特3  大  原
三 千 院
 
 上左   出町柳駅から大原行きのバスに乗車。

 上右   大原方面は太原が終点で、ちょっとしたターミナル。

 左   まずは三千院へ向かう。この道は「大原女(おはらめ)の小径」と呼ばれている。
 
 赤しそ畑。太原の名産品、しば漬に使われる。

 大原は約30年ぶりの訪問だ。京都一周トレイルで大原戸寺町を通る関係で、大原も丸1日とって見て回ることにした。

 ただ、トレイルで通りかかった頃は寂光院が閉鎖中で、参観を再開するまで待った。この日は再開初日なのだ。
 
 上左   比叡山から流れてくる呂川に沿って坂道を上る。ほかに律川も少し北に流れている。

 ものを言うときの調子がおかしいことを「呂律(ろれつ)が回らない」というが、声明(しょうみょう)の「呂」「律」から派生した語だ。川の名も声明からきている。

 上右   漬物店の店頭。木は花梨(かりん)で春に薄い赤色の花が咲くという。

 左   石段をあがったところが三千院の山門。さらに進むと、定光院、勝林院、宝泉院があり、この場所から右手に行くと来迎院がある。
 
 三千院の山門。

 下左   中に入ると靴を脱いで上るのが客殿。中に入る前に客殿を外から撮影。

 建物内は撮影禁止。かつて客殿のどこかの部屋で写経をしたのだが、どの部屋なのか思い出せなかった。

 下右   客殿から見た聚碧園という庭園。
 
 
 宸殿。屋内を見てきてここから庭園に出る。いくつかの間を見たが、内部は撮影不可。

 大正15年にできたもので、御所の紫宸殿のつくりで作られた。
 
 有清園。

 一面、苔むしていて、緑の世界。
 
 往生極楽院。先に回ってきた建物より小さいけれども、これが本殿。

 建物も国宝だが、ここに安置されている阿弥陀三尊座像も国宝。(内部は撮影不可)

 仏像の上部の天井は舟底型になっていた。これも珍しい。もともとは舟底型の天井には天女や菩薩が描かれていたというが、全然わからなかった。
 
 わらべ地蔵。

 庭園に中に数体、ばらばらに置かれていた。
 
 弁財天。

 寺に中に弁財天がある。弁財天は池の中の弁天堂に置かれるこ都が多いが。ここは池も弁天堂もない。
 
 あじさい園にて。かなり咲いていたのだが、最盛期にはなっていなく、小さめのあじさいが多く、巨大なのは少なかった。

 下左   鎌倉時代の阿弥陀石仏。

 下右   おきな六地蔵。小さな地蔵が6つではなく8つあった。
 
 
 金色不動堂。ここは床にカーペットが敷かれ、靴のまま堂に入ることができた。新しいと思っていたら、平成元年にできたという。
 
 観音堂。ここも新しく、平成10年にできたという。

 下左、下右   堂内に大きな観音像があるほか、1万円で小さな観音像を祀ってもらうことができる。
 
 
 円融蔵。宝物殿として利用されている。平成18年にできた。

 文化財の収蔵庫で展示室もある。往生極楽院の舟形天井を新たに複製したものを見たが、とてもカラフルで美しいものだった。
実光院、勝林院、宝泉院、来迎院
 後鳥羽天皇と順徳天皇の大原陵。三千院のすぐ北側にある。

 後鳥羽天皇は上皇になった後に、承久の乱で敗れて隠岐に流されて、その地で崩御であったので、大原に天皇陵があったのは意外だった。

 墳墓は森の中にあるのだろうか、どのような形かわからない。
 
 大原陵のすぐ北側にある法華堂。後鳥羽天皇の冥福のために建てられたという。立札によると、仁治元年に建立、享保21年に焼失、安永年度に再建、昭和11年に修繕とある。

 仁治元年は1240年で、後鳥羽法皇崩御の翌年に建立され、江戸時代に焼けたということだ。

 天皇陵に隣接して、冥福のための建物があるのは珍しいのではないだろうか。
 
 大原陵、法華堂の道路を挟んで反対側にあるのが実光院。
 
 広間から見た庭園。
 
 庭園を歩いて回った。
 
 実光院の北側にあるのが勝林院。

 隣の宝泉院と合わせた拝観券にすると100円引きになるといわれ、共通券にした。

 最澄の弟子の円仁が声明(しょうみょう)の修行の場として開いた寺。付近は声明修行をする僧が多かったとのこと。
 本堂の正面に「大原問答」と書かれている。

 浄土宗開祖の法然が多宗派の高僧と浄土の教義について論じた会が大原問答。勝林院で行われた。
 
 本堂の東側の裏山のほう。
 
 次に勝林院の東側にある宝泉院へ。
 
 部屋から見た樹齢700年という五葉の松。地面近くで幹が3本に別れている。枝を支えるために支柱が建てられている。
 
 抹茶とお菓子が運ばれてきた。ここの拝観料は800円と高い(勝林院と共通券は1000円)のだが、抹茶とお菓子の接待が含まれているため。

 庭の松を見ながら、抹茶とお菓子をいただいた。
 
 お菓子は、餡を薄い餅で包んだようなものだった。

 下左   血天井。関ケ原の戦いの少し前、徳川方の鳥居元忠らが石田方の軍との戦いに敗れ、伏見城で自刃した。その場所の床を天井にして祀っている。

 下右   たった今、抹茶とお菓子をいただいたばかりの場所の上だった。
 
 
 石板。サヌカイトと呼ばれ、美しい音が出るのを試させてもらった。
 
 歩いて回る庭園の宝楽園。白砂の山があるのが特徴。
 
 次に来迎院へ。三千院まで戻り、山道を上っていくのだが、かなり距離があった。
 
 本堂。山の中にある静かな寺という感じ。

 下左   本堂の裏山を上って、聖応大師良忍の廟へ。

 下右   来迎院を出てさらに山道を15分ほど上っていく。ようやく音無の滝に到着。ちょっとしたトレッキングコースだった。
 
 
 
「志野 松門」の"八菜らんち"と寂光院
 昼食はバス停に戻る途中にある「志野 松門(しょうもん)」へ。ドレッシングやぽん酢で有名な「志野」が2018年に開店。

 築150年の古民家を使っていて、以前は大原郷土館として使われていたという。昔、大原にやてtきたとき入館したか定かではないが、ひょっとしたら入館していたかも。
 
 店内。

 写真の奥で靴を脱いで板の間に上る。テーブルが広い間隔をとっておいてあった。イスの高さが少し低すぎて、座りにくかったのが難。

 下左   外向けのテーブルを利用。

 下右   食事しながら見た庭園。
 
 
 八菜らんち。2200円。

 奥が、鶏からあげ、ナスの煮物、コーンとキャベツのサラダ。真中が、大根を赤柴汁につけたようなの、ニンジンともやしの和え物、ぜんまいと揚げの煮物。手前が、三度豆、ブロッコリー。鶏からあげ以外 は野菜。

 下左   野菜サラダ。白みそドレッシングがかけてあった。

 下右   卵入りのすまし汁。
 
 
 隣にある志野のドレッシング、ぽん酢販売店。

 下左   数多くの種類があるドレッシング。とまと、新たまねぎ、そしてさきほど口にした白みそと購入。

 下右   赤しそドリンクもいただいてみた。
 
 
 バスターミナルを越えて西にある寂光院をめざした。バスターミナルから15分ほど。

 三千院のある大原の東側は山がちで坂道だらけだったが、西側は平地が広がり、農村風景が見られる。
 
 おぼろの清水。

 建礼門院が寂光院に入るときに、この泉で月に照らされた姿を見たと伝えられている。

 建礼門院は、平清盛の次女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の母。清盛は安徳天皇になる子が生後1ヶ月で皇太子になり、外祖父として栄華をきわめたが、公家の反発が大きく、そこにつけこんだ源氏が立ち上がり、源平の騒乱になった。1183年、壇ノ浦の戦いで源氏の勝利となった、安徳天皇は海に沈んだが、建礼門院は源氏に救われた。源氏の世になり、建礼門院は寂光院で尼僧として余生を送った。
 
寂光院に着く直前に、寂光院に隣接して建礼門院陵である大原西陵への階段があった。
 階段の上にあった陵。
 
 寂光院も拝観券売場が下にあるがそのあと、階段を上り山門に向かう。

 寂光院は平成12年に火災(放火らしい)で本堂が全焼した。行ったのは火災よりも前の30年ほど前だったので、火災に驚いたことを覚えている。

 大原では再建された本堂を見たかったので、必ず寂光院を訪問するつもりだったが、コロナ禍のため長らく閉鎖されていた。寂光院のHPで、6月5日から拝観再開とアナウンスされていたのを見て、再開初日にやってきた。
 
 火災後再建された本堂だが、すでに長い年月を経たような雰囲気になっていた。

 内部にも入れたのだが、本尊の大きな仏像は赤や緑の極彩色が施され、仏像は新しいことがわかった。
 
 本堂前の庭園。
 
 千年の姫小松。

 建礼門院は後白河法皇が行幸で寂光院に立ち寄った際に面会。その場面は平家物語にも記されていて、松のことも書かれている。その松も平成12年の火災で傷み、平成16年に枯れた。そのため伐採され、下のほうがけが保存されている。
 
 石碑は建礼門院の住まいの跡の碑。右端の井戸は建礼門院が使った井戸。

 下左   宝物殿。平成18年にできた。建礼門院像や安徳天皇像、平家琵琶や平家物語の写本、火災を報じた新聞記事などがあった。

 下右   15分ほどかけてバスターミナルに向かい、帰宅。
 



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