1  コ ッ ヘ ム ・ ト リ ア ー

 

 

 1995年、ドイツへの旅を行った。ヨーロッパは1993年のフランスについで2度目。

 この前年、関西空港が開港しており、この旅行は、初の関西空港からの出発となった。利用した航空会社は、シンガポール航空。シンガポールでは6時間の待ち合わせ時間があったが、チャンギ空港は設備がよく整い、時間をつぶしやすかった。

 翌朝、フランクフルト空港に到着。関空からシンガポールが6時間、待ち合わせが6時間、シンガポールからフランクフルトが12時間で、24時間かけての大移動だった。

 
 
 フランクフルト着は6時20分ごろで、入国審査、両替などを経て、国鉄駅へ。フランクフルト空港にはドイツ鉄道(DB)が乗り入れている。それも、フランクフルトからマインツ 経てケルン方面に向かう幹線の途中に駅がある。

 ここで、ジャーマンレールパスの使い始めの印を押してもらった。その後は、自分で日付を書き、自分で日付印を毎日押していくというシステムだ。35,600円でドイツ中の鉄道に乗れたわけだから、かなり使いでのある切符だ。

 
 空港駅からまずはフランクフルト中央駅に向かう旅行者が多いだろうが、自分の場合は、マインツに向かった。7時44分のSバーンでマインツに8時16分着。Sバーンはドイツ各都市の近郊電車でDBが運営している。
 

 

 
 マインツからは9時18分のICでコブレンツまで向かう。よって1時間の余裕があって、駅からドームを往復した。 大聖堂には入れなかったが、大聖堂前の広場では朝市をやっていて、賑わっていた。 この広場の一角にはグーテンベルク博物館があるがまだ開いていない。広場周辺をざっと見て駅に引き返す。
 
 マインツからコブレンツまでの鉄道は、ライン川に沿って走る。時間があれば、船でライン川くだりをしたかったが、時間がない。

 左  リューデスハイムのブレムザー城とぶどう畑

 下  川の中州にあるプファルツ城

 さらに、ローレライの岩の近くも通ったのだが、どれがローレライの岩なのかよくわからなかった。

 
 

 コブレンツでは、すぐに乗り換え。10時05分発のREでコッヘムに向かった。列車は、ぶどう畑の多いモーズル川の谷に沿って進む。

 コッヘムに10時51分に到着。駅のコインロッカーに荷物を預け、ライヒスブルク城(帝国城)へ。

 ここの城は、プファルツ伯爵の居城であったが、のちにシュタウフェン家出身の皇帝の城となり、最後にトリアー大司教の所有となった。

 
 典型的な山城で、攻めるのは難しく、守るのはたやすい城だ。

 この城からは、コッヘムの街の全景がよく見えた。川はモーゼル川。

 この旅行の当時は、食事を写真に撮るということを思いつかなかったので食事の画像はなし。ちょっと悔やまれる。

 コッヘム発14時20分のREでトリアーに向かう。

 

 トリアー着15時15分。まずホテルを探し、荷物を置いてから観光に出かけた。この当時は、ホテルの写真を撮ることも思いつかなかった。これまた悔やまれる。

 まず行った先は、ポルタ・ニグラ(黒門)。なんと作られたのは2世紀。トリアーの歴史は古く、ポルタ・ニグラはドイツでもっとも貴重なローマ遺跡だという。

 この上に上ったのか、上らなかったのかはっきり覚えていない。

 

 左 大聖堂

 下 カイザーテルメン

 ローマ遺跡の街というだけあって、観光客が多く、賑やかだったことは記憶にある。到着したのが、もう夕方近かったので、訪問したのはこの3ヶ所と思う。カール・マルクスの生家もあったが、時間切れで訪問できなかったことを覚えている。

 

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