9 オ ラ ン ジ ュ、 ア ヴ ィ ニ ョ ン
ニームからSNCFでアヴィニョン経由でオランジュへ。 オランジュの駅は小さな駅だ。人口3万の田舎町にふさわしくこじんまりとしている。 オランジュの名は、ここを一時支配したオランダの貴族がオランジュ公だったから。 駅舎の左のほうには、オレンジの絵が見える。
まず、歩いて、街の中心へ。さらに中心を抜けて、凱旋門へ。 門の上部には、カエサルのプロヴァンスでの戦いの勝利をたたえた壁画が描かれている。 道路のど真中に門があるが、今では、車はその両側を迂回するようになっている。
オランジュで最大の観光資源は、ローマ劇場。ここの劇場の特徴は、ステージの背後の壁が完全な姿で現存していることだ。 訪問したころは、毎夜、オペラが上演されるシーズンで、ステージのすぐ下のところに、オーケストラの譜面台が置かれている。
右は、ローマ劇場の外観。ステージの背後の壁が、外に向けては巨大な壁となっているのがわかる。 オランジュは、遺跡の数こそ少ないが、その保存状態はフランスのなかでも、良好なものである、ということをつけくわえておく。
左は、ローマ劇場の上部から旧市街を眺めたもの。 古いつくりの低層住宅が並んでいる。これらの保存も必要だ。 オランジュ駅に戻り、昼前の列車でアヴィニョンに向かった。
オランジュからアヴィニョンまで乗車した列車。本数が少ないので、列車に合わせての移動となる。 オランジュ・アヴィニヨン間は、わずか20分。非冷房の暑い車両だったが、がまんできた。 アヴィニョンに到着すると、すぐ目の前に城門が待ち構えている。城壁都市なのだ。
アヴィニョンは、駅から法王庁に向かうと途中、人がとても多かった。プロヴァンス地方屈指の観光都市だからだろうか。 観光客目当ての大道芸人風の人も多く、道端でいろいろと芸をやっているのだが、その場所ごとに人だかりがしていて、とても歩きにくい。 繁華街は、法王庁で終わっている。
アヴィニョンに法王庁があるのは、中世の一時期、ローマ法王がフランス国王に従わさせられ、そのとき、法王庁はフランス国内に移転させられたからだ。 法王庁の建物は高い壁に取り囲まれていて、一種の城といえる。下のほうに、観光用の列車風のバスが写っているが、建物の大きいことの見当がつく。
法王庁の内部もとても大きい。バルコニーからアヴィニョンの街を見渡せるところがあり、左は、街を写したもの。 内部には、法王の寝室、礼拝堂などがあった。
次に、途中で切れているローヌ川にかかる橋に向かった。踊ろう♪踊ろう♪で有名なアヴィニョンの橋だ。 本当の名前は、ベネゼ橋であり、ベネゼという人が、お金を集めてまわり、一生かけて作ったという。だが、その後、半分が氾濫のために流失してしまった。
このあと、バスターミナルから、ポンデュガール(ガール橋)に向かった。SNCFのバスなので、フランスバカンスパスを見せるだけだ。 この橋は、水道橋で、ユゼスからニームに水を流すもので、わずかに傾斜している。 谷を越えて水を流す必要から、こうした橋がつくれたようだ。
ローマ時代には、こうした水道橋がいろいろなところに作られたが、世界で一番有名な水道橋が、ここポンデュガールだろう。 3段式になっていて、一番上の段を水が流された。 歩いて渡れるのは、一番上の水が流された部分と、と一番下の広い道路のある部分だった。一番上の部分は、水路の中を歩くのだが、中には、水路の上にある天井の上を危険を冒して歩く人もいた。上の画像を見ると、歩いている人がかなり写っている。 まず、一番下の道路を歩いて対岸まで行った。この道路は、幅が10mくらいあった。
対岸からは、一番上の段を通って、来た側に戻った。 左は、一番上の段にあがるための入口。この中は階段になっていて、水路に出られるようになっている。 不思議に思ったのは、水路を流れてきた水は、この先はどうやって流れていったのだろうかということ。 一番上の段は、人間の背丈ほどの溝になっていて、水が流れた。その部分を歩くことができた。水路の幅は1mくらい。
水路の大部分は、上に天井がついていて、水が蒸発しにくくしてあった。 驚いたのは、その天井の上を歩いている人が結構たくさんいたこと。自分も上がるだけは上がってみたのだが、何しろ50mくらいの高さがあり、とても怖い。手すりも何もないところを、歩いて対岸まで渡っている人がいるとは、、、 自分は、すぐに天井から降りて、水路を歩いた。こちらは、ところどころから外を見ることができたものの、地下道を歩いているような感じだった。 このあと、次のバスでニームに帰った。
|