2日目 ウ ド ン
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トゥクトゥクで遠出 |
この日は一日フルで使える日だ。それでプノンペンの北40kmにあるウドンへ行ってみることにした。 7時半にホテルのレストランで朝食。このホテルでは、朝食は正規料金の半額で宿泊者に提供されるとのこと。5ドルのところ、2.5ドル請求された。 まずまずの朝食だ。旧フランス領らしく、パンはフランスパン。 |
8時半にホテルを出て、すぐ近くの交差点へ。トゥクトゥクが待機しているからだ。 交渉の結果、30ドルでウドンを往復することになった。 |
途中、トンレサップ川のすぐ横を通った。 |
バイクが木のベンチを前向けに並べた長い車をひっぱるタイプの乗り合いの乗物を何度かみかけた。 ミャンマーではトラックバスに乗ったことがある。トラックの荷台に前向きで木のベンチがとりつけられたものだ。今回見たものは、トラックの荷台の部分だけの車をバイクがひっぱるわけだ。これには乗る機会がなっかったが、乗ってみたいものだ。 |
田舎の食堂。衛生面が心配だから、食べてみたいとは思わないが。 |
トゥクトゥクの後ろを見たらまったく車が走っていなかった。前にもほとんどなしで、少し郊外に行くだけでなのに交通量がずいぶん減るものだと思った。 |
ウドンの遺跡が山上に見えてきたところで小さな道路に入った。 バスだとどこで下車すればよいかということと、下車したところでトゥクトゥクが拾えなさそう(バイクタクシーならありそうだが、、)が問題のように思えるので、トゥクトゥクできて正解だったと思われる。 |
ウドンの遺跡が近づいてきて、ノロノロ運転になった。何か行事があるらしく、向かう車や帰る車が多い。 警官が警備をする中、僧侶の一団が歩いていった。 |
順調に行けば1時間半あれば十分なところ、2時間ほどかかって10時半に麓の駐車場に到着した。 |
ウドン |
駐車場から石段を上る。石段は2箇所あって、マンステップとレディスステップとガイドブックに書いてあるが、これがどちらかわからないまま上りはじめた。レディスから上り、マンで下りるのがよいとすすめてあったので、マンの方が長い石段なのだろうが。 上り始めて、マンだったのだとわかった。なかなか長く、10分くらいかかり上に達した。 |
ほう |
上左 内戦後の2002年にできた新しい仏塔。ここに人が集まり、祈っている。 上右 仏塔の前には僧侶が並んですわり、施しを受けていた。 左 仏塔の真下が寺になっていて、参拝する人で混雑していた。 |
仏塔の下からは平野が一望できた。プノンペンは右上あたりだが、肉眼でもよくわからなかった。 下左 新しい仏塔が建っている場所が一番高いところで、そこからは尾根伝いの緩やかな坂を下っていく。途中にいくつか仏塔がある。 下右 ある仏塔はよく見ると仏の顔が四面に彫られたものであった。なかなか珍しいものだ。 |
、 上 道端のお布施いれ。 左 干支に合わせてカゴが12種類。 |
尾根を下ったところの祠。 ここからはレディスステップですぐに下りられるのだが、ここからさらに石段を少し上がったところにある「18腕尺の仏陀のビハーラ」があり、行ってみる。 |
内戦で破壊され、応急修理をしたって感じだ。 |
内部も修復途中だった。黄金の大仏があり、多くの参拝者があった。 |
尾根伝いの道にならぶ仏塔がよく見えた。一番高いところにあるのが新しい仏塔。 |
左左 レディスステップを下った。確かにわずかの距離であっという間だった。 左右 すぐにトゥクトゥクで帰路に着く。
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途中、仏塔のある丘がよく見えた。帰りは1時間半でホテルに戻れた。14時にホテル着。 さて、ウドンと日本の「うどん」が関係するという考え方もあるのだ。徳川家康がカンボジア王に対し朱印船貿易を申し出て、その後、日本とカンボジアが貿易を開始。そしてカンボジアにも日本人が居住しはじめ、プノンペンに日本人町がつくられた。そして日本人が、当時は首都であったウドンで食べたカンボジアの麺を日本に持ち帰り、その麺が「うどん」と呼ばれるようになったというのだ。真偽はわからないが、なかなか面白い。 |
プノンペン街歩き |
ウドンから戻った後、1時間ほどホテルで休憩。15時ごろに街歩きに出発。もう15時になっていたので、昼食はパスすることにした。 まずは、ホテルから20分ほど歩いて、独立記念塔へ。1953年にフランスから独立したのを記念した塔。アンコール遺跡の塔の形をモデルにしている。ロータリーの中心にあって、近寄ることはできなかった。 |
独立記念塔のすぐ北側には大使館が集まっている。そのため警備が厳しく、屋台などはみられず、他のエリアとは雰囲気が違っていた。 大使館エリアの北側には、ストリート240があり、外国人向けのおしゃれな店が軒をつらねている。並木があって、涼しげなのもいい。 |
さらに少し歩くと王宮がある。王宮と一体になっているシルバーパゴダもあわせて入場しようとしたのだが、このときはクローズだと言って、入れなかった。僧侶が入っていく姿がみられたので、何か行事が行われていたのだろう。 |
王宮の前には大きな広場があった。芝生で覆われていて気持ちよさそうだが、実際にはとても暑く、日のあたる広場には出ていられなかった。このとき、黒い雲が空を覆い始め、スコールが近いことがわかった。 |
王宮の前には、国王の大きな写真がかけてある。2004年からシハモニ国王になっている。 カンボジアの王様としてはシハモニ国王の父であるシアヌーク国王の存在がとても大きい。フランスからの独立したあと、王国でありながら社会主義的な政策で反米的な国づくりをした。しかし、親米的なロンノル政権ができ、国王の座を追われ、国はクメール共和国となり、中国に亡命。かつて社会主義的政策をとっても、急進的なポルポト派は弾圧していたが、亡命後はポルポト派と協力。しかしポルポト政権ができ、中国から帰国するが、まもなく王宮に幽閉された。親ベトナム政権ができると再び中国に亡命し、反ベトナム勢力のまとめ役となった。ベトナムの撤退後は内戦の終結につくした。まさに激動の時代を生きた王であった。 2004年にシアヌークはシハモニに王座をゆずり、北京で療養。そして2012年にシアヌークの死去で名実ともにシハモニ国王の時代になったといえる。もっともカンボジアは王国とはいえ、タイに比べると象徴的な王だといえ、目立たない存在だ。 |
1970年にシアヌークは王座を追われて以来、ロンノル政権、ポルポト政権、親ベトナム政権の時代を経て1993年に王座に復帰した。世界の王様の中でも珍しい存在だともいえる。
王宮のすぐ北側にあるワット・ウナロムまでやってくると、多くの僧侶がワットに入るところだった。 |
僧侶の後ろには一般市民もたくさん歩いていた。仏教の特別なお祭りの日だったのだろう。 |
トンレサップ河畔にでてみた。ちょうどスコールが始まり、あわてて王宮前広場の近くにある雨宿りできるところに駆け込んだ。 |
屋根の下はたくさん人であふらかえっていた。スコールは20分ほどで終わった。 |
メコン川とトンレサップ川の合流点。写真で中州の向こう側がメコン川。手前がトンレサップ川だ。 |
トンレサップ河畔には万国旗がならんでいた。それにしても、この国旗の並べ方にはびっくりした。 |
街中にはサルが闊歩していた一角があった。十数匹のサルが電線を伝って、道路の一方の側の屋根から、その反対側の屋根に渡っていくさまは迫力があった。 |
旧中央郵便局。いまは郵便電信省として使われている。 |
こちらもフランス時代からの古い住宅。 |
ワット・プノン。階段の下。 |
階段を上ったところの本堂。 |
中央市場。フランス時代につくられた建物。中は17時になると閉まるらしく、閉まっていた。 |
ホテルに戻り、カンボジアビールをいただき、夕食ででかけるまで2時間ほど休憩。 |
カンボジア料理 |
プノンペンでは2泊しかしないうえ、初日は北朝鮮レストランに行ったので、カンボジア料理の夕食を味わえるのはこの日しかない。 さいわいホテルから100mほどのところに、ガイドブックで安くて旨いと書かれたカンボジア料理のお店があったので、ここに行ってみることにした。 「ロムデン」という店で、1軒のフランス風の邸宅をリノベーションして使っているとかで、おしゃれな雰囲気なのもいい。 |
NGOが経営していて、ストリートチルドレンだった若者を雇って、社会に送り出す目的で店を出している。いわば職業訓練の場なのだ。そのためか、店員のサービスはぎこちないところが多々あったのだが、笑顔で対応してくれて感じはよかった。売り上げはNGOの活動費になっている。 プノンペンでは外国人に人気のある店のひとつとかで、店の前にはトゥクトゥクが待機している。 |
本当はプールぎわの席を確保したかったが、混んでいて、それはかなわなかった。邸宅の中も興味があったが、冷房がなかったので、暑そうで、屋外に席をとった。それでも暑かったのだが、扇風機をすぐそばに置いてくれたので気持ちよかった。 飲物はアンコールビールの大瓶を注文。ラベルにはアンコールワットが描かれているのが特徴。カンボジアでは一番目にすることが多いビールだ。暑いので、ジョッキでグッツと気持ちよかった。 料理は英語も併記されていたが、どんな料理かイメージできないままに注文したら、注文した二品とも予想外のものが運ばれてきた。
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米の細めんと生のもやし、パパイヤ、ゆでた豆をスープカレーに入れて食べる料理。 |
バナナリーフに入ったチキンカレーとご飯。 お腹一杯になってホテルに帰り、2日目終了。 |
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