2 日 目 |
部屋の窓からは、北京駅に発着する列車がよく見えた。ちょうど、北京行きの夜行列車がどんどん到着する時間帯だったので、いろいろなところからやってきた列車を見ることができた。 この列車は、北京・天津間115kmを30分で結ぶ。中間区間は専用線だが、北京駅付近は在来線に乗り入れている。 この鉄道もオリンピック直前に開業したものだ。車両は、上海・南京を結ぶ高速鉄道と同じ車両。和諧号という名前が書いてあった。 |
この列車は、瀋陽北からやってきた夜行列車。 しばし列車を見てから、さぁ出発。ホテルの近くには、昔ながらの胡同(フートン)がかろうじて残っていた。(下左) 公衆便所も新しくなったようだ。中は見ていないが、ニーハオトイレじゃないという。(下右) |
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ここの胡同も開発の波が押し寄せていて、大通りの北京站東大街に面した部分は、大型ビルが新築されて、胡同があったことさえうかがい知ることができなくなっている。 胡同の案内表示のかつて平屋家屋があったと思われる場所に大きなビルが建っていた。(右) 北京駅に近いところまで行って朝食。写真入りのメニューがあったので、指さして注文。清湯炸醤麺。(下) |
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昨日も降りた前門駅で地下鉄を下車。まず前門を正面から見た。ビルのような感じで、古さを感じさせない。(上) さて、前門大街がオリンピックのために全面的に作り変えられた。昔の前門大街の面影はまったくない。以前来たときは、下町風情の残るエリアだと思っていたが、人工的な味のない街になってしまっている。よく見れば、ほとんどテナントがまだ入っていない。ここは夕方、またやってくるので、そのときにくわしく見ることにしよう。(左) |
前門大街の一番北端に路面電車が置いてあった。かつて北京にも路面電車が走っていたのだなと、はじめて知った。(左) さて、昨日見かけて、この日に行くことにしていた鉄道博物館。ここに行くために、前門駅までやてきたのだ。 ところが、その前まで行ったらまだ工事中。もうすぐオープンだろうけど、きょうはまだであった。 HPではすでにオープンしているという情報もあるし、いったいどういうことだろう。 |
この鉄道博物館の建物だが、京奉鉄道の正陽門駅の跡に建っているとのこと。(左) 仕方なく、地下鉄とバスを乗り継いで、景山公園に向かった。前門から天安門広場、故宮を越えると真北に景山公園がある。昨日は、その区間を故宮を見学しながら歩いた。この日は時間もなかったし、地下鉄とバスにしたのだ。 昨日やってき故宮の裏門。入場券売り場で入場券を買い、中に入った。 |
入場したところにオリンピックにちなんだ5色の輪ができている。(右) 中では、水書をする人をみつけた。(下) たくさんの人たちが集まって気勢をあげていた。(下右) 明の最後の皇帝・崇禎帝が首をつって自害したとされる木もあったが、何度も植えかえれているらしい。 |
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一番高いところは、下からだと43mなのだが、入口近くの階段をあがるとなかなか大変なので、裏手の坂道をあがっていった。 景山公園の一番高いところから故宮を臨んだ。故宮の中の建物がよくわかる。朝に南向きに撮影したので、逆光になってしまった。(上) 続いて、北海公園へ。 景山公園の西門から出て、北海公園の東門に向かった。その途中に昔ながらの商店街がり、地元客の行列ができていた。 |
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北海公園は、遼のときに皇室の庭園として造られたもので、金・元・明・清と受け継がれたきたという。1000年以上続いた皇室庭園なのだ。 北海に対して、故宮の西側に中海・南海もあるが、ここは、あわせて中南海と呼ばれ、共産党の中枢部になっていて、入ることができない。 東門から庭園に入るとすぐに橋があり、島に渡る。その橋の下は蓮で埋め尽くされていた。(上左) 島の中心に小さい山があり、そこから見た北海。(上) その山には白塔がある。清代につくられたチベット式の仏塔だ。(左) 小山を下りて、北海の北側に船で向かった。(下左) |
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北海の北側から見た白塔。(上) 北側には、九龍壁がある。壁の両側に無数の龍が描かれている。(左) 北海公園から出ると昼過ぎで昼食時間。向かったのは、京味麺大王。 |
飲み物は燕京ビール。(右)
中国のビールといえば、青島ビールが有名だが、北京に関しては地元の燕京ビールが圧倒的にシェアが多そうな感じだ。レストランなどでも燕京ビールを飲んでいる人が多いし、単に、ビーチュって注文した場合は燕京ビールの一番安い瓶のが供せられた。
料理は、メインが炸醤麺(ジャージャー麺)。これが、この店の名物らしい。(下)
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炸醤麺は、黒味噌をあえて食べる麺。きょうり、にんじんなどの千切りも混ぜ合わせる。この店では、黒味噌と野菜が別皿ででてきたが、これは店独自なのだろう。
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昼食後は、まず什刹海公園。北海の北側に続く湖だ。(上左) その岸辺には、今風のカフェが並んでいて、ここが中国かというような感じもする。(上) 次に、郭沫若故居へ。文学者であり政治家で、日本でも有名である。このエリアに住居があったので行ってみた。(左) 内部は四合院建築になっていた。(下左) |
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次に、恭王府へ。乾隆帝の臣下の和坤の邸宅。だがのちに罪に問われ、没収されたという。(上) 付近を散策。このあたりにも昔風の平屋の長屋のような建物がみられる。四合院もあるらしいのだが、歩いているだけはわからなかった。(左) 道路沿いに見えた后海。(下左) 后海の端の部分に賑やかなエリアがあった。(下) |
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次に、鼓楼へ。開放時間内に間に合うように着いたのだが、この日は開放されていなかった。(上) 鼓楼のすぐ北側にある鐘楼。こちらも開放されたいなかった。(上右) 1kmほど離れた南鑼鼓巷。普通の胡同だったが、今はおしゃれなエリアになった。(右) 古い路地裏(下)が残るが、新しいカフェ(下中)が多くできている。ここで一休み。(下右) |
南鑼鼓巷に交差する路地は、昔ながらの胡同。探索してみたかったが、京劇鑑賞が控えているためにパス。(上左) 南鑼鼓巷の南端。観光地化してきて、こういうゲートが造られたのだろう。(上) 京劇は湖広会館であるが、地下鉄・前門駅が近いと思っていた(実は間違い)ので、地下鉄駅までトロリーバスに乗車。連接車であった。(左) 地下鉄4号線と2号線で前門へ。 |
歩行者天国になっていた前門大街を散歩。歩いている人は多いのだが、店はほとんど営業していなかった。まだ、テナントとして入居している店がほとんどなかったのだ。作り物の街という感じだ。(右) 営業している店はわずかだった、有名店では全聚徳(右下)、都一処などが営業していた。 ここで失敗した。17時ごろに前門の地下鉄駅から前門大街を端から端まで歩いた。さらに前門大街の端から湖広会館の近くまで歩いた。 |
この距離が4kmほどあったのだが、地図を見間違えていて、もっと短いものだと思っていたのだ。 前門からバスに乗ればよかったのだが、14年前に歩いた時、もっと近かったように思っていたので歩いてしまった。そのため夕食をとった餃子館にはいったのが18時20分。 悪いことは重なるもので、また判断ミス。時間が迫っているのだから、この際、夕食は麺類の店に入るか、ファーストフードですますべきだった。 |
でも、せっかくの夕食だからと、餃子館にはいってしまった。出てくるのに時間がかかったうえ、量が思ったよりも多く、食べるのにも時間がかかった。食べ終えたのが19時13分ごろ。
料理自体は美味しかった。 イカの炒め物(左)は柔らかく、あっさり味で日本人向けだと思った。 それに鍋貼(焼餃子)。自分は、焼き餃子が好きだ。濃厚な味に加えて、あのパリパリ感がいいのだ。 |
中国では、水餃は出しても、焼き餃子を出していない店もある。夕食に入った店では焼き餃子を出していたので注文。
さて、食べ終わると即、京劇会場の湖広会館に急いだのだが、またまたミスをしでかした。 |
もう時間がないというのに、会場の湖広会館の場所を間違えてしまった。交差点の1つの角にあるというのに、その角じゃなく、もっと離れたところまで行ってしまったのだ。
目の前にあった湖広会館を通りすぎ、500m行きすぎて、誤りに気づいた。おかしいと思ってすぐに引き返したが、着いた時には19時30分。 |
あきらめて、湖広会館の写真だけとり、代わりに、ライトアップされた天安門を見に行くことにした。今度は、バスで前門まで行った。10分もかからないで到着。
夜の天安門もきれいだ。ホテルへは天安門東から地下鉄を乗り継いで戻った。 |
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