12 カ イ ロ に 戻 る
半日がかりでまたまたカイロ
前日と同じく、のんびりしすぎの朝食サービスを受けて、ゆっくり食べていたら、ドライバーが出現。この日は、2時間ほどかけて、バフレイヤの街の周辺の見所を回るのだ。( この日は、残念ながら、画像を無くしてしまい、文章だけです。) 行ったところは、まず博物館。ここで、6箇所の共通チケットを購入し、すぐに入場。ガイドブックには、正式な博物館ではなく、考古局事務所の1室にすぎない、と書いてあるだけあって、倉庫の入口のような大きな鉄扉から入る。数体のミイラが並んでいた。きれいな状態で保存されていて、しばらくながめていた。 続いて、パンネンティウの墓とアメンホテプフイの墓。二つの墓は隣り合わせに並んでいて、どちらも井戸のようになっている竪穴を下っていく。一番深いところまで行くと、今度は横に進むと墓室があった。ここでは、墓室の壁面に絵が残されていてきれいである。ファラオの墓室とはまた違う、デザインだ。 その次は、アイン・イル・マフテラ神殿。ここに到着すると、砂漠の真ん中に大きな倉庫が建っているような感じである。遺跡全体がプレハブで覆われているので、外からは中をうかがい知ることはできない。管理人が鍵を開けてくれて、中に入った。2つの建物があるのだが、一方は、鮮やかなレリーフが残っていた。 最後に、アレクサンドロス大王の神殿。こちらは、外からも見えるのだが、ほとんど建物の外観をなしていない。崩れかけた岩の塊と、一応、区画整理された地面があるだけだ。しかし、ここでは、エジプトでアレクサンダー大王のカルトゥーシュが発見されたというから、遺跡の意義には大きいものがある。 共通チケットではあと1箇所、回れることになっているのだが、街から遠いということで、連れていってもらえなかった。ホテルまで送ってもらい、昨日の砂漠行きの費用とあわせてバクシーシをドライバーに渡す。 カイロに戻るバスは14時発なのだが、まだ11時。まず、シャワーを浴びてさっぱりしてから、荷物を整理し、チェックアウトして荷物を預かってもらう。その後、バフレイヤに到着後に利用したレストランへ行って昼食。この旅行記の「10」の画像にあるのとまったく同じ食事をした。定食以外はほとんど何もできないようだ。 再びホテルに戻って、1時間ほど時間つぶしをした。バスの出発時間が近づいてきたので、バス停へ向かう。ホテルの従業員と家族が盛大に見送りをしてくれ、ホテルを出た。バス停でしばらく待たされたが、風があって、すごい砂埃。せっかくシャワーに入ったのも、ほとんど意味なし。これも砂漠の過酷な一面を体験できたと思うことにしよう。 定刻にバスはカイロに向けて発車。5分も走らないうちに砂漠の中の道に出た。その後、1時間ほど、小さなオアシスに停車して客を少しずつ拾ったが、その後は、まったく人家のないところを延々と走った。バフレイヤにやってくるときに立ち寄ったドライブインにまた立ち寄るとほぼ日没。暗くなったあとも、砂漠の中の道を走り続け、19時ごろ、ギザのピラミッドの近くを走っていることを確認。 しかし、市街地に入るとひどい渋滞だ。まもなく、地下鉄のギザ広場駅の近くで停車。なかりの人がここで下車。それを見て、自分もここで降りることを決め、下車。荷物を受け取り、地下鉄駅に向かった。この日は、最初にカイロに着いた日に泊まったコスモポリタンホテルに泊まるので、バスの終点のトリコマゴーンからも歩けるが、いつ着くかわからないので、地下鉄でタフリールに向かうことにした。 地下鉄はしばらく地上を走っていたが、真っ暗なので風景はわからない。タフリールで下車し、ホテルまで歩いた。20時ごろにホテル到着。1週間ほど前に泊まった事をボーイが覚えてくれていて歓待される。 ボーイの1人が鍵をもって部屋についてきて、もう1人のボーイが荷物を運んだ。そのとき、部屋に自分と一緒にやってきたボーイが、もう1人のボーイが悪徳であることを伝え、注意するように言ってきた。玄関にたむろするタクシーとつるんでいるとか告げ口された。荷物が運ばれると、1人に1LEづつバクシーシを渡す。 すぐに、外に出て、コシャリとシュワルマで軽く食事。ネットカフェでしばらくネットを楽しんだあと、ホテルに戻り、この日の行動終了。
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