4  ザクセンハウゼン強制収容所

 

 

フリードリヒシュトラッセで朝食とってザクセンハウゼンへ
  ツォー駅からSバーンでフリードリヒシュトラッセへ。壁があった時代、西側から東側を訪問するときは、SバーンでもUバーンでもフリードリヒシュトラッセにまずやってきて、入国手続をする必要があった。東側の玄関口にあたる駅であった。

 この駅には、分断時代に西ベルリンに出国する手続きの行われた施設が現存しているので、この日、ザクセンハウゼンから帰ってきたあとに行ってみよう。
 
 壁があったときからの駅舎だろう。壁があったときというより、ナチス時代からの駅舎かもしれない。古そうな駅舎だが、よく見ると、上部には透明なドームが作られていて、ホームを覆ってることがわかる。
 出国審査場などの施設のあった建物。早朝のため、まだ開いていなかったが、夕方にでも入ってみることにしよう。なお、入国審査場はフリードリヒシュトラッセ駅の構内にあった。

 
 
 この駅の付近で朝食をとっていこうと、少しウロウロしてみた。高架上のホームのドームがよくわかる写真がこれだが、この写真で駅舎の入口付近に BACK WERKがあった。別の店に入りたい思いもあったが、結局BACK WERKで朝食をとった。
 BACK WERKの店内。コーヒーのコーナー。ここでセルフでコーヒーを入れ、パンとともにレジに持っていく仕組みだ。
 この日の朝食の調理パンとコーヒー。なんだか、毎日似たような朝食になってしまった。
 朝食のあと、フリードリッヒシュトラッセ駅の地下ホームからバーンに乗車。このホームはかつて、壁があった当時はUバーンのホームで、Uバーンで西側から東ベルリンを訪問するときに利用されていた。統一後は路線がSバーンに変わった。S1の終点のオラニエンブルクまで乗車する。
 50分ほどの乗車でオラニエンブルクに到着。行き止まり駅になっている。別ホームに中距離列車が停車することがわかり、帰りは主要駅停車の中距離列車に乗ろう。これだとベルリン中央駅まで30分ほどのようだ。
 
 オラニエンブルクの駅舎。この前のバス停からザクセンハウゼン強制収容所に向うバスもあるにはあったが、本数が少なく、行った時間帯にはなかった。30分ほど歩いて行くことにした。
 行き方はわかりやすく、迷わずにザクセンハウゼンに行くことができた。

 ナチス時代の強制収容所跡はいくつか訪問済みだ。すでに訪問したところを列挙すると、1995年の最初のドイツ旅行で、ミュンヘン郊外のダッハウ、ワイマール郊外のブーヘンヴァルト、1998年の中欧旅行でプラハ郊外のテレジン、2000年のポーランド旅行で、最も悪名高いアウシュヴィッツ、ルブリン郊外のマイナデクを訪問している。それ以来なので、17年ぶりで、6か所目の訪問になる。
ザクセンハウゼン強制収容所
 
  上左  ザクセンハウゼン強制収容所跡に到着。

 上右  まずはインフォメーションで収容所内の地図を購入。

 左  正門まで500mくらい歩いた。アウシュヴィッツでも見たような門が姿を現した。
  上左  アウシュヴィッツはじめ訪問したほかの収容所と同じく、門にはARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)の文字がある。

  上右 壁の内側には高圧電流を流した鉄条網が張られている。

  左  囚人が収容された建物は2つを除いて、なくなっている。現存する建物塗りなおされたりして。ここに入ってみる。
 
 上左  浴室。真中の丸いところに水が出て、それを使うようだ。

 上右  トイレ。

 左  囚人の収容された建物があった位置がブロックで示されている。
 
 囚人のうち、反抗したりした人が監禁された建物。収容所内の刑務所のようなものだ。

 下左 その内部。両側に監房が並ぶ。

 下右  監房内のようす。  
 
 収容所の中央付近にある慰霊碑。

 下左  洗濯室。

 下右  調理室。
 調理室の地下。じゃがいもを洗うための水槽。
 地下の調理室の壁に描かれていた絵。この絵だけ見れば、ここが強制収容所だとはわからない。

 下左  巨大なモニュメント。

 下右  モニュメントの下部にある銅像。社会主義時代に作られたような感じのする銅像だ。
 
 壁の外側にあった塹壕。ここで処刑がおこなわれた。左上部分の暗い部分だ。絞首刑のときに縄をつるした金具の跡などがみてとれた。

 
 
 火葬場。施設を保存するために屋根がとりつけられていた。

 下左  監視塔。

 下右  第2次大戦後、ここの収容所は、そのままソ連に反抗的な人々などを収容する施設になった。壁の外側には、ソ連時代に新たに作られた、囚人を収容する建物が作られた。
 上左  ソ連時代に作られた囚人棟の内部。

 上右  ソ連時代の収容所についての博物館。

 左  解剖などを行った建物。

 下左  解剖台。

 下右  解剖などのための死体などが置かれた地下室。
 医療棟。

 下左  医療関係の展示がいろいろとあった。

 下右  サクセンハウゼンにもガス室はあった。しかし1952年に破壊されたという。東独時代になぜ破壊されたのだろうか。破壊前のガス室のあった建物の写真があった。この建物の中にあったようだ。 

 広い敷地内を歩き、4時間くらいかけて回り、見学を終えた。
全強制収容所を統括する司令部
  ユダヤ人やナチスに反抗する人々などを収容した強制収容所は数多く建設された。ザクセンハウゼンには、アウシュヴィッツはじめ各地の強制収容所を統括する司令部がつくられた。ザクセンハウゼン強制収容所から500mほど離れた位置にある。

 ただ、道順がわかりにくくかった上、着いた建物の周辺が工事中で正門にたどりつきにくかった。そのため、裏口のようなところから建物の中に入った。写真でL字型になっている部分の、縦横の建物が交わっている部分からだ。
 上左  中に入ると、どうも様子が変だ。見学施設というよりは、現役のオフィスビルという感じだ。あとでわかったのだが、かつての強制収容所の司令部は、今はオラニエンブルク市の税務署として使われていた。一室だけは、見学施設になり、一般人が立ち入れるが、ほかは駄目のようだ。実は、警備員に見つけられ、不審者と思われてしまったが、旅行者が迷ったと理解してもらえ、展示のしてある部屋への道順を教えてもらった。

 上右  司令部の当時の建物の設計図。T字型をしている。

 左  展示室。強制収容所司令部のあった当時には、司令官の部屋が置かれた部屋だ。展示物は多くなかった。
  各地にあった強制収容所の写真が展示されていたが、その中のザクセンハウゼン強制収容所の写真。正門の上から撮影され、囚人の宿舎の建物との間に囚人が並ばされている。

 この司令部には各地にあった強制収容所の代表が毎月、集められて、囚人の管理や処刑のことなどについて指示があったという。アウシュヴィッツの愚行は、アウシュヴィッツ独自の判断で行われたのではなく、この司令部でナチス党の指示として行われたのだ。
 正面から退場。玄関の上にバルコニーのついた部屋があるが、そこが司令官室いまの展示室だ。退場後はここから歩いてオラニエンブルク駅に向った。
  しばらく歩くと公園があり、何やら記念碑のようなものが見えたので近くに行ってみた。

 下左  近くによると、赤い星がついた碑でソ連に関係している記念碑だとわかった。

 下右  ドイツ語はよくわからないが、ソ連軍による解放を記念する碑のようだ。
 
 
 
 
  オラニエンブルク駅に戻り、ベルリンへの帰りは、中距離列車に乗車した。ベルリン中央駅まで3駅のみ停車で、30分ほどで到着した。
フリードリヒシュトラッセにあった東西移動時のチェックポント跡
 ベルリン中央駅(ベルリンHbf)に到着。高架の東西路線(ツォー駅方面とオスト駅方面を結ぶ統一前からあった路線)以外に地下の南北路線が統一後につくられ、乗車列車も地下ホームに到着(採光のために自然光が入り込むようになっている)。

 中央駅ができたあとは、ドイツ各地へのICEなどは地下ホームから出ており、地下の南北路線がメイン路線だ。1995年にベルリンを訪問した時には、この駅はまだできていなかった。

 高架ホームに移動し、フリードリヒシュトラッセ駅へ移動。
 
 フリードリヒシュトラッセの駅舎の外にあるかつての出国審査場は、この日の朝に少し見ているが、入場してみた。

 東ベルリンから西ベルリンに向う場合には、このガラス張りの建物の中の出国審査場を通って、駅舎に入った。写真の左端に少しだけ建物が写っているが、これが駅舎。なお、西側には東側の住民は行けなかったので、ここを通って西側に向ったのは、ほとんどが西側から東側にやってきて、西側に戻る人たちであった。
 
 出国審査場のあった建物の模型。下側から入場して、まず荷物検査を受ける。そのあと、出国審査場があるが、とても細い通路状のところにある。ここを出て、駅舎につながる通路があった。

 下左  荷物検査場。

 下右  出国審査場のブースの内部。通路側の幅は60cmくらいで、人はすりぬけるのを防止している。
 
 
 
 昔の写真がいろいろあったが、上は荷物検査場に並ぶ人々。向う側に出国審査場がある。壁の向こうが駅。

 下の写真は、駅舎の中にあった入国審査場を通過して、東側に出てくる様子のようだ。

 下左  出国審査場を抜け、駅舎に向う通路。

 下右  かつて、出国審査場を出て駅舎に入ったあたりの様子のようだ。現在は、駅舎との間の通路は取り払われているが、当時は、出国審査場を抜けた人は駅にしか行けないようになっていた。
 
 
 
 
  統一前のフリードリヒシュトラッセ駅の中の模型。ホームから降りてきた人は、写真の中央部を右から左へ進み、入国審査場を出て、東側に入り、駅舎から出ていく。
 
  駅舎の中で、かつて入国審査場があったと思われる場所を推定した。まったく、普通の駅の構内で、昔を想像させるものは残っていない。
ベルリンで一番古いビアガーデン
 
   上左  アレクサンダープラッツからUバーンで、エバースヴァルター・シュトラッセへ。Uバーンはほとんどが地下鉄だが、U2は高架部分もあり、この駅は高架駅だ。この駅の近くにいくつか行きたいところがあったので訪問。

  上右  まず、アルターク・イン・デアDDRへ。旧東ドイツの日常生活にスポットをあてた博物館だ。

  左  東ドイツの国章。ハンマーとコンパスを麦で囲んでいるという。なるほど言われてみれば確かにその通りだ。

  下左  トラバントの屋根に載せて使うテントが人気を集めたという。

  下右  東ドイツの雑誌など。雑誌の表紙は社会主義らしいものではなく、西側のものとそう違いはない。紙質もそこそこ、いいものを使っている。見学中に、閉館を示す音楽が流れて、大急ぎでの見学だった。
 
 
 プラター・ガルテン。ベルリンで最も古いビアガーデンだ。またベルリンで一番知られているビアガーデンでもあるという。東側にあったのも意外。

 日本に多い、ビルの屋上のビアガーデンを想像して行ったら、広場にテーブルが広げられたビアガーデンだった。

 セルフサービスでビールと料理を買って、テーブルを選んで座るという仕組みだ。

 下左  プラター・ピルスビール。他の銘柄より少し安い3.5ユーロ。自家製なのかな。

 下右  ロスト・ブラート・ヴルスト。大きなソーセージをパンで挟んだものだった。3ユーロ。
 
 
   ビールはここで買って、テーブルに運ぶ。

 下左  英語でプラター・ダークビア。自家製の黒ビールなのだろう。4ユーロ。

 下右  ポテトのクリームチーズ添え。5ユーロ。
 
 
  続いて、駅のすぐそばのコノプケス・インビスへ。有名なソーセージスタンド。

 下左  カリー・ヴルスト。刻んだソーセージの上にケチャップをかけ、その上にカレー粉がかけてある。そしてフライドポテトの上にマヨネーズ。

 下右  ビールはベルリナー・キンドル。グラスはなく、ラッパ飲みするようだ。
 
 
 
 
  Uバーンでアレクサンダープラッツに戻ったあと、中距離電車でツォー駅へ。夜だからなのか、珍しく東方面からやってきてツォー駅止まりだった。ホテルに戻り、一日を終えた。

 

 

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