2  伏見稲荷〜蹴上 

 

 
 上左   京都一周トレイル「東山コース」の出発点は京阪・伏見稲荷駅。

 上右   トレイルの案内板。東山の1だ。

 左   出発後すぐにJR奈良線の踏切を渡る。かつて関西の新快速の主力だった117系も今は奈良線などのローカルで使われているが、余命はわずか。
 
 
 上左   稲荷大社の本殿に参拝し、千本鳥居へ。

 上右   千本鳥居を抜けると奥社。さらに少し進むと、先日歩いた伏見深草ルートが分岐する。

 左   稲荷山に上るルートを歩き、四ツ辻に到着。この日は黄砂の影響がなくよく見えた。中央に見える黒っぽい建物が京都で一番高い日本電産本社ビル。
 
 四ツ辻は文字通り、十字路になっている。上ってきた広場で、写真の左手も右手もどちらに行っても稲荷山の頂上(一の峰)に達する。通常は、右から上って、左に下りてくる。

 下左   稲荷山頂上付近の案内図。真中の少し左下が四ツ辻。

 下右   この日は、北側への道(案内図では左下)に向かった。
 
 
 稲荷山を下りて、住宅街を歩き、泉涌寺に到着した。泉涌寺は初めてなので見学していく。門を入り、参道を下がっていく。下がるというのは珍しい。

 泉涌寺は皇室ゆかりの寺で「御寺(みてら)」と呼ばれる。13世紀から天皇の葬儀がここで行われることが多くなり、多くの天皇の位牌が安置されている。江戸時代の天皇、皇后陵はすべてが泉涌寺の敷地内に設けられた。

 写真は、向こうが仏殿、手前が舎利殿。仏殿は入場できた。
 
 霊明殿。歴代天皇のうち、天智天皇と光仁天皇から昭和天皇までの位牌がある。

 天智天皇と光仁天皇の間には天武天皇から7代の天皇が即位しているが、この7代の天武系の天皇の位牌はない。

 庭の外側から建物を見るだけだった。
 
 御座所。皇族が訪問したときに利用する施設で天皇、皇后だけが利用する玉座の間もあった。玉座の間は、直近では令和元年11月に今上天皇が即位報告に訪問された際、利用された。

 建物内は撮影禁止だったが、庭園のみOKだったので撮影した。撮影している自分の左手に玉座の間がある。
 
 泉涌寺を出たあと、コースを間違ってしまった。7の標識に気づかず、どんどん進んで、東大路通を通る市バスを見て、間違いに気づいた。

 戻ろうと思っていたとき、地元民に声をかけられ、行き過ぎていることを言われ、戻った。1kmほど行き過ぎてしまっていて、30分ほどロス。

 ショートカットもできるようだったが、7に戻った。

 下左   住宅地の中を通る。ちょうどこの下に東海道新幹線のトンネルがある。

 下右   阿弥陀ヶ峰に上る上り口。しばらく山道が続いた。
 
 
 
 上左   倒木をよけて歩いた。この先で、豊国廟(豊臣秀吉の墓)への分岐があり、訪問するつもりだったが、道を間違え30分ロスしているためあきらめた、

 上右   山を下り、国道1号線に出た。

 左   少し遠回りをして地下道で1号線の北側に向かった。この近くで遅い昼食。泉涌寺の境内は飲食禁止で、その後、腰を下ろせるような場所がなかなかなかったためだ。
 
 
 上左   1号線の北側から清水山に上る。

 上右   清水山の山頂に到着。この日のコースでは最高地点なのだが、樹木のために下界は見えない。

 左   清水山の山麓に清水寺があるが、清水寺へのルートは閉鎖されていた。
 
 突然、視界が開けると東山山頂公園だった。東山ドライブウェイの途中にあり、車でやってこれるので、人が多かった。
 
 東山山頂展望台からの眺め。左の真中あたりに見える白いのが京都タワー。

 下左   少しづつ下っていくが、かなり高い部分に都ホテルの敷地があってびっくりした。

 下右   さらに下ると都ホテルを裏手の上部から見ることができた。
 
 
 三条通に下りた。かつて中央分離帯の付近を京阪京津線が通っていたが、痕跡は全く残っていない。車が停車している付近に、蹴上の停留所があった。

 下左   疎水の水を利用した蹴上発電所。明治時代に造られ、今も関西電力の現役の発電所。

 下右   琵琶湖疎水記念館。入場が16時30分までだったので、間に合うようにかけつけた。でも、16時までというエリアもあり、入れなかった。
 
 
 インクライン。疎水を行き来する船をこの区間は台車に載せて運んだ。台車のレールの幅がとても広くてびっくりした。

 下左   台車を復元したものが置いてあった。

 下右   地下鉄・蹴上駅でこの日のコースを終了。コースは10.4kmだったが、道を間違えて12qくらい歩いた。
 
 

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