3 日 目  731部隊跡

  3日目の朝食。この日は731部隊跡を訪問する予定だ。731部隊跡は9時から開場なのだが、開場と同時に入りたい。バスは1時間ほどかかる見込みなので、7時30分ごろのバスに乗りたい。となると6時30分の朝食サービス開始とともに朝食会場に入りたい。でも身支度に時間をとってしまい少し遅れた。それでも開場10分後に朝食会場の大宴会場「ボルガ」に入った。

 前日と同じく、セイロに入った温かい点心もいただいた。前日とは違う種類のおかずを中心に盛り合わせた。前日はパスしたデザートもしっかりいただいた。おかげで満腹に。でも、温かいジュースだけは飲めたものじゃなかった。

 7時30分にホテルを出発。バス停は前日に下調べしていたので、すぐに行けたが、乗ろうとしたバスに客が殺到し、座れそうになかったので、つぎのバスにした。8時過ぎに出発。

 乗ったバスは338系統。「哈站」発で「新疆大街」行き。731部隊跡は終点まで乗り、200mほど戻ったところだ。終点まで乗ればいいのは、降りるところを気にしなくてもいいのでラクチンだ。20kmほどの距離で、市内バスにしては長距離。それで2元。乗るときに1元払い、降りるときに1元払うようだった。途中のバス停から乗車したり、途中で降りるときは、下車するときに乗車区間をドライバーに言って、必要なら1元を払うようだった。途中での乗降りは言葉で困りそうだが、幸い全区間乗車でよかった。

 「新疆大街」は哈爾浜の南郊の平房区の中心のようで、地下鉄の建設計画が新疆大街まであるようだ。

 ここでも哈爾浜站の前と同じようなオート三輪のタクシーを見かけた。

 バスはちょうど1時間かかり、このとき9時少し過ぎだった。

  「731部隊」は日本陸軍の生物兵器の研究機関で、正式名は関東軍防疫給水部本部であった。日本陸軍には番号で部隊名を示す慣わしがあり、その研究機関は「731部隊」と称された。細菌を使った生物兵器の開発のためを人体実験を行い、実戦でも使用したいう主張が中国ではなされているが、日本ではそれは誤りという説もある。そのあたりを自分の目で確かめてみようと731部隊跡を訪れた。

 381系統のバスの終点から来た道を少し戻ると、部隊跡の入口にやってきた。

 731部隊の敷地は周囲5kmに及んだといい、土壁で囲まれ、壁の上には電線があり、電流が流されていた。また壁の外側には堀もあったという。

 入口には南門の柱の土台の部分もあった。

 また、かつての守衛所が、今は入場券の交付所になっている。入場は無料だが、IDカードを提示する必要があり、外国人の場合はパスポートを見せなければならない。また、説明を聞くレシーバーがあり、日本語でも説明が聞けるのだが、これは15元いる。

 ちょっと困ったことに気づいた。予定では9時に入場して12時ごろまで見学するつもりだった。しかし、開館時間が9時から11時と13時30分から15時30分と2時間30分も昼休みがあるのだった。すでに9時30分。果たして11時までの1時間30分で見学できるのだろうか。本部大楼を1時間30分の駆け足で見学しても、外側の見学箇所は無理そうだ。

 自分が持参したガイドブックは05年版の「地球の歩き方」。この年に大連に行ったのでそのときに買ったものだ。その本の記述では9時から16時が開館だったのだが。「周一閉館」は、星期一(月曜)閉館ということだろう。

 入場券を交付するところには参観路線図が掲示してあった。青い色が本部大楼で展示室になっている。そのあと緑の線に沿って見学するだが、よく読むと1.5kmあるという。跡地内を移動するカートもあるようだが、歩いて移動したい。

 11時まで本部大楼を見学してから、いったん街にでて昼食をとったり街歩きをして、13時30分に外の建築を見るために再訪問することにした。これでこの日は731部隊跡だけで終わりになるがやむをえない。

 下は入場券。

 いよいよ本部大楼に向かう。 731部隊の管理棟で、今は展示施設である。

 玄関のところで入場券を見せるとともに、日本語で説明を聞くレシーバーを耳につけてもらう。レシーバーの保証としてパスポートを預けなければならない。展示室に入れば、その部屋の説明が聞けるようになっている。展示室は撮影禁止だった。撮影していた人はたくさんいたが。

 中に入るとまず2階に上がる。そして毒ガスについての展示があった。日本軍の毒ガス研究や日本軍が毒ガスを使った戦闘についての展示であった。満州国では化学兵器を関東軍化学部、516部隊が研究しており、731部隊と共同実験をしたとのことである。

 そのあと2階でも、毒ガス展示のあった翼とは反対側の翼へ。今度は生物兵器についての展示だ。日本軍の生物兵器研究や実際に日本軍が使った事例についての展示であった。これについては、生物兵器などの人体実験や実戦での使用が果たしてあったのかどうかまでは、自分で判断できなかった。

 2階の端の部屋は、部隊長であった石井四郎の部屋の展示であった。このあと部隊長専用だという階段を下りて1階へ。1階も生物兵器に関する展示が続いていた。 

 

 レシーバーを使って説明はすべて聞いたのだが、時間がかかり、外に出るときには11時30分になっていた。すでに他の見学者はおらず、自分が展示室を出るたびに電気が消されていった。でも、早くするようにせかされるようなことはなかった。これはいいことだ。外に出るときにレシーバーと引き換えにパスポートが返された。そして、自分が外に出ると出口が閉じられた。

 この画像は本部大楼の裏側で、柵で囲まれているところは渡り廊下があったところだ。渡り廊下のはじまりの部分が少し飛び出ている。この廊下を通って、地下監獄などのあった四方楼に向かうようになっていた。

 すでに閉館時間になって30分過ぎていたが、外部の遺構も見て回ることにした。注意をされれば、外に出るつもりはしていたが、見学できればそれにこしたことはないので。

 外に出たところにはカートが並んでいた。開館時間ならこれを使う人も多いのだろう。

 本部大楼の北側にあった四方楼の跡地。ここが細菌研究をおこなったところで3階建てであったらしい。本部大楼の裏側の画像の渡り廊下の延長線上にある。

 溝になっているのは本部大楼から続く地下道。右上に石が見えるが、その付近の地下には監獄があった。

 遺構の向こうにアパートが見えるが、アパートも731部隊施設の敷地の内部に建設されている。そのさらに向こう側にも、731部隊の遺構が残されている。

 上の画像で石が見える付近の地下の様子。レンガの遺構があるが、これが地下監獄の跡。

 展示室での説明によると、ここに収容されていた囚人はマルタと呼ばれ人体実験に使われたという。

 建物が多くは残っていないのは、敗戦時に破壊したからだ。そして731部隊の幹部はデータを米国に提供するかわりに責任は追及されなかった。そのために、真実が闇に埋もれた。

 二木班。結核研究のグループ。本部大楼の西側に残されてiiいる。

 このあと、敷地の北側のアパートの北側に残されている施設を見学しようと北門まで行ったが、ガ〜ン。門は施錠されていた。そりゃぁ、開館時間じゃないから。動力班の半分破壊された大きな廃墟もそこに渡る通路が施錠されていて近づけない。

 仕方なく、いったん敷地から出ることにした。正門ももちろん閉じられていたので門扉を開けて外に出た。その間、係員に出会うことがなく、自由に行動。

 正門から出たのは12時。昼休みなってから1時間くらい中にいたことになる。外に出る際に、入場しようとした客が守衛所に入ってすぐ出てきたので、昼休みは入場券の交付の窓口も閉じられているのだろう。

 敷地の外側を通って、北側に残る施設と動力班に向かうことにした。

 新疆大街に将来の731部隊跡の計画図が描かれていた。平和公園のようになるようだ。そして、敷地内のアパートは撤去されるようだ。

 敷地の東側には線路があり、かつては731部隊の専用線だったようだが、今は一般の貨物線になっているようだ。

 線路の東側には工場があり、さらにその東側の道路を北に向かった。上の将来計画図では工場も撤去され公園になるようだ。

 東側の道路は、上の計画図では公園の右上の辺にあたる部分だ。ここを歩いているとロバ車にであった。塀の向こう側は工場敷地で、その向こうに動力班の廃墟が見える。

 731部隊跡の敷地外を通って、北側の門までたどりついた。先ほどは内側から行ったが施錠されていたところだ。この画像ではアパートの左側に北側の門がある。

 また、アパートの右側に、731部隊跡の第二敷地ともいえるところがある。画像ではアパートの右下に黒く四角いものが写っているが、それが第二敷地の門扉である。

 さらに、線路沿いに100mほど左に行ったところに動力班の廃墟がある。

  まずは動力班に向かった。ここは巨大なボイラーがあったところで、現在は煙突2本と壁が一面残されているだけだ。壁は板のようになっていて、マカオの有名な教会のような感じだ。この裏側にも立ち入ることができた。

 もっとも敷地内から線路を越えてやってくるのは、出入口が施錠されていてできない。

 ついでアパートの北側にある、第二敷地といえる場所にやってきたが、門扉は閉ざされていた。

 このとき12時45分。仕方ないので、13時30分の午後の開場を待つことにした。とは言うものの、この場所で1時間待つのはつらいし、アパートの住民に不審者と思われかねない。それで、いったん新疆大街にもどることにした。

 新疆大街に戻ると手洗いに行きたくなってきた。ショッピングセンターがいくつあったので、そのひとつに入ってみて、1階から4階まで探したが客の使える手洗いはなし。

 次に別のショッピングセンターに行くと1階にはKFCの店が入居していたので、ここを使おうとしたら、何と「暫停」の2文字が張られていた。

 さらにそのショッピングセンターの中を探してようやく手洗いにたどり着いた。久々に利用する有料の手洗い。料金は5角。個室にはドアがついているが、中国式でドアの側を向いてしゃがむ。中国式とはいえ、きれいに掃除されていて、不快感はない。でも、日本でも和式を使うことがめったになく、しゃがんでいるのがなかなかつらい。

 今度は、731部隊跡の西側に沿って、第二敷地に戻ることにした。

 本部大楼の西南側には中学校があった。さきほど見た将来の計画図では、この中学校も公園になっていたので、いずれ移転するのだろう。この中学校、かなり古い旅行記を見ると、本部大楼を校舎として使っていて、展示施設は別のところにあったようだ。

 さらに部隊の敷地内のアパート群の中を通って門扉に戻ったが、まだ閉まったまま。すでに13時45分だったのだが。

 どうしようかと悩んでいたら、列車が通る音が聞こえてきた。貨物列車がやってきて、何と動力班の廃墟の前で機関車の付け替えをはじめたのだ。

 それでディーゼル機関車の付け替え作業を見学。

 貨物列車が去り、14時ごろ第二敷地の門扉が開かれた。開場は13時30分からだが、急いで見学しても第二敷地までやってくるのには30分くらいかかるから、14時ごろに開門されたのだろう。

 右  冷凍実験室。第二敷地の入口から100mほど入ったところにある。

 下左  冷凍実験室の内部。ひんやりとしていた。

 下右  小動物飼育室。地下の飼育室への階段の入口。中に入られた方の旅行記も見たが、行ったときには入れなかった。

 

  右  ねずみの飼育室。木造の長い建物であった。

  下左  ねずみの飼育室の内部。小さく区切られた四角い穴が並んでいた。

  下右  第二敷地の建造物を見たあと、第一敷地に入り、線路沿いに南へ歩いた。途中、ガス衛生室らしき建物が線路の向こう側に見えたが、工場の敷地内なので、現在は行けない。いずれは公園になる用地ではあるようだ。そのあと、正門から出て、731部隊跡をあとにした。門から出たのは14時30分。

 
  731部隊跡の敷地から出たが、部隊の兵士や家族の宿舎は敷地外に広がっていた。また宿舎などで使う水をまかなう給水塔も敷地外にあった。

 新疆大街の交差点を100mほど西に行ったところに給水塔があった。新疆大街の街のど真ん中である。

 給水塔っても、自分が今までに見て知っているのは円柱型なので、731部隊跡で説明を見なければ給水塔とは思わなかっただろう。

 
 新疆大街をはさんで南側には部隊の兵士や家族の宿舎がたくさんあったのだが、その建物はかなり多く残されている。

 多くの建物は今もアパートとして使われている。

 
 宿舎跡を見た後は、露店が並ぶ道を歩いてバス停に戻った。

 トラックの荷台のみかんを売っているところ。

 
 露店の並ぶ通り。
 
 いきのいい魚を売っていた。地面に置かれると飛びはねていた。松花江でとれた川魚なのかなぁ。
 
 バス停に戻ってバスを待つ。まっすぐ並ばねばならないように鉄柵が作ってあって、中国とは思えないくらいまっすぐ並んでいた。画像の右下がその列。

 ところがバスが列の前にやってくると、どこからか並んでいなかった人がちゃくさん集まってきて、並んでいた人よりも先に乗ってしまう始末。それでも何とか座れたが、やっぱりって感じ。

 
 バス車中。右側の窓が少し開いているのがわかるだろうか。客が何とか閉めようとしたが、結局閉まらなかった。そのためその後ろに座っていた自分のところにも、風があたり、寒くて困った。

 1時間かけてバスは「哈站」へ。行きと同じで、乗るときに1元、降りるときに1元を払った。

 
  哈站に戻ったときには17時前ですでに薄く暗くなっていた。

 またもや足は中央大街に向き、13系統のバスに乗車した。このバス、中央大街から哈站に戻るときには前々日、前日と2回乗車して、通るコースがわかっていたのだが、哈站から中央大街に行くのは初めて。

 哈站の次のバス停は、芸術広場であった。それで、中央大街は古いロシア建築が並んでいるので芸術広場という名がついているのかなと思って下車した。しかしバス停間違いだった。芸術広場とはソフィスカヤ寺院の前の広場のことだったのだ。それで中央大街まで20分ほど歩いた。

 ロシア料理店を探して歩き、ある店に入ったのだが、いつまでたってもメニューをもってこなかたので、この店は出た。そして次にやってきたのが、前々日に行った「ロシア」の別の店。

 
 
 上左  店内の様子。壁や天井、椅子もなかなか手の込んだものだ。

 上右  ハルビンビール。

 左  紅菜湯(ボルシチ)。

 
 熱土豆泥(マッシュポテト )。これは前々日も食べたが、ソースのかけかたが違っていた。でも美味しいことと、量が多いことは同じ。
 
 油炸包子(ピロシキ)。
 
 ピロシキの中。前々日に食べたロールキャベツと同じく、米粒が入っている。
 

  糖葫芦。日本のりんご飴のようなもの。モルデンホテルの1階のカフェの入口のところで売っていた。 歩きながらこれを食べる。3元。

 

 
 この日から「首届哈爾浜相亲文化祭」が始 まっていた。「相亲」とはお見合いということ。第一回哈爾浜お見合い文化祭ということのようだ。

 中央大街では展示やお見合いカードを紐にくくりつける催事が行われていた。

 
 お見合いカード。
 
 カードはこのように紐に取りつけられている。
 
 防洪記念塔の前には仮設ステージが設けられ、催事がおこなわれていた。お見合い相手選びみたいなことをやっていた。
 
 仮設ステージと群がる人たち。ちょうど弱い雨が降っていた。背後の塔が防洪記念塔。

 下左  松花江大橋もライトアップされていた。

 下右  スターリン公園の公衆トイレ。こちらもライトアップ。

 
 
   モルデンホテルの1階ではアイスキャンディーも売っている。濃い牛乳味でアイスクリームに近い感じ。こちらも歩きながら食べる。5元。

 

 
 バスで哈站へ。すぐにホテルに戻り1日を終えた。
 

2日目へ  哈爾浜のトップへ  ユーラシア紀行のトップへ   4日目へ