13  カ イ ロ の 下 町

 

イスラム地区を歩いて回る

 

この日は、イスラム地区と呼ばれるカイロの下町を歩いて回った。(この日も残念ながら画像がほとんど失われました。)まずは、ホテルのバイキング式の朝食で腹を満たす。この日は、市内を多く歩くので、十分に食べておいた。

ホテルからまずアブディーン宮殿まで1kmほど歩く。ここは、近代エジプトの宮殿でヨーロッパ風の建物。ナセルの革命の後は、大統領が使用しているためか、出入りが厳重に管理されている。9時から開館というので、9時過ぎに行ってみたが、まだ入場券を売っていなかった。しばらく待ったが、売り始める気配がなく、入場をあきらめた。

この宮殿の近くから、シタデルまでタクシーに乗った。5LEでと言ったが、何と20LEだと言われる。あまりにも高く抗議し、結局10LEで落ち着いた。到着後10LEを渡して車を降りようとしたときに事件発生! リュックについている紐が車のドアの取っ手にからんで、取っ手が壊れてしまったのだ。う〜ん、まずい。

ドライバーは怒って、10LEよこせとどなっている。正直、10LE(180円)ということで、内心ホッとした。日本なら1000円くらいするだろうし、こんあんところで50LEだとか言われても、こちらの失敗なので、強く言い返せないから、わずか10LEしか請求されなかったので、よかったと思ったのだ。部品代が10LEというのは適正な値段だろう。すぐに10LE渡して、その場を去った。振り返ってみると、ドライバーは部品をなおそうと懸命だった。

しばらく歩いて、とんでもないところで降ろされたことに気づいた。シタデルは巨大な敷地を持っていて、正門のところと裏口あたるところでは1kmくらい離れているのだ。ところがタクシーを降りたのが、裏口のところだったのだ。観光客は正門からしか出入りできないのだ。自分のいる、その頭上には、シタデルの中の展望台があり、これからそこに向かうのだが、ずいぶんと遠回りしなければならない。

15分ほど歩いて、ようやくシタデル到着と思いきや、急な坂道をあがらないといけない。観光バスに追い抜かれながら坂道をあがり、ようやく入口に到着。

シタデルは、アイユーブ王朝の創始者サラディンが建設した城。広大な敷地があり、その中にさまざまな建物がある。

まず、行ったのが、ガーマ・ムハンマド・アリ。巨大なモスクである。内部にはたくさんのシャンデリアとランプがぶら下がっている。とても大きく、どれだけの人を収容するのだろうかと思う。

モスクを出て、そのそばの庭を見る。ここには、フランスから贈られたという時計台があった。なぜ贈られたのかというと、フランスは、ルクソール神殿にあったオベリスクを持ち帰り、それをパリのコンコルド広場に建てたが、そのお返しだという。大きな時計台ではあるが、今はとまったままである。

このあと、展望台へ。カイロ市内が見渡せる。さきほどタクシーを降りた場所も、すぐ下に見える。そのそばにある警察博物館へ。あまりたいしたことはなく、すぐに出る。その隣には、イギリス統治時代の刑務所の跡があり、閉鎖されているようだったので、すきまからのぞきかけたら、警備員に、クローズ、といって追っ払われてしまった。

さらに、シタデルの敷地内にある軍事博物館へ。近代以降の戦争の展示が中心になっている。ナセル革命や中東戦争のことが詳しく扱われていた。また、ガイドブックでは北朝鮮煮関する展示があるとのことだったが、どこにあったのかよくわからなかった。というのも、この博物館、展示コースにある小部屋は閉鎖されていたのだ。小さな行き止まりのようなyところも入れなくなっていたりもしていた。不親切な博物館だった。

さらに、シタデルの敷地内には、ほかのモスクなどもあり、全部見終わると、すでに12時を回っていた。じっくり見ていたら、半日がかりの見学になった。

このあと、イスラム地区の街路を見て回るのだが、まず、タクシーを降りたところまで、1kmほどまた歩き。どうして、裏口から出入りを認めていないのだろう。不便なことはなはだしい。

タクシーを降りたところまで戻り、屋台で売っているサンドイッチを買って昼食。薄いパンにジャムがはさんである。かなり歩いて疲れたので、しばらく腰を降ろして休んだ。

このあと、ガーマ・スルタン・ハサンとガーマ・リファーイーという双子のようなモスクを訪問した。先に入ったのが、ガーマ・スルタン・ハサン。巨大なモスクで、マムルーク王朝時代の建造だという。ミナレットも上れるらしいが、とてもそんな元気はない。

引き続き、ガーマ・リファーイーへ。こちらは、歴史は浅いが、イラン革命でエジプトに亡命したパフレヴィー国王の墓があるのだ。モスクの一角には、墓がたくさんあって、不気味な感じがする。パフレヴィー国王のところだけは明るく照明されていた。

続いて、ブルーモスクに行ったのだが、閉鎖されていて中に入れなかった。ガイドブックによると、管理人が中に入れてくれることになっているのだが。

このあたりは、庶民の街で、古い民家や商店が並んでいる。まさに、カイロの下町だ。民家に混ざって小さなモスクもある。

やがてやってきたのが、ズヴェーラ門。門の上に上がることができる。上ってみると、門の周辺には多くのモスクがあることがわかる。また、買い物客でにぎわっている地区であることもわかる。門の上は風が強く、心地よいので30分くらい休憩した。

このあと、繁華街を通って、ハンハリーリに向かった。スヴェーラ門からハンハリーリまでの繁華街は、庶民が買い物をするエリアである。いろいろな店があり、見ていて楽しい。一方、スリなどに気をつけることが必要なところでもあった。

ハーンハリーリは、観光客向けの繁華街。土産物屋が軒を連ねている。工芸品や食器などの店が多い。先ほど歩いてきたエリアと比べて、明らかに外国人の割合が高い。日本人もこちらではよく見かける。

このあと、イスラームが芸術博物館に行ったが、工事中で中に入れなかった。さらに、朝行って入れなかったアブディーン宮殿に行ったが、すでに閉館時間をすぎていた。17時ごろ、いったんホテルの部屋に戻り、しばらく休憩してから、夕食に出かけることにした。

19時ごろ、夕食に出かける。フェルフェラというレストランに。ここは、大通りにコシャリとシュワルマの立食の店をだしていて、そちらはすでに利用したが、今回は、大通りから少し奥に入ったところの普通のレストランに入った。

まず、コフタ(羊肉のハンバーグのようなもの)をぶどうの葉で包んで煮た料理。結構な量がある。

次に、羊肉と野菜の煮込み。肉がたいへん柔らかくなっていた。

最後に、アイスクリームで締めくくり。

歩きつかれたのか、ホテルに戻ると、シャワーを浴びて、そのあとすぐに夢の中へ。

 

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