後半3、4日目

 

ソウル近郊ぶらり旅(21)

【朝の南大門市場】

 ホテルで目覚め。朝シャワーを浴びて落ち着いても、まだ8時で
ある。この日は、日本から予約をしておいた板門店ツアーに参加す
る予定である。この日のツアーは11時出発で、10時40分に出発場所であるロッテホテル内にある大韓旅行社のオフィスに集合となっている。

 それまでの時間は特に何もすることがない。そこでツアーの集合
時間までのひとときを、南大門市場(ナンデムンシジャン)へ行っ
てすごすことにした。朝食も南大門市場へいってからとることにし
た。

 南大門市場はソウル市のど真中にある。繁華街の明洞とソウル駅
前のビジネス街の中間の一帯だ。近くの地下鉄駅は4号線にあるの
だが、ホテルのそばの駅から乗車できる1号線には駅がない。それ
で、どうせ歩くならと、ホテルから南大門市場まで歩いていくこと
にした。

 昨日、サムゲタンやアイスピンズを食べた明洞を通る。昨日とは
全く違う町のように、人通りが少ない。近くのオフィスへ向かう通
勤者が足早に通りすぎ、いくつかの店の前では、掃除をしている人
がいるが、それ以外は静まりかえっている。道端のゴミがやたらと
目立つ。

 そして、南大門市場にたどりつく。やってくる時間を間違えたよ
うだ。残念なことに、この市場でも開いている店はそれほど多くな
い。人通りも多くなく、開いている店にも客の姿はちらほら見かけ
る程度である。たいていの店では開店準備をしているようで、商品
を店先に出して並べたり、車から荷物を降ろしているといった人が
目立つ。

 深夜まで営業している店、それも朝の4時とか5時とかいった時
間まで営業していえる店も多いらしいが、そのかわり朝はゆっくり
としているのだろう。やっている店もあるが、卸売り店のようなと
ころが多いようで、一般の客は入っていきにくい。

 そういえば、前の訪韓で熱気を感じたのだが、ここへやってきた
のは夕方であった。今度、ここを訪れるときは、真夜中にやってき
たいものだ。だが、あまり見かけない市場の姿を見ることができた
のはよかった。熱気あふれる市場も、静まり返って、夕方から夜に
かけての喧騒に備えてエネルギーを蓄えていく時間があるのだ。

 店が開いていれば、キムチ、生鮮食料品、漢方薬、衣類などを売
っているはずだ。前回訪れたときには、店頭に豚の頭が何気なく置
いてあったりしてびっくりした。

 ソウルの市場としては、東大門市場も有名なのであるが、こちら
はどちらかといえば衣類などを多く売っている店が多いのだが、南
大門市場では、食料品を売る店が目立ち、衣類を売っている店も、
露店で売ったりしているところがあったりして、店頭販売中心の東
大門市場と違っている。

 一言で言えば、南大門のほうがより庶民の生活に密接な店が多い
のだ。そして、狭い店の中に商品が山と積まれた中で、店員と買物
客が値段交渉している声が響く。

 開店していない店が多い中で、食堂の類は営業しているところが
多い。サンプルが並べられた店頭を関心深げにのぞきながら歩くと
たちまち客引きから声を掛けられる。そうした店のひとつに入って
朝食にした。韓国でないとなかなか食べられないものを、と思って
カルビタンを注文。朝からカルビタンとは、ちょっと豪勢だとは思
ったが、何しろ安いから値段のことは気にならない。

 市場の中の店だけあって、キムチのサービスはあることはあるが、
ひとつの皿に何種類かが盛り合わせてあって、質素な感じである。
カルビタンのスープの中に、金属製の茶碗に入って出てきたご飯を
全部放り込んで、混ぜて食べる。朝からカロリーの高いものを食べ
て満腹になった。



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ソウル近郊ぶらり旅(22)

【突然中止の板門店ツアー】

 南大門市場の中にある食堂で朝食をとったあと、大通りを歩いて
ツアーの集合場所であるロッテホテルに向かう。わずか1kmほどの
道のりであるが、熱いカルビタンを食べたところなので、たちまち
汗が噴出してくる。

 ソウルで多いのが、道路を横断するための地下道である。道路の
反対側へ行くのに、いちいち地下道を通るのはかなり面倒くさいが、
やむを得ない。何回か地下道を通らなければ集合場所には行きつけ
ない。

 ソウル市内の大通りで、地下道や横断歩道のないところでは、道
路を横断するのはかなり難しい。これは、自動車が横断する歩行者
を見つけてもスピードを落すことがあまりないからだ。自動車が右
側通行ということもあるし、旅行者としては、無理な横断は避けな
ければならない。

 ソウルで意外と少ないのが、コンビニエンスストアである。よっ
て、コンビニで買っておきたいものがあれば、店を見つけ次第、買
っておくのが良い。しかし、これが道路の反対側。道路を横断する
地下道のあるところまで戻って、反対側に渡って、ツアー中に飲む
ための水を調達。

 集合時間は10時40分。このことは、日本から予約の電話をしたと
きに聞いていたが、ソウルへやってきてからリコンフォームの電話
をかけたときにもう一度言われた。このツアーは、予約が入れてあ
っても、前日までに、もう一度、リコンフォームをしなければなら
ないのである。

 このときは11時出発の予定であったのだが、毎日この時間に出発
するのではない。日によって、9時出発とか、ほかの時間に出発の
こともある。これは、板門店での南北の会議の関係であろう。また、
出発時間が急に変更になることもしばしばあって、リコンファーム
が要求されているのであろう。

 いよいよ、ソウル滞在中のメインエベントとして楽しみにしてい
る板門店ツアーの集合場所になっているロッテホテルに到着する。
集合時間にはまだまだ余裕があったので、フロント横で少し両替を
する。ホテルで両替すると交換率がよくないのであるが、財布の中
を見ると、滞在中のウォンが少々足りないように思えたので両替し
ておく。

 大韓旅行社のオフィスに到着したのは、10時30分。すでに多くの
人たちが待っていると思いきや、ほとんど待っている人はいない。
すでにツアー客がバス乗り場の方へと案内されたと後なのだろうか
なと思いながらカウンターへ行き、パスポートを差出して、名前を
告げた。このツアーは、パスポートが必携なのだ。そして、外国人
しか参加できない。

 ところが、何たることか。この日のツアーはキャンセルになった
ということだ。何でも、この朝、8時40分に板門店から連絡があっ
て、この日のツアーが中止になったというのである。何があったの
だろうか。南北間でトラブルがあったのだろうか、それとも、予定
外の会議がおこなわれることになったのか。いづれにしても、この
日のツアーがないことだけは確かだ。翌日のツアーに変更しないか
との案内も受けたのであるが、残念ながら翌日は帰国する日になっ
ている。

 実は、前回の訪韓のさいにも、板門店ツアーは日本から予約して
いったのであるが、このときには、水害のためにツアーが中止にな
ったのだ。このときは、日本でも北朝鮮の水害が、食糧難とも関係
してマスコミを賑やわせていたのだったが、韓国でもソウルよりも
北のほうでは、ひどい水害に見まわれていたのだった。そのために
中止になったのだ。同じツアーに、2回申し込んで、2回とも中止
になるとは、本当についていない。



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ソウル近郊ぶらり旅(23)

【江華島行きバスのモノ売り】

 板門店ツアーが中止になったため、たちまちこの日の予定をどう
するか検討しなければならなくなった。結局、時間的に行けるか心
配もあったが、当初、この訪韓で行く予定にしていた江華島(カン
ファド)に向かうことにした。

 タシケントから到着のあと、金浦空港から直接に江華島へバスで
向かう計画を立てていたのだが、バス乗場がよくわからないことも
あって、今回は江華島を見送っていたのだ。しかし、一日を無為に
過ごすことはないので、江華島に向かうことにした。だが、すでに
時間は11時。行動を迅速にしないと、江華島を十分に回ることがで
きなくなるだろう。

 まずは、江華島へ向かうバスの乗場に向かう。このバスは、ソウ
ル西部の新村(シンチョン)から出ている。ロッテホテルからロッ
テデパートの地下へ行き、そこから地下鉄2号線の乙支路入口(ウ
ルチロイック)の駅へと急ぐ。やってきた電車で5駅目の新村で下
車。

 新村はソウル西部の学生街といえるところである。新村には延世
大学校があり、地下鉄で一駅離れたところには梨花女子大学校もあって、学生の多い町である。(韓国では、大学のことを大学校とい
う。)

 前回の訪韓のさいには、このエリアも探索したのであるが、学生
向けの安い飲食店や雑貨店、それに梨花女子大の近くには女子学生
向けの衣類や靴の店が多い。さらに、ショピングセンターなどもで
きて、単なる学生だけの街ではなくて、一般的な商業拠点としても
発展してきているように感じた。この日は、新村をゆっくりと歩い
ている間はない。電車が新村駅に着くとすぐに、バス乗場へと急行
した。

 ここのバス乗場は、ガイドブックでは、新村バスターミナルとい
う名前で、高速バスターミナルや南部バスターミナルとともに掲載
されているのだが、果たしてバスターミナルと呼んでよいのだろう
かと思うようなところだ。

 何しろ、バスは道路わきに止まっていて、普通のバス停と変わら
ない。地下鉄の中で、行先である江華島のハングル表記を覚えてお
いたので、行先表示で江華行きであることを確認。江華島の中心の
町が、江華なのである。ガイドブックがなければ、ここが乗場であ
るとはわからない。

 バスの止まっているそばに小さな待合室があって、そこに自動券
売機があった。これで切符を買うのであるが、すべてが韓国語の表
示であるので、勘で操作する。ここでも、江華島のハングル表示を
覚えておいたので役に立った。バス代は、3300ウォン(約330円)。
50kmほどの道のりなので、かなり安いと思う。

 切符を持ってバスに乗るところで運転手が切符の端の方を破る。
切符を渡すときに、カンファと言って渡す。万が一、違うバスであ
れば、運転手が何か言うと思ったからだ。運転手は無言だったので、
これに乗れば江華に行けると判断。

 しばらくして、ほぼ満席になってバスは発車。漢江(ハンガン)
を渡り、金浦空港のすぐそばも通って北へと向かう。途中で乗りこ
んできた男が急に演説を始めた。ソウル地下鉄でおなじみのモノ売
りである。

 一通りの演説を終えた男は、品物を乗客の膝の上に置いて回る。
自分の膝の上にもビニール袋に入った品物が置かれた。裏に吸盤が
ついていて、モノを引っ掛けるようになっている小物であった。男
は、品物を乗客全員の膝の上に置いたあと、今度はその品物をとっ
て回っている。欲しい人だけが買って、いらない人は無視していれ
ばよいのである。

 自分は無視していたし、大部分の乗客も同様であったが、隣に座
っていた人が買い求めた。確かに、普通の店では売っていないよう
なものなので、欲しい場合はここで買わないと手に入らないかもし
れない。しかし、身動きのできないバスの中で膝の上にモノを置く
のはやめて欲しいものだ。



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ソウル近郊ぶらり旅(24)

【江華島ところどころ その1】

 バスは山がせまる農村地帯を走り、本土と島を結ぶ江華大橋を渡
って江華島に入る。橋のたもとでは兵隊が警備についていて、北朝
鮮と対峙する島であることを意識させられる。

 のどかな車窓から仁川基督教大学校の看板が見える。なぜ仁川な
のだろうか。地図をよく見て気づいた。この島は行政的には仁川市
に属しているのだ。仁川市からここへくる場合は、いったんソウル
へ行ってここへ来るのが普通なのに。

 1時間20分ほどで江華のバスターミナルへ。ショピングセンター
の建物と共用しているビルの一角がターミナルになっている。江華
島の島内のバスの便はかなり不便であるらしいのでタクシーを使う
つもりだが、念のために切符売場に書いてある発車時間を確認する。
やはり訪問する予定のところを全部バスで回るのは不可能だ。帰り
のバスの発車時間も確認。こちらは、頻発している。タクシーで回
っても、かなり時間がかかるかもしれないので、昼食は抜きにした。

 ショピングセンターの正面にタクシー乗場がある。江華までバス
でやってきてタクシーに乗換えるという人は多いようで、かなりの
行列ができていた。バスターミナルでうろうろしていた自分は最後
尾になった。

 タクシーの方も列ができていたものの、あまり待たずにタクシー
に乗ることができた。タクシーで回って欲しいところは紙にハング
ル書きで書いておいて、ここを回って欲しいということだけを韓国
語で伝える。紙を眺めた運転手は、自分が立てた回り方ではなく、
別の回り方がいいというようなことを言っているようだ。回り方は
運転手に任せる。

 続いて値段の交渉。70000〜80000ウォンで何とか回りたい。「オ
ルマエヨ」というと、「メーター」と言ってメーターを指差す。か
なりの農村地帯であるが、メーター制になっていたのだ。

 まずは島の北の方を回る。最初は高麗宮址。13世紀、モンゴルは
日本へ大軍を送ったが、その前に朝鮮を属国にした。当初、モンゴ
ルの侵略に対して、当時の李朝の高宗は、まず都を今は38度線の北
にある開城(ケソン)から江華島に移した。そして、水軍で防備を
固め、攻略を図ろうとしたモンゴル軍を寄せ付けなかった。このと
きの宮城のあとだ。

 もっとも、高宗はその後、本土を蹂躙するモンゴルと和睦し、属
国となる道を選んだのだ。モンゴルはついで日本の征服に乗りだす
のだが、その際に、朝鮮兵はモンゴル軍の中核として日本へ派遣さ
れ、そして嵐にまきこまれてわずかな数の兵士が逃げ帰ったのだ。

 今、この宮城の址には、木が植わっているだけで当時をしのぶも
のは何もない。建物もあるが、これは後の時代になってから建てら
れたものである。

 続いて、北門。これは、都であった江華の北の入口であったとこ
ろである。この門で下車したあと、小道を少し歩いて進むとよいよ
うなことを運転手がいう。運転手は遠くに見える陸地を指差して、
北韓と説明した。江華島は海峡を隔てて北朝鮮と向かい合っている
のだ。

 次は、支石墓。農地の真中に石が置かれていて、そこへ向かう小
道が続いている。言われなければ、何の変哲もない石でできた墓で
ある。

 再度、江華の街に戻り、町の中にある西門、町の南側にある南門
でちょっと下車。

 続いて、江華歴史館へ行く。さきほど通ってきた江華大橋の近く
にあり、回りは農地である。それほど大きくはないミュージアムだ。
展示は、石器時代から現代に及んでいるが、特に力が入っているの
が、近代になって日本や欧米の勢力が江華島に押し寄せてきた頃で
ある。ここを訪問したとき、小学生の団体がバスでやってきていた
ので賑やかであったが、普段はあまり訪れる人のいない静かなミュ
ージアムなのであろう。



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ソウル近郊ぶらり旅(25)

【江華島ところどころ その2】

 江華歴史館で外国勢力が押し寄せてきた頃の知識をつけたあと、
実際に対決の場となった現場を訪問した。いづれも江華島の南部に
ある。

 1860年代に朝鮮の李朝で実権を握っていたのは大院君であった。
彼は鎖国政策を維持しようとし、1866年には開国を要求していたフ
ランスの宣教師を処刑した。これに対してフランスは艦隊を江華島
に送り、謝罪と開国を要求した。朝鮮軍は江華島に上陸したフラン
ス軍を撃退した。その戦闘がおこなわれたのが、伝燈寺のある付近
である。

 続いて、同じ年にアメリカの艦船が朝鮮にやってきて大同江をさ
かのぼって現在の北朝鮮の平壌のあたりまで行くという事件があっ
た。この船も朝鮮軍が襲って兵士を殺したのだが、1871年になって
アメリカはその謝罪と開国を要求して、艦隊を江華島に送った。朝
鮮軍は、広城堡(クァンソンポ)、徳津鎮(トクチンジン)、草芝
鎮(チョジジン)といった砲台からアメリカ艦を砲撃したが、徳津
鎮、草芝鎮はアメリカ側に奪われた。そして、広城堡でアメリカ軍
と朝鮮軍の激闘が繰り広げられたのだった。

 こうして朝鮮は、フランス、アメリカの侵略を相次いで撃退した
のだったが、続いて朝鮮進出をはかったのが日本であった。1873年
に大院君は政権を追われ、代って対日妥協派が実権を握った。この
とき日本は朝鮮に対して、開国を要求した。日本は軍艦を江華島に
派遣した。これに対して、朝鮮軍は草芝鎮から日本の軍艦を砲撃し
た。日本はこれを口実にして近くの小島を占領し、翌年、江華島に
艦隊を派遣した。その圧力のもとで、江華条約とも呼ばれる日朝修
好条規が結ばれたのであった。

 この条約は、朝鮮が開国を認めると同時に、日本人に治外法権を
与える不平等条約で、日清戦争、日露戦争、韓国併合と朝鮮半島に
勢力を伸ばしていく日本がはじめてその基盤を認めさせたものであ
る。その意味で、朝鮮半島の近代史上、江華島は重要な意味を持っ
ているのである。

 さて、タクシーを使って、島の東南部にあって、本土との狭い海
峡に面している、広城堡、徳津鎮、草芝鎮の3つの砲台を連続して
訪れた。いづれも、特別に大きな砲台ではなく、石塁に囲まれたな
かに何基かの大砲が並べられている。3つの砲台のなかでも、日本
とのかかわりの強い草芝鎮には、砲撃の跡も残されているとのこと
であったが確認はできなかった。

 続いて、伝燈寺を訪問する。仏教が朝鮮に伝来した当時の創建に
よえるものという説もある古刹である。この寺に行くには、タクシ
ーを降りてから、10分程度、山道を歩かねばならない。タクシーを
待たせておいて大急ぎで、いくつかの建築物を見て、すぐにタクシ
ーに戻ろうとしたが、入口が何ヶ所かあって、違う入口へ降りてし
まって時間のロスをしてしまった。この付近は、フランス軍との戦
闘が激しかったところでもある。

 これで、タクシーを使って訪問するみどころは終わりである。江
華島で有名なところとしては、あと摩尼山がある。ここは江華島で
一番高いところで、民族の始祖と呼ばれる壇君が降臨したとされる
建国にまつわる神話の舞台でもある。ここは、伝燈寺からはさほど
遠くないところにあるのだが、ふもとの駐車場から山上まで40分ほ
ど歩かなければならないということで、タクシーの駐車料金が気に
なったのと、ソウルに戻って知人と待ち合わせの約束をしていると
いうことがあって、今回はパスをすることにした。伝燈寺からの帰
路、運転手が摩尼山を教えてくれた。

 あとは江華の街に戻るだけである。かなりの距離をタクシーで移
動したことになる。概算すると、50〜60kmくらいの乗車距離である。
街に戻る途中、手をあげて乗車を求める人がいた。運転手は手を降
って、乗れないという合図をしていた。普段は乗合タクシーのよう
になっているのだろうか。

 最後のあたりは、タクシー料金がいくらになるか気が気ではなか
ったが、バスターミナルに戻ったときには、67000ウォン弱であっ
た。端数は取ってもらうことにして、67000ウォン(約6700円)を
払って、江華島タクシーの旅は終わった。



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ソウル近郊ぶらり旅(26)

【焼肉三昧】

 タクシーで江華のバスターミナルに戻ったあと、すぐにバスでソ
ウルへの帰途につく。ロッテホテルで知人と待ち合わせているから
だ。板門店ツアーが予定通りに実施されていたとしたら、17時か17
時30分ごろにロッテホテルに帰ってくるものと考え、待ち合わせの
時間は18時にしてある。すでに、時計は15時30分を回っている。す
ぐに窓口で新村行きの切符を買い求め、止まっていたバスに飛び乗
った。

 バスは、江華大橋を渡って本土へ。農村地帯をひた走る。睡魔が
襲ってきて、心地よい眠りに誘われた。どのくらいの時間、眠った
のであろうか。気がついてみると、バスはすでに金浦空港のそばを
走っていた。金浦空港からさほど遠くはない道路上にバス停はあっ
た。だが、空港に着いた事情のよくわからない者が、すぐにバス停
を見つけ出すのは困難だろう。

 再び眠りにつき、終着の新村まで夢の中であった。いったん地下
鉄駅の入口のすぐ前を通りながら、再度、少し離れた道路上のター
ミナルまで行ってバスを降ろされた。地下鉄駅へ行き、やってきた
電車に飛び乗った。

 2つめに乙支路入口で下車。すぐにロッテホテルに向かう。この
ホテルはソウル市内中心部の一等地にある超大型の高級ホテルで、やや高めのツアーなどはここを利用するものが多い。したがって、
このホテルの中は日本が引っ越してきたようなものである。

 広いロビーから2階にあがったところに、団体専用待合室という
のがある。ここが今日の待ち合わせ場所だ。17時を少し回ったとこ
ろで、しばらくここで待つ。

 当然ながら、ツアー客が、現地係員にチェックインなどをしても
らっている間をすごしたりするのがこの場所だ。現地係員が鍵を渡
したり、翌日のスケジュールを説明したりしている。よくできた構
造だと思ったのは、この待合室は外部に通じる通路がついていて、
ここから外部に出たところがバス駐車場なのだ。したがってツアー
バスが着けば、ロビーを経由せず、そのままこの待合室に入れるの
だ。逆に、ツアーバスに乗る場合は、ここで集合したあとすぐにバ
スの駐車しているところに向かえるのである。

 18時少し前に、知人が現れ、食事に出かける。近況を話しながら
向かった先は焼肉店。どの店に行くか話しながら、地下道を抜けて
明洞エリアに入る。さっそく、すさまじい客引き合戦だ。もっと歩
いていっても同じような店が多いだろうからと、明洞では一番北は
ずれにあたるところにある焼肉店に入った。

 店内へ入ってから、日本語が通じ、日本の雑誌などに紹介されて
いる店であることを知った。ノビチムという店である。2階が座敷
になっているとのことなので、2階にあがってみることにする。

 いろいろな種類の肉を、2人あわせて4人分注文。すぐに、キム
チやサラダなどの皿がたくさん並べられる。肉を巻いて食べるため
の野菜も大量に置かれる。ステーキのような大きな肉は専用の挟み
で小さく切ってくれる。火力は強く、すぐに焼きあがるので、どん
どん食べ進まないと、すぐに焦げ付いてしまう。

 うまくしてあると思ったのが集煙装置。通常のときは天井近くに
ぶら下がっているのだが、肉を焼きはじめると、焼いていているす
ぐ上に、麦わら帽子のように降ろされてくるのだ。

 柔らかい肉でどんどん食が進む。4人分では足らなくって、さら
に肉を追加。ソウルにきてから、一番高い店であったが、それでも
日本のことを思えば安い。ちょっと高めだが、またやってきたい店
である。

 焼肉を食べたあとは、2人で明洞を南端まで往復する。途中でカ
フェに入り休む。あっという間に時間がたち、知人はもう帰らなけ
ればならないということで別れる。明洞の北端から歩いてホテルに
戻る。



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ソウル近郊ぶらり旅(27)

【朝の東大門市場】

 いよいよ帰国日になった。早朝に起きて荷物の片付けをすませた。
チェックアウトをすませ、荷物はフロントに預かってもらい、13時
に戻ってくると伝える。16時台の便で帰国するのだ。7時30分ホテ
ルを出発する。

 東大門市場(トンデムンシジャン)へ行ってみることにする。ま
ずは、ホテルから鍾路(チョンノ)という大通りを東へ向かう。途
中、タプコル公園の前を通る。三・一運動のさい拠点となり、今は
運動の模様を伝えるレリーフがたくさんあるのだが、高齢者の憩い
の場ともなっている。ソウルの公園では、高齢者をたいへんたくさ
ん見かけるが、この公園は特に多い。この日も、朝早くから門の中
に入っていく人たちが大勢いた。

 朝食は、屋台食のサンドイッチにした。鉄板の上で、野菜入りの
卵焼きをつくり、同時に食パンも鉄板で焼いている。焼きあがった
ら、それらをサンドイッチにするのだ。2きれ食べると、それだけ
で朝食としては十分であった。昨夜、焼肉を食べているので、その
あとに食べる朝食としては、食欲のすすみやすいものでもある。会
社勤めの人たちも次から次へとやってきて、サンドイッチをほうば
っている。

 さらにもう少し東へいったところから東大門市場のエリアがはじ
まる。鍾路の一筋南側の通りが、たくさんの商店がならんでいる通
りなので、その通りを東へと進む。

 だが、朝というのは、営業していない店が多い。深夜営業で有名
な市場であるが、夜明け前までやっていた店は、昼過ぎまでは店を
閉じるのであろう。それでも、営業している店、開店の準備や荷物
の上げ下ろしをしている店も結構ある。こうした道路が、延々と1
kmくらい続く。

 やがて、一帯全体が市場になっている東大門市場の中心地に到着した。ここには衣料品や雑貨、靴などの店が集中している。道路に面した店舗よりも、大型ビルのなかに入居している店舗のほうがずっと数が多い。

 数年前に訪韓したさいには、巨大な古いビルに入ったのだが、ど
こを歩いているのかわからなくなってしまって、すぐにビルの外側
に出て位置を確認するとかしていたことを思いだした。このビルに
再びやってきたが、やはりその混沌とした様子は変わっていなかっ
た。もっとも、朝なので閉まっている店が多く、行き交う人も多く
はない。

 今回の訪韓で変わったと思ったのは、この数年間で、新しいファ
ッションビル風の高層ビルがいくつか出来ていたことである。その
うちのひとつに入ってみた。やはり、営業している店はあまり多く
はなく、ひっそりとしているが、一通り様子を見て歩くには問題な
い。

 新しい高層ビルは、外観も小売りの客を引き寄せやすい感じで、
デパートとの違いはない。建物の内部もたいへん明るく、案内板が
あったりして、卸売り客よりも小売り客のほうをかなり意識してい
る様子がうかがわれる。夜にやってくると、若い人たちでにぎわっ
ているのだろう。

 古くからあるビルの中の店舗の場合だと、小売りもやっていると
はいっても、初めての観光客が買物をするにはちょっとハードな感
じがした。それが、こうした明るいファッションビル風の高層ビル
の場合だと、誰でも買物がしやすく感じられるのだ。それにしても、
細かく区切られたたくさんのブースがある。それこそ、蜂の巣の中
に入ったような感じである。

 ビルの中を見学したあと、東大門の交差点からさらに東へと向か
う。まだしばらくは、昔ながらの店舗がならんでいる。どんどん歩
いていくと、やがて店舗があまりまくなってきたな、と思ったら、
そこが市場のエリアの端である。今度は、たくさんの客でにぎわっ
ている夜の時間帯にこの市場を訪れることにしてみよう。



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ソウル近郊ぶらり旅(28)

【また来るぞ韓国】

 東大門市場を見たあと、地下鉄でロッテデパートへ行き、おみや
げを調達したあと、明洞で昼食をとることにした。昨日、入った焼
肉店の前も通る。さすがにまだ開いてなくて、こんどまた来てみよ
うと思いながら通りすぎた。

 たいていの飲食店が営業を始めるのは11時のようで、開店したて
という店が多い。しばらく、散歩しながら、歩く人々の数が増える
のを待ってから食事をすることにする。11時30分くらいになると、
どこからやってきたのか、かなりの人通りである。最後の食事は、
全州中央会館のビビンパブ。

 予想通り、店にいたのは日本人が多かったが、まだ早い時間のせ
いか空席がめだった。今回は、生肉入りビビンパブという特製品を
注文。まずは、キムチを食べながらビールでのどをうるおしながら、
料理ができるのを待つ。

 やがていつものようにどんぶりが運ばれてきた。確かに生肉の塊
が入っている。日本語メニューの生肉という表現が目についたので
あるが、石焼きビビンパブなので、かきまぜているうちに生ではな
くなった。

 食事を終えると12時。まだまだ、なごり惜しいのであるが、荷物
をとりにホテルに戻らねばならない。地下鉄でホテルの近くまで戻
ると、12時30分。もう少し時間があると思い、ホテル近くの仁寺洞
(インサドン)へいってみたいが、30分で戻るのは難しい。次の機
会にする。

 ホテルで荷物を受け取り、ロビーで荷物の詰め替えなどの作業。
宿泊客の出払っている時間帯なので、心置きなく荷物の中身を出し
ての作業ができた。そして、地下鉄で金浦空港へ。珍しく、車内で
のモノ売りにでくわさなかった。

 空港についた時点で、韓国ウォンがまだ少し残っていたこれをど
う処分するか。空港内の売店で、おみやげを多少買い足すが、それ
でもまだ少し残ってしまった。10000ウォン少々。いずれ韓国には
またやってくると思うので、多少のお金は持って帰ろうとカバンの
中に片付けた。

 そのときに、ある表示に気づいた。空港利用券として、9000ウォ
ン必要なのだ。何と幸運なことか。丁度、その額がまかなえるだけ
のウォンを残していて良かった。空港内での買物で手持ちのウォン
の全額を使い果たしてしまう寸前だったからだ。

 空港税の類は、たいていは航空券の料金に含まれることが多いの
で、このように現地で別払いになっているケースでは、その存在を
忘れてしまい、余計な両替をして、さらにその残額を処分するため
に、無駄な買物を余儀なくされる場合がある。あと、少しでそうな
ってしまうところであった。

 ところで、その空港利用券。外国人は9000ウォンであるのに、な
ぜか、韓国人は19000ウォンだったのだ。外国人の方が高いという
ならわかるが、自国の国民のほうが高いといケースは珍しいのでは
ないだろうか。

 出国審査をすませて、ゲート近くで待つ。待ちながら、この旅の
旅行先であったウズベキスタンと韓国でのできごとを次々と思い浮
かべていった。いろいろなことがあったが、どちらの国でも、文化
遺産や自然にふれ、民族性にふれることができた。

 どちらの国も、また訪れて、見落としたところなどをまた訪問し
てみたい。とくに韓国の方は、比較的簡単にやってきやすいので、
近いうちにまたやってきたいものだ。

 2度も中止になってしまった板門店ツアーは是非行ってみたいし、
今までソウルから遠く離れたところへは行っていないが、ソウルか
ら離れたところも行ってみたい。まだ、食べてみたいものもたくさ
んある。近いうちにまた来るぞと思いながら、アシアナ航空OZ120
便で帰国の途につき、あっという間に関空に到着した。

 

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