4 日 目 前 半
この日の朝食は小籠包。早朝から、じゅるるる、、と汁のわき出てくる快感を味わいながら小籠包をほおばれるのはうれしい。 ただ中国語がよくわからず、せいろに入れたまま座って食べるつもりだったのが、あっという間に、ビニール袋の中に入れられてしまった。 これだけでは、少し足りず、前の日にも食べた、もち米に油條を巻いたものを求めた。
地下鉄は少し郊外に行くと高架になっていた。中華門駅で下車。
駅の近くからは、地下鉄内ではよくわからない地下鉄電車の全体がよくわかる。 【 17 雨花台 】 雨花台は南京市の南部の丘。紀元前5世紀、越王勾践がここに築城。そのため、 古代の史跡も園内にある。雨花台の名は、六朝の梁の時代、僧侶の経文を聞いた神が雨のように花を降らせたという伝説に由来する。 しかし、ここは、近代以降は、太平天国の乱、辛亥革命、日中戦争、国共内戦と数々の戦争のさい南京攻略戦の舞台となってきた血なまぐさい場所である。また、中華民国時代は刑場であった。
入場すると、前方に巨大な彫像が見える。烈士群彫である。 現在、雨花台の中心的な役割は、革命の途上に命を落とした人たちの陵園 。ここで、1927年に蒋介石が実権を握ったあとの中華民国時代に、共産党員が多数、この地で処刑されたのだ。 ここはたいへん広大な敷地になっている。中心施設である烈士記念館まで、入口から2kmくらいあった。
古代史跡の多いエリアの中心にあるのが雨花閣。この建物は歴史的なものではなく近年つくられたもの。 左は雨花閣から眺めた革命烈士記念碑。 雨花閣の近くには、南宋時代に江南第二泉もあったのだが、ただの泉にしか思えなかった。
雨花閣から革命烈士記念碑までもかなりの距離。さらに、烈士記念館までは、またかなり離れている。
烈士記念館では、1927年以後に処刑された共産党員を詳しく紹介していた。ひとりひとりの生い立ちや生活ぶりまで紹介されているのが興味深かった。モスクワに留学した20代の知識人が多かったのが印象的であった。
入場料は25元(約375円)で、ゆっくり見ていたら、まる1日すごせそうな場所である。 【 18 中華門 】
雨花台の入口からバスで中華門へ。もっとも、バスに乗った距離は、雨花台の中を歩いた距離に比べると、ずっと短い距離でしかない。 中華門は南京の城門のなかでも正門というべきところである。だから特に大きい。
4重の門になっていることがわかる。だから中庭のような部分が3つある。
左は、一番外側の門の上部から、他の門の上部を撮影したもの。
右は、蔵兵洞。兵士や荷物を保管する蔵で、27ヵ所あって、3000人の兵を待機させられた。一部の蔵兵洞は、書画が展示されていたり、土産物屋が入っていたりしていた。入場料20元(約300円)。
【 19 瞻園/太平天国歴史博物館 】 瞻園(せんえん)は南京で有名な2つの庭園のうちの1つ。もうひとつは、総統府の中にある煦園(くえん)。瞻園のほうが大きい庭園であり、金陵第一園といわれる。 ここは明朝のはじめからあった庭園である。太平天国の乱のときには、ここに乱の指導者、洪秀全が住んだ。 そのため、庭園に隣接して、太平天国歴史博物館がおかれている。
博物館では、太平天国について細かな展示がされていた。太平天国の統治していた時代の南京にも欧米人が訪問しているなの興味深いものであった。
【 20 夫子廟 】
夫子廟とは孔子廟のことであるが、その周辺の繁華街も夫子廟とよんでいる。 下は、秦淮河。
夫子廟では、2006年夫子廟灯会がおこなわれていた。 夜は明かりが灯されてきれいなのだろう。25元(約375円)だったが、夜は30元だとのこと。
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