7日目 ウ ブ ド を ジ ャ ラ ン ジ ャ ラ ン
|
ウブド市場で屋台食 |
![]() |
![]() 下左 少し小降りになってきたので9時ごろにホテルを出発。モンキーフォレスト通りは早くも渋滞していた。 |
![]() ![]() |
![]() 左 ときおり激しさをます雨。モンキーフォレスト通りの西側の車道脇は滝のように水が流れていた。歩道は大丈夫だったが、どこから歩道に上がるのか、と言われれば、車道脇の滝の流れを横切らなばならない。 小学生が裸足で歩いている。靴は浸水するからだろうか。でも街中で裸足ってのは危なそうだな。 |
![]() 駐車場に面した新しい建物は1階も2階も土産物店が入っている。写真の真ん中の階段下に行って、地元客向けのエリアを発見。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() 卵なしだと2000ルピアだが、卵が2000ルピアで、あわせて4000ルピアのようだ。味はまずまずだが、地元の食べ物を食べることができて満足。 |
![]() 下左 青果売場の全景。2階に見えるのが1階。1階、2階は観光客向けの土産物売場だ。 下右 地下は生もの以外の食料品売場。ただ、肉売場が見つからなかった。肉売場もあってよいはずなのだが。 |
![]() ![]() |
![]() |
![]() |
![]() このほか、麺類の屋台や鶏肉ご飯の屋台など数軒の屋台が営業していた。こういう屋台があることがわかっていたら、ホテルで朝食をパスしたのだが。 |
田んぼを見ながら散歩 |
![]() ジャラン・ラヤ・ウブドとモンキーフォレスト通りの交差点に王宮があるのだが、その200mほど西に小川が流れている。さらに西に200mほど行くと、南に下るジャラン・ビスマがある。この通りを南下して、モンキーフォレスト近くまで行くことにした。 歩きはじめて5分ほどで、田んぼが広がる風景が現れた。18年前には、モンキーフォレスト通りでも、サッカー場より南ではこうした風景が見られたのだが。ヤシの木もあって、熱帯の田んぼって感じがあふれている。 |
![]() バリ島では1年に米は何回つくるんだろうか。2期作なのか3期作なのか。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() いったん部屋に戻って、1時間ほど休んだ。 |
ワルンで昼食とって街歩き |
![]() その東西方向の部分で、細い路地があったので、奥に入ってみた。すると、何と田んぼが広がっていた。18年前には、モンキーフォレスト通りからも見ることができた田んぼ。今はもう見ることはできない。でも、通りに沿って建っているホテルやレストランの裏手には、まだ多少は田んぼが残されていたのだ。なんだかほっとした気分になった。 |
![]() 結局、翌日は、昼頃にはバンがなく、10時30分の便を利用するように言われた。ペラマ社なら13時ごろに便があるのだが、空港まで行かないので、クタからタクシーに乗らねばならない。それで、10時30分のバンを予約した。60000ルピアでペラマ社と同じで、空港まで行ってくれる。 空港までの足を確保したあと、昼食場所を求めて歩いた。外国人向けではない、昔ながらのワルンがあったので、ここで昼食をとっていくことにした。 |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |
![]() 上右 イカン・ゴレン(焼魚)を注文したのだが、魚と一緒に野菜の炒め物が運ばれてきた。注文していないというと、イカン・ゴレンについてくるとのこと。魚より野菜のほうがメインのような焼魚だ。 左 イカン・ゴレン。何の魚だろうか。魚は何か不明。魚の種類へのこだわりはないのかもしれない。辛いタレをつけていただく。35000ルピア。 |
![]() 18年前には、このようなワルンがモンキーフォレスト通りにもあったのだが、今は絶滅してしまっている。かろうじて、裏道には残されていてほっとした。 |
![]() 18年前の印象では、ウブドの犬は皮膚が荒れて、毛がなくなっているような個所を持つ犬が多かったと思う。でも、今回はそのような犬を見かけなかった。きれいな犬が多かった。 ウブドの犬は鎖や紐でつながれていなくても飼い犬だ。だから首輪をしている。それでも、18年前には野犬のようなワイルドさがあって、出会うと怖かったのだが、おとなしくなったような気がする。 |
![]() 竹で作られた滑り台のようなものがつくられていた。葬儀に使われるのだろうか。18年前だがこのような滑り台の上に、棺を入れた黒牛の張りぼてが置かれて、火葬の直前の儀式が行なわれた。だから、葬儀のためのものだと思われる。 |
![]() この石段の周りは多くの人が集まっていて、そばには近寄れず、少し離れたところから火葬を見ていた。 印象深かったのは火葬がまるでお祭りのような感じだったことだ。黒牛に入った棺は王宮での儀式のあと、この寺院へ運ばれたのだが、そのパレードはお祭りのパレードのノリだった。寺院の中には屋台も出て、お祭り気分の中で火葬が行われた。 |
![]() かつては道の両側に竹垣があってその中にゲストハウスがあったのだ。今は、建物がぎっしり建っている。 |
![]() 今はマッサージ店がこの中にあるのだが、昔のゲストハウスの敷地の一部分だけで、ほかの敷地は別の建物の敷地になっているようだった。 |
![]() |
![]() |
ジェゴグと夕食 |
![]() サッカー場の横にさしかかると運動会が終わったところだ。勝ったチームが歓声をあげる一方で後片付けが始まっている。 |
![]() 王宮の横に止まっている車へ移動。シャトルといっても、白タクを借り上げて利用しているようだった。費用は主催のグループが負担しているのだろうか。人数が多く、自分は運転手の横に座ったのだが、後部の座席はぎゅう詰めに詰め込まれたようだ。 |
![]() すでに到着していた客はタクシーなどでやってきたのだろうか。シャトルでやってきた客と合わせて20数人。このなかで日本人が半分近くいる。日本人率が非常に高い。 |
![]() ジェゴグはもともとは、バリ島の西部のヌガラで始まったものだ。18年前のバリ島旅行では、APAの主催するツアーでウブドから日帰りでヌガラまで行き、海岸でジェゴグの演奏を聞きに行った。見学者が自由にジェゴグを鳴らす時間もとられていた。ウブドを午後に出発して、深夜に帰るような日程だった。そんなわけで、ジェゴグは気になっていて、鑑賞することにしたのだ。このときも、ほぼ全員が日本人だった。ジェゴグは日本人好みなのだろうか。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 客席から見て舞台の右側のジェゴグ。 左 舞台中央に出されて演奏される巨大ジェゴグ。 青銅器のガムランとは違うネ音色を楽しめて、やってきてよかった。 |
![]() このあと車で15分かけ、王宮まで戻った。 |
![]() レストランを探したが、入りたいと思うような店がなく、たまにあれば満員。泊まっているホテルのレストランではまだ夕食をとったことがなかったので、この日はホテルのレストランでいただくことにした。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() 唐辛子、しょうが、にんにくなどで煮込まれていて、かなり辛いが、ココナツミルクのためにまろやか感もある。肉はとても柔らかい。ご飯は円錐型に盛られているが、バリではこの盛り方が多いようだ。バナナの葉にのせるのもバリ島では多く見かけるが、見た目がいいのと、皿が洗いやすいからか。 レンダンは美味しかった。またスマトラに行く機会があればスマトラのレンダンを食べてみたいものだ。この夜はウブド最後の夜だったが、特に変わったことなく、歩き疲れていたこともあって、早々と休んだ。 |
|