特5  高雄、御土居、北野線跡
高雄・神護寺のあと立命館大学の食堂へ
 京都駅前から栂ノ尾行きのJRバスに乗車。栂ノ尾の2つ手前の高雄で下車。

 下左   バス停からいったん深い谷まで階段を下りる。

 下右   谷底まで下ってから清滝川を渡り、すぐに神護寺への参道の階段を上る。
 
 
 400段弱の階段と坂道を上がり、15分弱かかって、ようやく楼門に到着。

 楼門は工事中だった。

 下左   楼門を入ると広い広場がある。主な建物は広場の先にある。

 下右   広場に面している和気公霊廟。神護寺は真言宗で、寺を開いたのは和気清麻呂だ。

 
 広場の奥からさらに石段を上って金堂へ。

 ここが神護寺の本堂だが、昭和9年にできたもので新しい。本尊が国宝の薬師如来だが、堂内は撮影禁止。

 下左   さらに石段を上って多宝塔へ。

 下右   金堂から別道を下る途中、弘法大師(空海)が自ら掘ったとされる井戸。
 
 
 かわらけ投げの場所へ行き、試してみることに。

 下左   かわらけ。3枚がセットで200円。

 小皿の形をしているので、なかなか思うように飛ばせにくかった。
 
 
 
 
 上左   神護寺から槙ノ尾・西明寺へ向かう。神護寺の石段を下りたところから徒歩10分ほど。

 上右   西明寺へは少しだが石段を上る。

 左   西明寺の本堂。拝観料は本堂内で払うように書かれていたのだが、受付に人がいなかった。呼びかけてみたけど、誰もやってこず、本堂だけを見て引き上げた。
 
 
 上左   少し坂道を上り槙ノ尾バス停へ。

 上右   京都駅行きのJRバスに乗車。

 左   15分ほど乗車し立命館大学前で下車。写真左側がバス停、右側が目的地である堂本印象美術館。
 
 バス停から道路をはさんで向かいに大学の門がある。門の中に入ったところの写真。

 外側の白い建物が堂本印象美術館。門を入ったところに市バスの駐車場があり、大学内に市バスがたくさん入っていた。

 大学内の食堂で昼食をとってから、堂本印象美術館に行くことにする。
 
 衣笠キャンパスの食堂の中で一番大きいという存心館(法学部)地下の食堂へ。

 麺類・丼物、主菜、ご飯のコーナーに分かれていて、各所で希望の品を言って受け取る仕組み。副菜はケースがあり、各自で取り出すようになっていた。
 
 お金を払って、席へ。テーブル上に仕切りが設けられて、個食できるようにしてある。図書館の閲覧室の学習コーナーのような感じだ。
 
 ピリ辛サーモン丼、夏のさっぱり豚汁、冷奴、緑茶にした。

 お茶は給湯機でのサービスが休止で、ペットボトルを買うか、持参するかするようになっていた。
 
 立命館生協とあり、立命館大学生協ではない。これは、立命館大学(衣笠、草津、茨木)以外に、立命館アジア太平洋大学(別府)、付属中学・高校(長岡京、宇治、守山)の生徒、教職員も組合員であるから。

 組合員の場合はICカードにチャージして払うようだが、自分の場合は、非組合員なので、非組差額として5%割増の分を現金で支払った。

 結構多い感じもしたが、目安として表示されているものと「赤」「黄」は同じだが「緑」が少なく、目安よりも少しカロリーが少ない目なのは意外。(「赤」はタンパク質、「緑」はビタミン、「黄」は炭水化物が主の食品)
 
 食事後、堂本印象美術館に行くため、さきほど歩いたところを戻る。

 大学の敷地内にJRバスが止まっていたので見に行った。JRバスには京都駅・立命館大学間のバスがあるようだ。市バスの立命館大学発のバスもあった。本数は少ないが、キャンパス間の無料のスクールバスもあり、草津行き、茨木行きがあった。
 
 これは出口で自由に通れるが、構内に入るときは右の前方のテントを通り、その際に検温が行われた。
堂本印象美術館と御土居
 校門を出て向かいの堂本印象美術館へ。

 堂本印象は日本画家で文化勲章も受章している。作品を見たこともほとんどなく、抽象画の画家だと思っていた。

 関心を持ったのは、京都一周トレイルの第1回で、大岩神社の鳥居を彼が制作していて、斬新な鳥居だとびくりしたのがきかっけだった。
 
 ここもしばらく休館していて再開間もない時期だった。ちょうど「堂本印象生誕130年」という企画展が始まったところでよかった。

 彼の邸宅とアトリエはここの隣にあり、ここは私設の美術館だった。死後に京都府に寄贈され、運営は立命館が行っていたが、現在では財団による運営のようだ。2020年にリニューアルされたばかり。
 
 館内に入る前、撮影している自分の背後にあるロッカーに荷物を預けて入場。ここから先は撮影できず、していない。

 彼のデビュー当時からの作品が並べられ、作風の変化もよくわかる。60歳くらいまでは具象画でよく見る日本画だった。その後、抽象画が多くなるが、同時期に具象画も手掛けていた。寺の襖絵も多く描いているが、晩年のものででも抽象画もあるし、そうでないのもある。

 カトリック教会のステンドグラスも手掛けていて、実物を見に行きたいと思った。今回の目玉作品が、戦艦大和で掲げられた守護のための大和神社(奈良にあるとのこと)の絵で、制作目的を告げられず描いたようで、大和の出撃のさい取り外されて隠密に保管されていたもので初公開されたものだ。
 
 1時間ほどかけて鑑賞したあと、彼の邸宅とアトリエの前を通った。ここは立命館が管理しているようだ。管理を委託されているのか、寄贈されたのか。
 
 次に向かったのは、立命館大学国際平和ミュージアム。堂本印象美術館から徒歩5分ほど。ところがやってくると、休館中の雰囲気が漂っていた。

 
 なんとリニューアルのために2023年9月まで休館だという。この先、2年間以上の休館だとは、ちょっとがっかり。次の目的地をめざす。
 
 住宅街の中にある御土居に到着。

 御土居は豊臣秀吉が京の町を取り囲むように築かせた土塁。今は、部分的に10ヶ所に残っている。これはそのうちの1つで、北野天満宮の北の方にある。
 
 北野天満宮に北側の門から入った。北野天満宮は何回か訪問しているが、いづれも南側の正門から入る、裏側から入るのは初めて。

 北野天満宮にやってきた以上、参拝もするけど、今回の目的は御土居。北野天満宮の敷地内にはかなり大きな御土居があるのだ。
 
 御土居を自由に見学できるのだと思っていたのだが、整備されて青もみじ苑として公開されていた。秋は、もみじ苑なのだろうけど、それ以外の期間はどうなんだろう。
 
 御土居の上に遊歩道がつくられていた。先ほど見た住宅地の中の御土居よりも高くて幅も広くなっている。
 
 御土居を外側に下りたところの遊歩道。
 
 階段で御土居の上に上がり、さらに反対側へ下りると本殿などがある。
 
 本殿の前で茅(ち)の輪くぐりが行われていた。茅(かや)でできた輪を通り、無病息災を願い、厄除けをするのだ。

 下左   輪の回り方だが、右へ回り、左へ回り、もう一度右へ回る。その作法で回ってみた。

 下右   旗には本来の6月30日と書かれているが、今年は混雑防止のために1ヶ月ほど実施されるようだ。
 
 
 本殿で参拝し、表側に出た。

 表の鳥居のすぐ近くにポルトガル菓子店「パウロ・ド・カステラ」がある。5年ぶりに行ってみることにしよう。この日はこれで切り上げのつもり。
 
 店のHPで水曜日が定休日だと調べていて、この日は営業しているとばかり思ってやってきた。第2木曜日も休みだということを見逃していた。この日は第2木曜日。ちょっと失敗してしまった。
 
 定休日の案内の近くにリスボンでは6月13日にイワシの塩焼きを食べるのだという。これをイワシ祭りというらしい。

 それで、この店でも6月11日から13日までイワシを使ったパンを販売するという。この日は休みだったが、翌日リベンジし、イワシのパンを食べたくなってきた。
市電北野線跡探索
 国際平和ミュージアムが休館中、そして「カステラ・ド・パウロ」が休業日だったために大幅に時間があまってきた。

 そこで京都駅から北野天満宮の前まで走っていた京都市電北野線の線路跡をたどることにした。

 北野線は京都市電の中では唯一の狭軌の路線だった。そのため、四条通では広軌の路線と併用するため3本のレールの区間もあった。

 北野線は1961(昭和36)年に廃止された。1978(昭和53)年に全廃された京都市電の営業区間のうち、北野線だけは乗車する機会がなかった。

 北野天満宮から道路を挟んで滋賀銀行西陣支店があるのだが、その建物横に北野線の記念碑があった。
 
 北野天満宮の前の交差点。北野線の電停がどこにあったのかはわからないが、今出川通りには広軌の路線があったので、今出川線ができた以降は、横断歩道の手前に電停があったのだろう。この写真を撮影している自分の右手に滋賀銀行があり、背後に北野線の石碑がある。 
 
 
 上左、上右、左   路線跡の道路の両側の北野商店街では、マスコットのように市電の絵が使われている。

 下   商店街に面して、京都こども文化会館(愛称 エンゼルハウス)があったのだが、2020年11月に廃止されて、中には入れなくなっていた。ここは、かつては北野線の車庫だった跡地を利用していたのだ。
 
 
 
 上   会館の前庭には入れないのだが、隣の建物との境界の壁には市電の絵と簡単な路線図が張り付けてある。

 左   やがて沿線は商店街から住宅地に変わった。少なくなったものの古い家屋がある。市電のころからあった家屋だろう。
 
 堀川通りまでやってきた。道路の東側に堀川が流れている。現在は下に下りられるようになっていて、川のそばを歩くことができる遊歩道がある。

 北野線は堀川を渡って堀川の東側を走っていた。
 
 堀川を渡る。左側が、堀川第一橋という堀川にかかった最初の石橋。中立売通りにかかっている。

 手前は人道橋。

 真中にあるのが、単線時代の北野線の橋。細いし、下の遊歩道から見ると貧弱な造りに見えてこんなのでも大丈夫だったんだなって印象。
 
 複線になった後は、人道橋の右側に複線用の橋が作られた。これは残っていないが、橋があった場所はわかるように工夫されている。
 
 遊歩道から見た写真。手前が堀川第一橋で、その向こうに人道橋が見える。単線用の橋はこの写真では見えない。

 人道橋の向うを見ると、遊歩道の両側に飛び石が見える。この飛び石のある場所が複線用の橋がかかっていた場所だ。
 
 遊歩道より、堀川の西側を撮影。

 手前から、堀川第一橋、単線用の橋、人道橋があり、その向こうの河床にある飛び石が複線用の橋の跡。
 
 飛び石の部分。堀川の両側の部分はほとんどが石垣になっているが、この4つの橋の部分はレンガになっている。
 
 案内板の写真を拝借。昭和36年(廃止の年)の北野線と堀川。

 下左   建物は新しくなっているが、北野線のためにつくられたと想像できる変電所。

 下右   丸太町通りで探索を終了。地下鉄丸太町駅へ向かい帰宅。

 
「カステラ・ド・パウロ」のイワシパン
 翌日、「カステラ・ド・パウロ」を再訪問することにした。前日に掲示で見た3日間限定のイワシパンを食べるためだ。この3日間を逃すと来年のこの時期までお預けだし。もちろん合わせてポルトガル菓子も。

 前日やってきたばかりの北野天満宮の前まで再びやってきた。黄色の丸の部分に「カステラ・ド・パウロ」がある。

 
 酒蔵だった土蔵を利用している店。

 菓子などを作っているのはパウロさん。1993年、すでに菓子職人だったパウロさんが来日。その後、長崎でカステラ修行。

 智子ドゥアルテさんは、ポルトガル菓子に関心を抱き、働かせてもらった菓子屋でパウロさんと知り合い結婚。1993年にパウロさんとともに一時帰国。

 パウロさん夫妻は1996年、リスボンに戻りカステラ工房を開いた。2003年にリスボンの都心部にカフェを開店した。そして2015年に京都に移転して、現在の店を開店。

 パウロさんのことは、長崎でカステラ修行をされたときの新聞記事以来知っていた。それで、2007年と2012年にリスボンの店に行った。また京都に移転と知って、2016年に行っている。だからリスボンと合わせて4回目。短い話ながら智子さんとも4回目の会話。
 
 玄関。

 ポルトガルの国旗でポルトガル菓子店だということがよくわかる。ポルトガル菓子店ってめったになく珍しく貴重な店だと思う。
 
 お持ちかえりでなく、食事をすることを伝えると2階へ案内された。ポルトガルの雰囲気が伝わってくる装飾だ。

 下左   一部分は吹き抜けになっていて、梁もよくわかる。

 下右   壁には皿や食器などがあって見ているだけでも楽しい。
 
 パォン・コン・サルディ―ニャ。

 パンの上にオイルサーディン、パプリカのピクルスがのせてある。

 2回行ったポルトガルではイワシ料理を何度もいただいた。特に日本を思い出すイワシの塩焼が好みだった。
 
 ボーラ・デ・サルディーニャ。

 こちらはパンの中にオイルサーディンを詰めて焼いて、パイ風にしてある。

 下左   上のパン生地を食べたあとの様子。

 下右   ガラオン。カフェラテに似ているが、牛乳がコーヒーよりかなり多い。グラスに入っているが熱い飲物だ。
 
 ベイラリトラル地方のパォンデロー。

 パォンデローとは、カステラの原型で、卵、小麦粉、砂糖で作られている伝統的な菓子。ベイラリトラル地方はリスボンとポルトの中間の地方。

 中身が半熟状になっているのが特徴。
 
 上部の焼き上った部分を食べたあとの様子。卵と生地がドロっとしている感じがよくわかる。

 陶器に入れて焼かれるということで、その陶器のままで出されたようだ。
 
 食事を終え、お持ち帰りも少し買うことにした。密を防ぐため、買物は1人づつになっていて、少し待つ。

 奥が調理場になっていて、その手前に少しだけテーブルがあるようだ。
 
 ショーケースにあったもの、メニューで気になっていたものを注文。

 この日はほかの用件があったので、この店で昼食をとっただけで帰宅した。前日、定休日ながら行ったおかげでイワシパンのことを知ることができてほんと良かった。
 
 ビファーナ。

 豚肉のサンドイッチ。豚肉の量がとても多かった。この日の夕食にいただいた。
 
 パォンデローのお持ち帰り用の箱にはきれいなアズレージョ模様も描かれている。
 
 エストレマレドゥーラ地方とリバテージョ地方のパォンデロー。

 この2つの地方はリスボンの少し北の地方。(リスボンもエストレマドォーラ地方に含まれる。)

 これは銅やアルミの金型に入れて焼かれるという。
 
 これも中身が半熟なのだが、店内でいtだいたものよりはよく焼かれている感じで、やや半熟という感じ。

 これは翌日にいただいた。
 
 上左   以下は、翌々日にいただいた。プディン・デ・ジェーマ。修道院で作られていた卵黄だけで作ったプリン。

 上右   マミーニャシュ。小麦粉を使わず、卵黄と砂糖だけで作ったパフに卵黄のクリームがはさんである。

 左   パステル・デ・ナタ(単にナタともいう)。パイ生地に卵黄クリームが入っている。

 翌々日にいただいたので、今までいただいたものより少し固まっていた。

 いい店だ。ポルトガルはヨーロッパの中でもお気に入りの國なので、ポルトガル気分を味わえてよい。また訪問してみたい。



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