7 コ ル カ タ
インドでも一番インドらしく混沌とした街がコルカタ。かつては、カルカッタと呼ばれていたのが1995年に改名。古い名に戻ったが、今もカルカッタと呼ばれることが多い。 前夜は暗くなってから到着したので、街の様子はわからなかったが、朝になって街の様子が明らかになると、貧しさの中に熱気あふれる大都会の姿が見えてきた。 |
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人口の数え方にもよるが、コルカタの人口は、インドで3番目に多い。ムンバイ、デリーに次いでいる。しかし、2番と書いている本もある。 英国は東インド会社の拠点をここに置き発展が始まった。その後、1912年にデリーに遷都されるまでは英領インドの首都はコルカタであった。 |
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かつての首都とはいえ、現在も残る大英帝国時代の建築物は荒廃し、その栄華を思い浮かべるのは難しい。 今は、各地から流入してきた人たちの作り出すエネルギーが漂う街になっている。街路には人々があふれ、乗り物は満員。貧しさの中の活気に驚かされる街である。 |
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この日は、まず、マザー・テレサが眠るマザー・ハウスに向かった。 到着すると、その前の街路には、路上生活している人たちだろうか、道端に調理道具や食器が並べられている。 マザー・テレサは1910年にマケドニアのスコピエでアルバニア人の家庭に生まれ、18歳のときに、修道女としてカルカッタにやってきた。 |
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彼女はカルカッタのスラムで子供に授業を行うなどの活動をしていたが、1950年、独自の修道会「神の愛の宣教者会」をつくることがバチカンに認められ、宗派を問わずにすべての貧しい人のために活動した。 ヒンドゥー教の寺院を譲り受けて「死にゆく人の家」というホスピスをつくった。その後、ホスピスや子供の施設を増やし、有名になるにつれて増えた寄付をもとに、インド各地やインド以外にも施設を作っていった。 |
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1997年、テレサは死去。彼女の葬儀はインド国葬として行われた。インドで大統領や首相以外で国葬にふされたのは彼女だけである。 2003年、テレサは、教皇ヨハネ・パウロ2世により列福され、福者になった。普通、福者になるには50年が必要とされており、死後6年での列福は特例である。 左は、マザー・ハウスの大通りに面した部分、右は入口。 |
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マザー・ハウスでは、まず、修道会施設やそこでのボランティアの説明を受けた。月水金の15時にハウスで説明と登録があり、そのときにくるのが原則だが、毎日7時にハウスにやってきて、希望の施設を伝えても、活動をはじめられるとのこと。
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次に、テレサのお墓のある部屋へ。黙祷のあと、部屋の展示を見た。 | |
バス車中から見た街の風景。 |
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同じくバス車中より撮影。 | |
カーリー寺院の近くでバスを降りた。 左に見えているのは、地下鉄の入口だろうか。インド旅行当時、インドで地下鉄のあったのは、コルカタだけであった。(現在はデリーにもある。) しかし、乗車はできなかったので、再度訪問して、乗ってみたいと思っている。 |
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細い路地を抜けてヒンドゥー教のカーリー寺院へ。 寺院の建物の中に入るには長蛇の列。時間がないために入ることはできなかった。中には黒い石があるそうだ。ここも次回、中に入ってみたいものだ。 |
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境内も参拝客でごった返していて、すごい熱気であった。境内では、神にささげるために、ヤギが生贄にされる儀式があるのだが、訪問したときには行われていなかった。 | |
右側の建物が寺院本堂で建物脇にいる人たちは、入場するために並んでいる人たちである。 周囲にはヒンドゥー教の祭りに使う道具の店やお供え物を売る店などが並んでいる。 |
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参拝する前に体を清める水浴び場。 | |
一見、プールのように広い。 | |
寺院の近くは門前町になっている。 | |
簡単な食事もできるが、利用する気にはなれなかった。 | |
カーリー寺院のすぐ近くに「死にゆく人の家」はあった。内部は撮影できないので、外観のみ。 道端で倒れている人を収容しているのだが、十分な医療施設ではないので、死にゆく場所を提供する施設である。たくさんの人たちが横になっていて、重い病気の方も多い。 それでも、清潔な中で、シスターとその指示で動くボランティアの人たちが、患者の世話をされていた。シスターとボランティアは、多くの国からやってきていた。訪問した日はいなかったが、日本人のボランティアも多いそうだ。 |
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リキシャも活躍する街である。 | |
何やら飲み物を売っているようだ。 このあと、ガンジス川の支流のフーグリー川の川べりに向かった。下の橋は第2ハウラー橋。 |
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上はフーグリー川の対岸。 右はカルカッタ公園の中にあるヴィクトリア記念堂。まだ、カルカッタが英領インドの首都であった1905年に、ヴィクトリア女王を記念して建造。内部は美術館。 |
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カルカッタ公園でクリケットをしていた人たち。 | |
アイスクリーム屋。 | |
街の中心部。 | |
2階建てバスも走る。 | |
インド博物館。別料金で撮影可能だったが、撮影はしなかった。 | |
コルカタ第一の繁華街、チョーロンギー。 | |
お祭りなのだろうか。長いトレーラにたくさんの人たちが乗って運ばれていた。 | |
道端で野菜などを売る人たちもいる。 | |
ハウラー駅に向かうため、ハウラー橋を渡った。次回は歩いて渡りたいものだ。 | |
ハウラー駅。駅構内の撮影は禁止であったのが残念。 | |
列車でブッダガヤの最寄駅のガヤへ。 列車では、夕食が出された。 |