3日目

 

 3日目は、ホテルでの朝食のあと、まず地下鉄で上海駅へ。そして、バスで玉仏寺へ向かった。バスは、ノンエアコンのバスだったので1元。帰りに上海駅まで乗ったバスはエアコン車だったので2元だった。

 バス停から少し歩いたところに玉仏寺があたが、入場券売場が長蛇の列。入場券は10元と思っていたら5元。ガイドブックによると旧暦で毎月1日と15日は5元だという。帰国後調べたら、旧暦で15日だった。旧暦の1日と15日はもともと参詣者が多いのだろう。

 

 

  玉仏寺の名の由来は、別料金5元を払って入場する玉仏楼に安置されている、白玉でできた仏像にある。ここもすごい人出で押し合いながら見学した。

  ここも入場料には線香代が含まれていたので、線香の引換所で線香をもらい、焼香した。

 

 

 

 

 バスで上海駅に戻って軌道の明珠線の駅へ。地下鉄の乗換えで長大な距離を歩かされるのは、いろいろな国であることだが、上海の例外でなく、明珠線の駅へは長い地下道を歩かなければならない。

 明珠線は高架を走るので、国鉄の操車場や古い街並みをよく見渡すことができる。

 

 

 

  明珠線の虹口足球場駅で降りるとすぐ目の前が虹口足球場(サッカースタジアム)。おそらく、足球場は魯迅公園の一部を転用したのであろう。魯迅公園へ行くと、公園の緑地の中に足球場が割り込んでいた。しかし、駅からは、足球場に邪魔されて公園は見えない。

  魯迅公園はとても広く、その中に、魯迅記念館や魯迅の墓がある。

 

 

 

  魯迅に関する資料を集めた魯迅記念館。近年改築されたらしく、一挙に以前の10倍の面積になったという。

 

 

 

 

 

  公園の奥のほうに魯迅の墓がある。銅像の後ろのほうに見えている壁のようなもののところに墓がある。

 

 

 

 

 

  近くで昼食。注文したのは伽哩牛肉面。こればかりは、日本のカレーラーメンとまったく同じような料理である。具の牛肉は、焼豚の牛肉版のようであり、香草がたくさんのっている。このほか、蟹入り小籠包も注文。

 

 

 

 

  続いて、魯迅故居へ。門からはいって、右手のアパートの奥から二軒目が魯迅が、死去する前の3年半住んだ住宅である。

     門を入ったところが入場券売場。入場はいったん、ここから出て、左隣の門から故居の中に入る。入るとすぐに入口の扉は締め切られ、ガイドに連れられて見学する。

  寝室、書斎やトイレなどが、当時のまま残されている。

 

 

 

 

  魯迅故居の入っている建物と道路を隔てたところにある建物。コンビニが入っている。こういう感じのコンビニが実に多い。

 

 

 

 

  多倫路文化名人街。骨董品屋や露店の書店が並んでいる。

 

 

 

 

 

 

  延長100mはありそうな、古い3階建ての集合住宅。1階は店舗になっている。

 

 

 

 

 

 名人茶芸館。ここの2階、左手のテラス席で休憩。歩きつかれたころだったので、30分あまり休んだ。

 

 

 

 

 

  テラス席からの眺めは良かった。道を歩く人を見ていたら、あっという間に時間がすぎていった。

 

 

 

 

 

 

 花茶を注文。お湯はポットで運ばれ、3回おかわりした。

 

 

 

 

  点心は何か聞かれて、何も考えていなかったので、メニューから適当に選んだ。出てきたのは、炊き込みご飯のようなもの。かなり歩いて、空腹になってきていたので、ちょうど良かった。

 

 

 

 

  このあと、古い民家の並ぶ町を歩いて、明珠線の宝山路駅へ。ここでも、古い建物の密集した地帯のすぐそばに、巨大な新しい駅ができていて、アンバランスを感じた。

 

 

 

 

 

  上海駅で地下鉄に乗り換えて、黄陂南路駅で下車。付近は淮海路のショピングエリアでにぎやかである。

  大韓民国臨時政府旧址は、駅から10分ほどの静かな道路から路地を入ったところにあった.。入場券売場は路地の入口。右の写真で金色の案内板のあるところが旧址。

 

 

 ここには1926年から32年まで、大韓民国臨時政府(一種の亡命政府)が設置されていた。とはいっても、秘密の集会所のようなものだったようである。内部には、金九の使った机などが残っている。しかし、すぐ近くに日本租界があったりしたため、ここでの活動は困難になり、32年以降は中国各地を転々と移動したようである。

 日本のガイドブックには掲載されていない。しかし、韓国人のツアーではよく来るところのようで、自分の訪問していた30分ほどの間に2グループがやってきた。

 1992年に中韓の国交が開かれ、同年、盧泰愚がここを訪問して、整備の話をつけて、93年に開館した。また93年に金泳三、98年に金大中、2003年に盧武鉉が訪問して、それぞれ色紙に一言残していた。

 

  続いて、10分ほど歩き、中国共産党代第一回全国代表大会旧址へ。略して一大会址。

  1921年に、毛沢東ほか13人がここに集まって、共産党の活動方針をたてたという。当時の机が残され、毛沢東の座った位置などが表示されている。

 

 

 

  会議の開かれた部屋は小さな部屋で、隣接して炊事場や休憩所があった。

  記念館が設置されていて、共産党の歴史の展示が中心であった。中華人民共和国の建国にいたるまでがメインになっていて、その後は簡単な展示であった。また文化大革命の時期については、ほとんど扱われていなかった。思った以上に来館者が多かった。

 

 

  このあと、再度、淮海中路に出る。大型のショピングセンターなどがあって、南京東路のような人出はないが、時代の先端を走っているような町である。

  歩いてホテルにいったん戻って、1時間ほど休憩。

 

 

 

 

 

 

  南京東路までくるともう真っ暗。ネオン輝く街を、傘をさして歩いた。この日は朝から雨が降ったりやんだりであったが、歩行街を歩いたころはかなりきつい雨が降っていた。

 

 

 

 

 

 

  夕食にラーメン店にはいる。呉越人家という有名店で、あちこちに支店があった。いろいろなラーメンがあったが、ラーメンとは別に具ののった皿がでてくるのが特徴。

  注文したのは、一番値段が高かった、蝦仁蟹粉面で38元。具にはエビとカニがふんだんにはいっていた。安い具のラーメンもいろいろあり、10元からいろんなメニューがあった。

 

  南京東路を外灘まで歩き、外灘観光隧道へ。10人程度が乗れる車両が次々と自動運転されている。車両の進行にともなって、トンネルの中で光のショーが繰り広げられる。

  

 

 

  

  5分ほどで黄浦江の地下をくぐり、反対側の浦東に到着。

  着いたところは東方明珠塔のすぐそば。

 

 

 

 

 

 

  東方明珠塔はアジアで一番高いテレビ塔である。  左の写真で上の方に見える球状のところが、263mの 中球、さらに高い部分に350mの上球がある。中球だけなら50元、上球もいくなら100元である。ただい、上球まで行く場合は、地下にある上海城市歴史博物館が無料で入れる。 中球だけいって、博物館に行く場合は35元いる。ということで、上球までいった。

  しかし、これは失敗であった。なんと上球まで行くエレベータに乗るために2時間並んだのである。そして、上球についたら23時で、外灘などのライトアップが終わってしまったのである。下球だけ行くエレベータなら、そんなにならばなくてもよかったのに。

 

  

せっかく2時間も並んだのに、塔からはポツポツとした明かりしか見えず残念であった。しかも、降りるエレベータに乗るのに30分待ちとは。

  すでに深夜になっていたが、地下にある上海城市歴史博物館を見学。昔の上海の様子などを実物模型を使って展示しているのが特徴である。それに、この種の博物館にありがちな、共産党の宣伝という側面がないので、楽しく見ることができる。とはいえ、日付が変わらないうちにホテルに帰りたかったので、駆け足見学。タクシーでホテルへ帰ると、ちょうど0時だった。

 

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