日目  洛 陽 その1 

 

  深夜、軟臥車のコンパートメント内で、何かが動く音がした。何かと思って床を見ると、ねずみが動いていた。

  朝になり、車両ごとに乗っている車掌が、部屋にも掃除をのためにやってきた。一通り掃除をしたあと見たのは、、、何と、ゴミを窓から捨てているではないか、、

  こういったことにショックを受けながら、夜が明けても列車に乗り続けた。

 

 

  食堂車で朝食。

  トマト入りの卵とじが美味しかったのは覚えている。この料理は、いたるところで食べた。中身の入っていない饅頭を初体験したのは、この食堂車であった。

  洛陽着は13時12分の予定だったが、1時間以上遅れた。だが、2006年現在では、上海発22時09分の列車が、洛陽着12時28分である。10年間で18時間半が、14時間半にスピードアップしている。

 

 

 

  ようやく洛陽駅に到着。上海・洛陽間は1122km。日本でいうと、東京・博多間とほぼ同じなのだが、こちらは在来線の夜行特急で10年前も現在も16時間。この両区間の比較だけなら、中国の列車のほうが早くなったことになる。

  洛陽駅のホームには、給水所があったが、ドラム缶から水を注ぐもの。これも、現在はないだろうな。

  洛陽は、西周の洛邑建設にはじまり(都は鎬京(現在の西安)におかれた)、3000年の歴史を持っている。都が置かれたのは、紀元前770年の東周が最初で、その後、三国の魏、西晋、北魏など9王朝が都を置いた。

  中国6大古都は、北京・西安・洛陽・開封・南京・杭州なのだが、このうち都が置かれた期間が一番長いのが洛陽とは意外な感じがする。 現在は、河南省に属するが、河南省の省都は鄭州である。河南の「河」とは、黄河のことで、黄河の南側が省の主な範囲だ。(黄河のすぐ北側も河南省である。)

  洛陽着後、まず向かったのは、洛陽古墓博物館。洛陽の北郊外にあって、博物館の中に墓が展示されている。前漢から北宋までの墓が23見られる。ここは写真を撮っていないので、チケットだけが訪問の証である。 

  次に、市場の見学。あまりの人の多さに圧倒された。店の従業員が、中国将棋をさしているところも写っている。

  

 

 

 

 

 

 

  このあと、東郊外にある隋・唐の時代の宮殿の跡を訪問している。現在は、何の変哲もない草むらのようなところなので、画像は省略。 

  続いて、洛陽都城博物館へ。ここは内部の展示がどんものであったのか、記憶がない。建物は左のとおり、古代中国風。

  この日、訪問した古墓、都城博物館と隋・唐の宮殿跡は、現在のガイドブックには掲載されておらず、位置などがわからない。

  この日の見学はこれで終わり。ホテルに入り、夕食。夕食後は、外出などせずに休んだ。

 

 

 

 

 

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