2 日 目  青 島 市 内 周 遊

 

  7時から朝食。中西式自助餐と朝食券に書いてあったが、実際は中式。

  左下の皿は主に粥の具だ。変わったところでは、右上の米粉か。

 

 

 

 

  この日の天候は小雨時々大雨時々曇りってところだった。一日中、傘を手に持っていた。徒歩で青島市内をみて回ろうというものにはちょっとつらいが、見方を変えると、ほとんど日焼けしないわけで、一長一短。

  8時にホテルを出発。10分ほどで、天主教堂に到着。1930年に完成したもので、ドイツ、日本(1回目)の統治時代、北洋軍閥政府時代を経て、国民政府時代に建設されたものだ。

  旧市街地で一番の繁華街である中山路から少し坂道を上がった高台に位置している。

  たまたま、この日は日曜日の朝だったので、ミサが行われていた。しばらく、後ろで中国語による聖歌を聞いて雰囲気に浸っていた。

  堂内はほぼ満席で、後ろには立っていた人もいた。ミサのために、堂内を見てまわれなかったが、ミサを見ることができたのはよかった。

  旧ドイツ総督府。1903年に建てられた重厚な建物だ。

  ドイツ統治時代は1914年に終わるが、その後、ここの主は、日本軍になった。

  その後、北洋軍閥政府、国民政府を経て、再度、日本軍の拠点となった。1945年からは南京国民政府そして1949年以降は人民政府と主は変われども、常に青島市政の中枢であった。

  この付近の民家にも、欧風の歴史を感じさせる建物がかなり見られる。

  次に向かったのは、基督教会。中国では、基督教というとプロテスタントを意味し、カトリックを意味する天主教とは別の宗教と考えれれているようだ。プロテスタントの中では、何という派なのかはわからなかった。

  ドイツ統治時代である1910年の建築で、時計台の時計はそのときから時を刻んでいるという。通常は、教会に入るには入場料が必要で、時計台にも上れる。しかし、訪問時は、日曜礼拝の最中で、入場料は不要なかわり、時計台にも上がれなかった。  

  基督教会も人であふれていた。内部は天主教堂よりも広かったが、やはり後ろで立っていた人もいた。しばらく、聖書の朗読を聴いていたが圧倒されるものがあった。

  天主教堂に比べると、内部は装飾がない簡素なつくりで、壁はほとんど白塗りで、窓も多くとても明るい。説教をしていたのは女性牧師で、その模様がスクリーンに大きく映されている。

  

  つぎは、信号山。市内にある山のひとつだが、基督教会から、つぎに向かう旧ドイツ総督官邸の間にあるので、雨の中、傘をさして階段を上った。

  左の画像の真中にあるゲートから階段を上っていく。雨にもかかわらず、狭いゲート前には観光バスが止まっていて、ツアーコースであることをうかがわせる。

  山上には、赤くド派手な球形をした展望台がある。

  しかし、雨が土砂降りのようになってきて、展望台まであがるのをあきらめた。

  中腹から、右の旧ドイツ総督官邸の写真をとって、下山することにした。

  下山後は、しばらく雨宿り。小降りになってから、旧ドイツ総督官邸へ向かった。

  旧ドイツ総督官邸は、信号山の山腹にある。入口から少し歩くと玄関。細かい装飾もあり、手の込んだ建物だ。

 

 

 

 

 

  1957年には毛沢東がここに滞在し、右の部屋で周恩来、劉少奇、ケ小平なども出席した政治局会議が行われたという。

  温室もある。明るいつくりで、現代の建築のような印象を受けた。

 

 

 

 

 

  右は、2階への階段。2階には総督室があた。その後、蒋経国、ホーチミンなどがそこに泊まったとのこと。林彪の滞在した部屋も2階にあった。毛沢東の滞在した部屋は1階にあった。

  次に、青島山に上がった。この頂上には、ドイツ統治時代に使われた青島要塞がある。左は、その地下指揮所の入口。地下指揮所は、見学することができるので、入ってみた。

 

 

 

 

 

  内部は、地下壕と変わりなく、司令室、休息室、医療室などが設置されていた。上中は、入口の上の表示。右は、地下内の通路である。

  左は、司令室。ドイツ統治時代の写真が展示されていた。内部の気温は、年間を通じて12度に保たれていて、夏の盛りだったので、とても涼しく気持ちよかった。とはいえ、一人になると薄気味悪く、あまり長居はせずに外に出た。

 

 

 

 

  右は、山頂にある望台。鉄製で上部の円形の部分は回転する。その中から、湾内に入る船舶を見張れるようになっている。(現在は、山頂には樹木が茂り、展望はよくない。)地下指揮所から地下階段を通って、ここに達するのだが、その階段は公開されていない。だから、地上を歩いて達した。

  下山すると、麓には砲台展覧館があり、入館。ドイツ統治時代Q中心としつつ、現代にいたるまでの青島の歴史の展示を行っていた。

 

 

 

 

 

  雨の中を、バスの通る大通りまで歩くのは大変だった。数少ないタクシーはいづれも客を乗せていて、結局、30分ほど歩いて、バスに乗ったのだ。足元はボトボトになった。

  前夜、海鮮料理を食べた近くの餃子専門店についたときには、13時を回ってい た。

  珍しく煎餃(焼餃子)があるので、2種類の餃子を注文。同じ種類の餃子でも、水餃は10元、蒸餃は12元、煎餃は15元と、煎餃は割高になているが、中国では出している店が少ない煎餃を注文 。

  ところが、出てきた餃子を見て、あっと驚いた。あまりの量の多さに。1種類にしておくべきだった。とはいえ、時間をかけて完食した。

  餃子で満腹になったあとは、再び、バスで旧市街地方面に逆戻り。

  八大関地区の散策。このあたりは、洋風建築がたくさんあるのだ。その中でも、有名なのが花石楼。別名、蒋公楼と呼ばれ、蒋介石の別荘であった建物だ。

  上は、花石楼の最上部にある楼閣から見た海水浴場。

  左は、デンマーク風建築という公主楼。

  八大関地区は緑が多く静かで散策にはもってこいだ。ただし、雨が降っていなければ、の話。

  上の画像の高いビルが東海飯店だが、そまで30分ほど歩くと、もうびしょぬれ。東海飯店も、古い建物があるらしいのだが、発見できず、近くのバス停からバスに乗車。

  魯迅公園で下車し、海軍博物館に入場した。青島はドイツ統治時代から海軍の拠点だった。右は、毛沢東が乗船して閲兵したという船。

 

 

 

 

 

  さまざまな兵器の展示があり、展覧館では海軍の歴史や制服などを展示していた。

  そのあと、小青島に行こうと入口まで行った。小青島は、500mほどの堤防でつながれた小島だ。だが、雨がきつい上、風も吹いていて、傘が吹き飛ばされそうだったので断念した。

  バスで、新市街の雲霄路に再び行き、夕食にした。

  前日行った海鮮料理店の隣の「海島漁村」も、大きくて賑わった店だったので、そこで海鮮料理を食べることにした。

蒸しうに 蝦の清蒸

あさり原汁 青菜炒め

  店員は、携帯電話に似た端末を持っていて、材料、調理方法、量を選択して、厨房に転送するという方法だった。

  材料は生簀を指差すだけ。調理方法は端末の画面を見せてもらってその中から選んだので、まぁ何とか選べた。

  だが、量が困った。蟹のように1匹なんていうのは問題ない。蝦やイカなど「斤」が単位になっているものも多いのだが、1斤ってどのくらいの量か不明。あさりは、750gが1単位になっていたのだが、殻も入れての量で不明。

  蝦は1斤46元(約735円)、あさりは750g12元(約190円)だったので、この位かなぁと思って注文。そして、運ばれてきた料理を見て唖然。多すぎた!

  結局、時間をかけてゆっくり食べた。蝦は完食。あさりと青菜は半分残した。逆に、うにはもう1個注文してもよかったなぁと思った。

  食後は、30分ほどかけてバスで旧市街にもどり、ホテルへ。かくして2日目も終了。

 

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