左 エメラルド駅にて、レイクサイド行きの列車と行き違い。 |
この鉄道で一番印象的だった風景。木製の高架橋を走る様子。ベルグレイブに到着する直前にこの橋はある。 下左 ベルグレイブに戻った列車。機関車は逆向けにつけれていたことがわかる。 下右 帰りは遠回りせずに近郊電車のベルグレイブ駅の端のほうに直接でて、乗車することにした。乗継時間がわずかだったが、余裕をもって乗り継げた。 |
市内に帰るのに乗車した近郊電車。1時間20分ほど乗ってフリンダース・ストリート駅へ。 到着後は、空港に向かうまでにはまだ少し時間があったので移民博物館に行ってみた。 オーストラリアでは1901年から1972年までの移民法で有色人種の移民がきびしく制限されていた。そのためにオーストラリアは白人国家としての道を歩んだ。 |
しかし、1972年に移民法が廃止された後(正確に言うと、50年代、60年代を通じて徐々にアジア系の移民制限は緩められていった)、積極的に有色人種の移民を受け入れ、現在では移民受け入れ国の代表的な国になっていて、オーストラリア人のうち他の国生まれの人口が4分の1を占めるという。(他の国には英国やニュージーランドなど白人国家も含むが、3分の2は非英語圏。)今回行 ったメルボルンも前に行ったシドニーでも中国系やベトナム系をはじめアジア系が非常に多いことが歩いていてよくわかった。 |
自分はこの急激な変化が理解できなかった。かつてオーストラリアは白豪主義という政策をとっていて、南アフリカ共和国とならぶ人種差別国であると理解していた。有色人種の移民禁止のほか、移民法ができる以前にオーストラリア国籍をとっていた有色人種は、市民権を一部制限された。たとえば、土地の保有面積の制限など。
ところが、移民法が撤廃されるやアジア系移民を大量受け入れしていく。ベトナム戦争後のボートピープルの大量受け入れや香港の中国返還決定後の香港市民のこれまた大量受け入れが有名であるが、一般のアジア系移民をたくさん受け入れていった。 |
しかも、移民を既存の社会に合わせさせる(つまりアメリカ合衆国への移民のような感じ)のじゃなく、移民の母国の文化を積極的に認め、無理に既存の社会にあわせさせなかった。この変化がどうしても理解できなかった。
今回、メルボルンの移民博物館に行った。ここでこの疑問が解決されるかもしれないと期待していた。しかし、疑問はまったく解決されなかった。どうして、正反対ともいえる政策の変化があったのか、よくわからないままだ。 |
移民博物館に行って、かつての白豪主義がかつての南アフリカ共和国に匹敵するような人種差別政策だったことは確認できた。そして、現在の展示もしているのだが、政策がどうして変わったのかの説明があまりなく残念だった。人種差別的で間違っていたという点については少し記述があったが、労働力不足を補うとか、アジア重視の外交に転換したとかいう部分の理由についてはスルーしていたからだ。
写真撮影はOKだったので、白豪主義時代のものの資料をいくつか撮影してきた。 2つ上 白豪主義の理論を説明していると思われる書物 。 上 第二次大戦時に、若者に対して、ホワイトオーストラリアを有色人種(=日本人)から守るために立ち上がるよう呼びかけていると思われるポスター。 左 ホワイトオーストラリアを賛美する歌曲のレコードの袋 。 |
上左 ホテルへ戻るため、いったん街の中心まで出て、路面電車を乗り換える。花屋がきれいであった。 上右 観光用の馬車があったが、馬が糞をしていて臭かった。 右 ホテルで預かってもらっていた荷物を受け取り、すぐにサザンクロス駅のスカイバス乗場に行き、空港へ。 |
メルボルンからシドニーへは、20時発のQF490を予約していた。空港に着いたのは18時20分ごろ。チェックインのときに、一便前の19時30分発の便にかえてもらおうと申し出たら、さらに一便前の19時発の便でもOKと言われて、せっかくなので19時のQF462に乗るとことにした。おかげで、保安検査を通って、搭乗ゲートに行くと間もなく搭乗開始だった。国内線ラウンジをちょっと見て、少し休んでからと思っていたが、それどころじゃなかった。
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メルボルン空港は、国際線ターミナルが中央にあり、国内線ターミナルのうちカンタスとジェットスター用のものが向かって右、ヴァージンブルー用のものがむかって左にある。国内線ターミナルが国際線ターミナルをはさんでいる。こういう空港は初めてみた。
搭乗するときに搭乗機を撮影。B767であった。カンタスのメルボルン・シドニー間だが、3社がバンバン飛ばしていて、カンタスは30分~1時間の間隔。LCCの2社がどうかは、よく見る余裕もなかった。カンタス国内線はCityflyerと称していて、ブリズベンやパース行きもそれぞれかなりの頻度でとんでいるが、シドニー行きは特に多い。
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搭乗便は1時間5分くらいの搭乗時間だが、きっちり機内食が出る。しかもアルコール飲料も出る。おかげで、夕食時の搭乗だったので助かった。量は少ないので、到着後に食べなおしたけれども。カンタスはLCCの2社に対して、差別化しているのだろう。 |
シドニーには20時過ぎに到着。泊まる予定のFormule1は近いはずなのだが、どう行けばよいかわからず、空港内をうろうろ。 ようやく行き方がわかり、1kmほど歩いてホテルに到着。ひっそりした空港の周辺を歩いて心細かったので、Formule1という名前を見るとほっとした。 Formule1と言っても自動車レースとは何の関係もない。 |
ホテルは一応はツインルームなのだが、その実態はというと上の写真の通り。ベッドはまぁまぁの大きさ。さらに2段ベッドの上段が置かれている。子供用なのだろうか。上段のベッドはシングルベッドとしては小さめで窮屈そうだ。
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また、空港に隣接しているが、食事には事欠くホテルで、館内にも周辺にもレストランがなく、駐車場の一角にドーナツ屋があるだけ。 |
やむを得ず、そこでサンドイッチなどを食べた。 |
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