日目  バンドゥンをジャランジャラン

 

 

  7時30分にチェックアウトし、ホテルの前のブルーバードタクシーでガンビル駅に向かった。10分ほどで到着。

 駅構内のレストランで朝食にした。スープなしの肉そばとオレンジジュース。どちらも17000ルピア(約170円)。

 食後はすぐに入場。改札口にいる職員はポリスに似た服装をして、白いヘルメットをかぶっている。この国の改札口の職員はこんな服装なのだろうか。

 これから乗車する車両はエクゼクティブ(1等)なのだが、以前は、エクゼクティブ専用の待合室があったようなので探してみたが、すでに廃止されたようだ。

 なお、エクゼクティブは車内食が出るのだが、バンドゥン行きは距離が短いので、食事なし。

 仕方なく、高架のホームで待つ。暑い、暑い、、  いろいろな電車がやってきた。

 上左 元東急の車両。この電車じゃないが、方向幕が「こどもの国」の車両もあった。

 上右 元JRの車両。先頭車の前面右上の方向幕は「快速 東京」。

 右 そしてやってきたのが、屋根まで人が乗った電車。これはショックだった。こんなのが走っているとは、、

 ガンビル駅は近郊電車は、急行を除いては通過。長距離客と短距離客を分離して、ガンビル駅は長距離専用の駅にしているのだ。

 屋根まで人が乗った電車は目の前を通過した。

 この駅に限らず、この国の鉄道は外国人観光客には利用しにくい。駅の改札口やホームには、時刻表もないし、次にやってくる列車の行先や時刻の表示板もないのだ。

 しかも、列車にも、行先や列車名を書いたプレートや方向幕がないのだ。

 あったのは左の画像のこのホームから出発する列車の列車名と行先を書いた看板だけ。
 
 特に困るのは、遅れている場合だ。実際、定刻になってもホームに列車は入ってきなたった。

 左は、8時30分の出発時刻を10分くらい過ぎて入ってきた列車。これだとは思ったが、ホームにも列車にも何も案内がありません。 (現地語での放送はあったけど)
 エクゼクティブの車両の入口のアテンダント。エクゼクティブに乗る場合は案内してもらえるので、少し安心。でも、ほかのクラスの場合は駅員に聞くなどしないとならない。

 ジャカルタとバンドゥン(約140km)の移動は鉄道を利用した。 この両駅間には、2種類の特急が日に数本づつ走っている。

 PARAHYANGANARGO GEDEだ。

 この日、乗ったのはPARAHYANGAN。

 この2種の特急ですが、料金が違う。
PARAHYNGAN
50000ルピア(約500円)、ARGO GEDE55000ルピア(約550円)。

 違う理由は、ARGO GEDEのほうが車両が新しいから。(日本のレベルではどちらも古い)たとえば、トイレはPARAHYANGANは、垂れ流し式、ARGO GEDEは、タンク式。

 そうそう、この料金だが、途中駅まで利用する場合も、全区間の料金が必要になる。だから、この国で列車を使う場合は、始発駅から終着駅までの列車を選ぶのが鉄則。

 車窓からは棚田や湖も見えて、飽きることがない。バスじゃなく、列車にしてよかった。

 ただ、途中で工事をしているところがあり、その影響があって30分ほど多くかかった。出発時に30分遅れだったので、11時41分到着が12時40分ごろになった。

 そして、バンドゥンに到着。

 この国の鉄道にはびっくりさせられるものがまだあった。

 駅で駅舎とホームの移動をしたり、ホーム間の移動をするとき平面で移動するのだ。跨線橋も地下通路もない。

 バンドゥン駅はまだ本数がそう多くないが、ジャカルタの近郊区間のバンバン電車が走っているところも、これ。

 確かに楽ではあるし、車イスなどはこのほうがいいんだけど。駅での事故ってどうなのか気になる。

 バンドゥン駅の駅舎。なんとなく昔の長野駅や奈良駅を連想させるような感じの駅舎だ。

 この日のホテルは、駅から歩いて10分ほどのところにとってある。翌日、ジャカルタに戻る列車が早朝の場合とかを考えてのことだ。

 泊ったのは、スイス・ベル・アリオン・ホテル。部屋もなかりゆったりしていてよかった。

 部屋の窓から、駅がすぐそばに見える。すぐそばに見えても、駅に行くときは遠回りしなくちゃならず、10分ほどかかった。

 少し部屋で休憩してから、街歩きに出発。

 ウェリカムドリンクのサービスがあったので、それをいただいてから出発。

 ホテルからタクシーに乗車したが、ホテルマンが車のナンバーと自分のルームナンバーを控えてくれて、一安心。

 バンドゥンのタクシーは交渉制なのだが、値段交渉もホテルマンがやってくれた。

 まず向かった先は、1955年にアジア・アフリカ会議(バンドゥン会議)が開かれた会議場。10分ほどで到着した。

 上左 会議場の玄関。

 上右 併設されている博物館。

 右 博物館を入ると、アジア・アフリカ会議の実物大のジオラマがある。館内は撮影禁止だがこれだけはOK。 演説しているのはスカルノか。

 まん中あたりに日本の国旗もある。この会議には日本も参加していた。参加国数は29カ国でアジア・アフリカとはいうものの、アジアが中心であった。

 バンドゥン会議は、正式には第1回アジア・アフリカ会議で、1965年にアルジェで第2回が計画されていたが、これが流れて、結局1回だけしか開かれていない。

 この会議とは別に1961年から非同盟諸国会議がおこなわれているが、別物である。

 また、第2回というわけではないが、2005年にアジア・アフリカ会議50周年会議が開かれた。日本からは、小泉首相が出席した。

 見学を終えると、猛烈なスコール。出口で30分ほど雨宿りをした。

 まもなくやんだので、街歩き開始。

 すぐ近くに、アジア・アフリカ会議に参加した各国代表が宿泊したというサボイ・ホマン・ホテルがあった。

 アジア・アフリカ会議のときには、ここから200mほど離れた会議場まで、参加国の代表が歩いたという。また、2005年の50周年会議のときには、小泉首相を含む第1回会議の参加国の代表を先頭にして、50周年会議の参加国の代表が会議場まで歩いたということだ。

 さらにその近くに、バンドゥンのゼロポイントがあった。

 

 

 

 

 

 

 さきほどのスコールで川の水かさがかなり増えていた。もっと降れば洪水になりそうな感じであった。

 すでに15時を回っていて、遅い昼食。

 パダン料理の大衆食堂に入った。注文したのは、ソト・パダンとナシ。

 すると、ピンクの"せんべい"がついてきた。本当は、スープに入れて食べるんだろうど、パリパリ感がいいんで、そのまま、ペースト(何でしょうね。唐辛子ほど辛くない)をつけて食べた。

 

 スープの中には、春雨、牛肉の細かいブロック、芋(詳しくは不明)、ネギなどが入っていた。

 量が少し少なめで、ほかに一皿とるのが普通なのだろうけど、"せんべい"をおかずにしてナシを食べた。

 すでに時間が15時近くで、あまり食べると夕食が食べられなくなることもあった。

 値段は13000ルピア(約130円)で安い。

 

 食堂の外観。FAJARというのが店名か。

 

 マスジッ・ラヤ。この街、最大のモスク。

 

 

 

 

 

 

 マスジッ・ラヤの玄関にて。

 

 メインストリートであるアジア・アフリカ通り。

 

 

 

 

 

 

 ショッピングセンター。ここで休憩。

 ホテルに戻って、暗くなってから、まず駅に行って、翌日の切符を買い、そのあと夕食にしようと思った。

 雨が降っていたのだが、駅に行く途中のところで道路に水があふれているところがあり、駅にたどりつくのに苦労した。しかも、せっかく駅に行ったのに、予約窓口はすでに閉まっていた。同じように、予約の切符を買うためにやってきて、駅員に抗議していた人もいた。まぁ、ジャカルタ行きは多いので、当日でもいいだろう。

 夕食は、タプール・クウにて。いろいろな料理の中から指差しして選んで、皿にのせてもらう仕組み。

 上左 イカン・ゴレン、"てんぷら風の何か"、ビーフン

 上右 ナシ

 右 暖かいデザート。生姜が入っていて、生姜湯の味。

 満腹になって、雨の中ホテルに戻った。