4 イースター島(島南部の遺跡) |
島の朝は遅い。朝食は8時30分からだという。遅いなぁ、と思っていたが、夜明けが遅く7時30分を過ぎてからだった。そう、こちらは冬なのだった。そう考えると、8時30分からの朝食というのもなるほどだ。ホテルの庭を見ながらの食事はなかなかいいものだ。 この日は9時にツアー開始。午前中に島の南部の遺跡を回る予定になっている。午後はフリーなので、歩いて行ける範囲の、ツアーでは行かないところに行ってみることにする。 |
(5)アフ・タハイなど 9時前から待っているというのに、なかなかバンが来ない。やってきてわかった。昨日は自分のホテルが最初の方だったのだが、この日は最後の方。どうしてかというと、アフ・タハイなどは、村の北部にあり、ホテルを回るにはその方が都合がよさそうだからだ。 ほどなく到着。ここには3つのアフが近接している。まず、すぐに目につくのが、5体のモアイは立っているアフ・バイ・ウリ。5体の前に住居跡などもある。 |
少し離れて立っているのが、アフ・タハイ。さらに、そこから少し離れて立っているのが、アフ・コテリク。 アフ・コテリクは、まず目が入っているのが特徴だ。モアイ倒し戦争で、モアイが倒されると次に目がくりぬかれた。眼力が村を守るとされたからだ。目が修復されているモアイは島でこれだけだ。 もう一点の特徴は、プカオをかぶっている点。プカオまで修復されているモアイはそう多くない。 制作時期は、アフ・バイ・ウリが最も古く、アフ・タハイがその次、アフ・コテリクが最も新しい。古いモアイほど丸っぽく、次第に顔が長くなっていく。 下は、遺跡の上のほうからの全景。海をバックに複数のアフが並んでいるのを見ていると何時間ここにいたっていいという気になってくる。 |
(6)ラノ・カウ 巨大な火口湖だ。この火山、火口の部分の直径は何と1600mだという。高さは200m。 イースター島には火山がたくさんあり、島は火山島なのだ。 火口湖の中には、葦が浮かんでいる。この葦、チチカカ湖の葦と同じ種類だという。何かつながりを感じさせれれる。 |
火口湖の展望台に、比較的保存状態がいい鳥人のレリーフが残っている。 体の部分はすぐにわかる。手足もわかる。鳥の形をした頭部からくちばしがでているのもなんとかわかる。 この石、高さや幅は1mくらいだ。周りにある石は、入ってはいけないよの印。 |
(7)オロンゴ儀式村 儀式村と呼ばれているこの遺跡は、鳥人儀式が行われていたところから名付けられた。 鳥人儀式というのは16世紀ころからイースター島で行われていた儀式で、頭が鳥、体が人の鳥人を神として崇拝するものだ。 モアイは18世紀ころには全部倒されてしまうのだが、それ以後、鳥人儀式が盛んに行われるようになった。 毎年、村ごとに選ばれた若者が、この場所から断崖を下りて、海の中にある島(近いほうからモツカオカオ、モツイチ、モツヌイ)に渡り、その年最初にやってきた渡り鳥の卵を取って戻ることを村のどおしで争った。最初に卵を持ち帰った村の長は一年間、島を支配するというルールだったという。 しかし、西洋人がやってきて、文化が破壊される中、鳥人儀式も1866年を最後に行われなくなった。 |
右は、儀式のときに使われた住居跡が復元されたもの。黒い部分が出入り口で極端に狭く、太っている人は入れないくらいだ。風除けのためだという。中は狭く天井も低く、膝をかかえて休んだらしい。 右下は、天井の一部分をとりはずした形で復元したもの。 こうした住居が何棟かある。村ごとに利用したのだろう。そんなわけで、ここは儀式村と呼ばれている。 |
右下は鳥人が彫られた石。体と手足はわかる。鳥の頭とくちばしは、あぁそうかなぁって感じだ。これは比較的見やすいもので、そばには他にも鳥人の石があったものの、風雨にさらされ続けてきたため、よくわからないものばかり。 鳥人が彫られた石がかたまっているところは、一度に5人しかあがれないことになっている。 これでこの日のツアーはおしまい。 |
ホテルに戻ると12時過ぎ。1時間ほど休んでから、昼食と村近くの散策に出かけた。 昼食は「スー・クエリート・レガノン」でとった。グラスワインを注文したら、一緒に経営しているマーケットからワインを取り出してきたので、1本は困るよって思ったら、すぐにかたずけられた。新しいボトルをあけてくれるのは気持ちいいい。2000ペソ(約440円)。 料理は、マグロのステーキ。ご飯は野菜入りだった。6000ペソ(約1320円)。 |
(8)アナ・カイ・タンガタ メインストリートをどんどん下ると空港に行きつく。空港の端を通り、さらに南に進むと、イオラナホテルがある。島で一番の高級ホテルだ。このホテルは断崖の上に建っているのだが、その断崖の一部に洞窟がある。 大きな洞窟は2つあり、右の画像には、海水が入り込んでいる洞窟と海水の入り込んでいない洞窟が見える。後者の洞窟には下ることができるので、下って洞窟に入ってみた。 |
アナ・カイ・タンガタとは「人食い洞窟」という意味だ。だが、実際には発見されたのは人骨ではなく、動物の骨だったという。 ここでは、ボートを作ったとか、オロンゴでの鳥人儀式に出る人を決めたとか言われているが、実際どうだったかは不明。 ここには、鳥人の壁画が残されているらしいのだが、見つけられなかった。 |
(9)イースター島博物館 村の北のはずれ、アフ・タハイなどの近くにイースター島博物館があった。海のところに、短い棒状のものが立っているのがわかるだろうか。アフ・コテリクだ。 村の南から北まで1時間近くをかけて歩き、博物館にたどりついた。小さい博物館だが、充実していて、1時間ほど滞在した。日本語の説明書を貸してくれるので、読んでいると時間がかかるのだ。 |
ここの最大のみものは、モアイの目。ファラッシュなしなら撮影可能だった。 このほか、女性のモアイとかロンゴロンゴ文字とかが興味深かった。 また、モアイの作り方、運び方の仮説についての展示があり、なるほどと思った。運ぶときは、モアイの下に丸太を置き、丸太を回転させて運んだという説が有力なようだ |
博物館を出たあと、午前中に行ったアフ・タハイなどにもう一度、行ってみた。その途中、少し北の方に行けば、別のモアイがあることも発見。そこにも行ってみた。右の、アフ・ハンガ・キオエだ。 そのあと、タハイ方面に引き返した。午前中は気付かなかったスロープがあり、そこから海辺に下りられるようになっていた。下がそこで、下りてみたところが右下だ。 このあと、ホテルに引き返し、少し休憩。 |
いよいよ、イースター島最後のレストランでの食事だ。というのは、翌日は昼食はツアーで出るし、夕食は機内食になるから。 ひと眠りして起きたら21時。昨日行った「メラヒ・ラア」がよかったので、もう一度行ってみた。 飲み物はグラスワインを注文。料理が出てくるのに時間がかかったので、パンにマヨネーズやピクルスをつけて、ほとんど食べてしまった。ワインは3000ペソ(約660円)。 |
料理はマヒマヒのグリル。9000ペソ(約1980円)。 これだけでは、ちょっとと思ったので、別の料理を追加注文しようと思った時には、店が閉店準備をしていて、食べそこない、ホテルで菓子をつまんだ。 このあと、イースター島宿泊最後の夜を過ごした。 |
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