第3日 南原でミスって、全州でビビンパブを味わう
麗水発南原、全州方面行きの始発は5時15分。これでは南原に早くつきすぎるので、次の6時5分発に乗車することにした。 部屋を5時40分に出発。しかし、玄関を開けてもらうのにアジョシ(おじさん)を起こすために数分かかり、駅に着いたのは5時50分。切符を買うのに、数人並んでいたので、また数分かかった。南原まで、ムグンファ号で5900ウォン(約730円)。距離は、105kmなので、日本のJRでは1800円(特急の場合はプラスアルファ)。ムグンファ号は、停車駅数や車両設備は、JRの特急よりやや格下という程度(セマウル号はやや格上か)なので、運賃はかなり安いといえる。 全車指定席だが、各車両に数人程度の乗車。自分の割り当てられた席は窓の配置がよくなく見晴らしが悪かったので、別の席に移動し、もしそこの券を持った人が来たら代わることにした。 やがて発車。まだ真っ暗。次の駅は、麗川(ヨチョン)。アナウンスは、韓国語、英語、日本語、中国語で行われる。全部、録音だが、到着直前、韓国語で車掌がもう一度アナウンスしていた。2年前、ムグンファ号に乗って、日本語のアナウンスに驚いたのだが、さらに中国語が加わっていた。 |
朝食は、日本から持ってきた菓子類で済ませた。やがて夜があける。求礼口(クレク)付近では、前回の旅で、華厳寺に行くときに通った道のそばも走る。 |
定刻に南原(ナムォン)到着。きれいな駅だと思った。このときは、単に新装工事をしたのだと思っていた。 南原で下車したのは、ほんの数人。乗る人は多かった。駅舎の外に出てみると、タクシーとバスが止まっていた。街を歩くつもりをしていた自分には関係のない存在だったはずだったのだが、、 南原の駅舎は、新しい駅にもかかわらず、伝統的な造りになっている。広寒楼をイメージして造ったのであろう。 |
だが、異変に気付くのには時間がかからなかった。 駅前に何もないのである。何もないところにポツンと駅舎だけ。そして、何年か前の地球の歩き方の地図とは、道路の配置などが全然違う。(ロンリープラネット日本語版では、南原は、取り扱われていなかったのだ。重要な観光都市であるにもかかわらず、、) 南原駅は改築されただけでなく、移転したのだ。では、自分は、どこに、、? 急に不安に襲われる。すでに、タクシーとバスは行ってしまった。 |
2kmほど、時々、車が通るだけで人の歩いていない道を歩き、ようやく広寒楼へ2kmの標識を見つけて、やっと安心できた。しかし、9時ごろのバスで全州に向かいたいと思っていたので、行く予定だった万人義塚は、行くのをあきらめ、広寒楼だけ行くことにした。(帰国後、調べてみたら、2004年8月に南原駅は 西のほうに移転していたことがわかった。出発前にもう少し調査したら、、と反省。) |
駅から歩くこと50分。ようやく広寒楼に到着。 「春香伝」の舞台となって有名な建物であるが、17世紀に再建された建物である。 9時ごろにバスターミナルから、全州行きのバスに乗りたいので、庭園を一周して、すぐに外に出た。 万人義塚をはじめとして、南原にはまだまだ見るところがある。機会を改めて、またやってこようと思う。 |
南原の市外バスターミナルには何とか9時に到着。このターミナルは、前回、華厳寺から乗ったバスから全州行きのバスに乗り換えさせられたので、少し雰囲気を覚えている。全州(チョンジュ)まで5000ウォン。 全州行きの乗場に行ってみたら、9時5分発のバスが止まっていたので、すぐに乗車。行き先の表示には、ハングルで、全州 直通(チョクトン)と書かれている。これは、ノンストップで1時間で全州に 着く早いバスだ。 同じく区間には、遅いバスもあって、1時間30分かかる。時刻表によると、直通バスは1日25便、遅いバスは43便なので、直通バスに待たずに乗れたのはラッキーだったのかもしれない。 |
10時50分ごろ全州市内に入った。全州のバスターミナルは市街地の北のほうにあるのだが、南からやってきたバスは、市の中心部でいったん止まる。今回は、そこで下車した。 すぐ近くには、市庁があった。変わった形をしていて、玄関の上には瓦葺の部分もある。瓦葺といえば、全州では、電話ボックスと街中の配電盤にも瓦葺の屋根がついている。 市庁近くにコアホテルというホテルがある。自分は、まずそこに急いだ。全州から仁川空港に向かうバスは、コアホテルが発着地になっているからだ。 空港行きバスが止まっていた。バスを見ると汝矣島(ヨイド)、金浦空港を経由することがわかった。とすると、4時間近い所要時間を見込んでおいたほうがよいだろう。 |
発車は毎時00分と30分。仁川空港発は19時なので、17時には着いていたい。となれば、13時発のバスに乗るのがいいと判断。それまで全州の歴史地区を回ることにした。
まずは、客舎(ケクサ)。朝鮮王朝時代に、儀式が行われた建物。朝鮮王朝を開いた、李成桂が拠点にしたのは全州であったのだ。前回は、中に入れなかったので入場した。 朝食が菓子だけであるうえ、たくさん歩いて空腹気味だったので、早くビビンパブを食べようかと思って、有名店のひとつ家族会館(カジョクフェグァン)にやってきたが、まだ開いてなかった。先に歴史地区の散策をすませよう。
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ついでやってきたのが、殿洞聖堂(チョンドンソンダン)。前回の訪問時には、内部を見られなかったので、入ってみた。日曜日のミサが行われていた。 上部に明かり取りがあって、内部が明るい聖堂であった。 ついで、郷校(ヒャンギョ)へ。貴族の子弟向けの寄宿制の私塾であったようだ。ここで、科挙のための準備が行われていたという。ここも前回は入れなかったので訪問した。
歴史保存地区では、修復工事があちこちで行われていた。左の路地も修復予定のようで、修復後はどうなるのかの掲示があった。 |
伝統酒博物館と東学革命紀念館、行ってみたが開いているのか、閉まっているのかよくわからなかった。建物の中には入れたが、やっているようには思えなかたのだ。それで、すぐに外へ出た。またの機会に挑戦してみよう。 また、前回はなかった新しい施設もできていた。韓国伝統文化体験ゾーン、ここも中に入ったが、無人だたっため、入ってよいやらダメなのかわがらずじまい。また、韓薬博物館もできていたので入ってみたが、こちらは展示も少しあったが、主力は販売コーナーであった。この付近、修復工事とあわせて大きく変わるかもしれないので、また来ようと思う。 |
散策を終えて、12時。もうピピンバブが食べられるだろうと思い、再び家族会館にやってきた。ピピンパブの専門店である。 普通のピピンパブが8000ウォン。容器は熱くなっていて、石焼ではないが、肉や卵が焼けていった。 おかずの種類も多く、12種類あった。 大変美味しかった。今度は、別の店で試してみたいと思う。 |
食後はコアホテルに急行。仁川空港行きのバスに乗車。25000ウォン。 乗客は8人。市外バスターミナル、全州駅のそばも通り、郊外に出た。益山(イクサン)のインターチェンジで2人乗車し、その後、高速道路に入った。途中、天安(チョナン)のサービスエリアで休憩。汝矣島(ヨイド)、金浦空港と回るので、行きの光州行きのバスほど早くない。 汝矣島(ヨイド)の63ビルで4人、金浦空港で4人が下車し、仁川空港まで乗ったのは自分を入れて2人。到着は16時50分。所要時間は3時間50分だった。仁川空港では2時間前にチェックインできた。 |
出国手続きでは、今回からは出国カードが不要になっている。念のために、入国カードの半券部分の出国カードは捨てずに持っていたのだが、不要であった。ただ、韓国入国のさいに、以前は、該当者のみであった税関申告書を全員書かなければならなくなっていたので差し引きゼロだが。 搭乗前に夕食。搭乗機では、軽い機内食が出ることになっていたがどんものかわからなかったから。まだ食べたことのない、ジャージャーメンを注文。 |
機内で出たのは左の通り。空港で食事を済ませておいてよかった。それでも、行きの便では、機内食が廃止されていたので、あるだけでもマシか。 1時間20分の搭乗で帰国。韓国の地方旅、またやってみようと思う。 |