10 リガ その3

ラトビアの3日目。今日はリガを夜行バスでたち、エストニアのタリンへ向かう。朝食のあとチェックアウトし、荷物だけ夜まで預かってもらうことにした。

午前中は、リガの郊外にある、サラスピルスという、ドイツ占領時代につくられた強制収容所の跡を見に行くことにした。

郊外に行く列車は1時間に1本程度。9時30分ごろの列車に乗り込んだ。写真はリガ駅のホームにて。

30分ほどでダーズィニという小駅に到着。一見無人駅のように静かな駅だった。(帰りに切符を販売している窓口があったことを知った。)列車が過ぎ去ると、そこは森の中の駅で、駅のそばには民家もないので、乗降客はどこからやってきて、どこへ消えていくのか不思議であった。
ガイドブックの説明にしたがって、森の中の小道を歩く。ほかには同じ道を歩く人は誰もいない。写真のような道を歩いていくのだが、本当にこれでいいのか気がかりになる。しばらくいくと、朽ち果てた看板があって、この方角に行くとサラスピルスがあることはわかり安心したが、それにしてもひとけがなくて寂しい。

20分ほど歩いて、ようやくサラスピルス収容所の跡と思われる広大な広場が開けてきた。

ここには、アウシュビッツをはじめ、ポーランドやドイツに残されている強制収容所のように当時を物語る建造物は一切ない。

だだっぴろい広場の中に、人間の形をした巨大なモニュメントが数体つくられている。何もないのだが、ここにはバラック風の囚人棟があったんだろうと想像する。端のほうにはガス室や焼却炉もあったんだろうか。ここにはリガに住んでいたユダヤ人が収容されたらしいが。

記念碑と資料館らしき建物もあった。しかし、資料館は固く閉ざされていて中に入ることはできなかった。休館というよりは、当面はずっと閉鎖しているような感じだった。おそらく、ソ連の宣伝のような展示がおこなわれっていたので、展示を変えたりする必要があって、閉鎖されているのであろう。

しばらく、収容所跡にたたずんでいたが、誰もおらず、物音も聞こえてこないのが不気味であった。

再び20分ほど歩いて駅に戻った。その間も誰にも出会わなかった。ひょっとして、この日、サラスピルスを訪問したのは自分ひとりだったかもしれないくらいだ。駅に戻ると、ようやく人に出あえてほっとした。列車がくるまで、30分ほど待った。

リガに戻るとちょうど正午。駅前のマクドナルドで昼食。どこでも味わえる味である。日本よりも安いが、他の物価と比較すると日本の感覚よりもやや高いといった感じか。便利ではあるが、1回の旅行で何度も味わいたくはない。

午後は、リガの市街地のはずれにあるラトビア民俗野外博物館を訪問した。この手の博物館はバルト三国には、それぞれ1箇所づつある。

路面電車の終点で下車し、そこから20分ほど歩かねばならなかったが。路面電車の終点はループ式になっているのが日本とはちがう点である。

伝統的な木造建築をたくさん集めている野外博物館であった。ラトビアの各地域を代表する建築物が移設されているようだった。

本来はこの国の建造物は木造が中心だったのかもしれない。博物館の敷地内も森の中に建築物が点在するというような展示方法をとっていた。

予想以上に広大な敷地の中を歩かねばならなかったので、ハイキングのような感じであった。建物の中も見学できるようになっているのだが、あまりに数が多いのと、歩きつかれてきたため、途中で建物の中の見学はとりやめ、ただコースを歩いた。それでも、一通り回るのに休憩もいれて2時間くらいかかった。
再び路面電車の終点まで戻って、路面電車で旧市街に戻った。まだ夕食時間にはちょっと早かったので、旧市街をぶらぶら。一昨日と同じで、街角で演奏するミュージシャンがあちこちにいた。
少し夕食には早いが、夜行バスに乗る関係で、レストランを選んで、中に入る。
前菜のシーフードサラダ。これだけでも結構ボリュームがあった。
そしてチキン。照り焼き風であった。これまた量が多くて満腹。ビールもおいしかったのだが、これから夜行バスに乗る関係上、1杯でがまんする。

いったんホテルに戻って、荷物を受け取り、バスターミナルへ。ホテルのロビーとバスターミナルの待合室でそれぞれ1時間づつ、時間の去るのを待って、バスに夜行バスに乗り込んだ。

9に戻る    トップページへ     11に進む