10日目  北 京 その2

  

  北京2日目は、徒歩とタクシーで北京市内を回ることにした。その前に、ホテル内に入っている旅行会社のカウンターでツアーを募集していたので尋ねてみた。

  八達嶺長城へのツアーは、日本語ツアーと英語ツアーが毎日ある。それ以外の行き先のツアーは人数が集まり次第、いろいろな行き先に向けて、日本語又は英語で行われるようだ。たまたま、翌日は、周口店と盧溝橋への日本語ツアーがあるとのことで申し込み、その翌日は、長城への英語ツアーを申し込んだ。英語ツアーにしたのは、日本語よりかなり安かったからだ。  

  そのあと天壇公園に向かった。当時は、まだ外国人料金の制度が公然と残っていたのだが、何も言わずにお金を出せば、中国人料金で入場券が買えた。

  左は、祈年殿。ここは、皇帝が豊作を祈願する場所であった。15世紀、明代につくられた。丸い建物で、青い瓦が美しい。

 

  右は、皇窮宇。16世紀につくられ、皇帝の先祖の位牌をおさめている。ここも丸い建物で、青い瓦が美しい。

  周囲を回音壁という壁が取り囲んでいて、音がよく響くように設計されている。音を確かめてみた記憶はあるのだが、どんな音が聞こえたのかは覚えていない。

 

 

 

 

  このあと、天安門広場までまた歩いた。そして向かったのは、毛主席紀念堂。毛沢東の遺体が防腐処理され保存されているのを見ることができるようになっている。午前中しか見ることができようだった。ついたときには長蛇の列 。

  まず、カバンとカメラを預けなければならない。そのあとは、延々と並んだ。だが、列が動くスピードは結構速く、30分ほどで毛沢東の遺体と対面できた。だが、遺体の前で立ち止まることは許されない。で、ほんの少し立ち止まってみたら、係員が容赦なく背中を押してきた。だから、遺体を見ていたのはほんの10秒くらいだった。

  当時、中国の航空会社のリコンファームは、窓口でハンコを押してもらうことが必要だった。そのために、西単にあるオフィスまででかけた。

  そのあとは、タクシーで円明園に向かった。18世紀、清代につくられた離宮であるが、1860年のアロー戦争のさいに英仏軍によって破壊されてしまった。

  左は、石造の西洋楼の破壊された跡。

 

  古代ローマ時代の遺跡を思い浮かばせるようなところだ。

  修復が行われないまま放置されていたが、そのために遺跡らしくなっていているように思った。

  最近は、一部で修復がはじまっているようであるが、自分はもとのままのほうが味わいがあっていいと思うが、、

 

 

 

  この日最後に訪問したのは、頣和園。18世紀、清代につくられた離宮。

  ここも1860年に英仏軍によって破壊されたのだが、19世紀末、西太后によって修復がすすめられた。

  広大な敷地がひろがり、夕方近くに行ったため、駆け足での見学になった。

 

 

 

 

  園内にある万寿山にあがってみた。長い階段を上ってみたら、排雲殿があった。

  そこからの園内の風景を見ると、とてもきれいだ。

  閉鎖ぎりぎりまで園内にいた。その後は、ミニバスに乗って前門まで戻った。途中で渋滞に巻き込まれ、1時間近くかかったようだ。

 

 

 

 

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