日目  仁 川 街 歩 き

 

 

タルトンネ博物館

 

 

  ホテルの朝食は8時からと遅かった。それでも、1日目はホテルで食べておくことにした。ホテルは結構気に入ったのだが、朝食はよくなかった。

 卵料理は調理してくれるのだが、そのほかは生野菜。パンもわざわざ焼いてくれるのだが、かえって面倒な感じもするし。

 おかげでホテル出発が9時前になって、時間を無駄にしてしまったって思った。

 ホテルから最寄の地下鉄駅である会賢(フェヒョン)駅までは10分ほど。ホテル近くは、ちょっとゴミゴミしていて20年くらい前に初めてソウルに来たときには当たり前だったような街だ。駅の近くは高層ビルが多く、まったく別の街のような感じで、街の雰囲気がガラリと変わる。

 この日は仁川(インチョン)に日帰りで往復するが、当初の計画では地下鉄4号線で南下、前年にできた水仁線に乗って、仁川に向かうつもりだった。でも、すでに9時になったので、京仁線で仁川に行くことにした。

 上左  京仁線は数年前から終日、急行運転されている。地下鉄4号線でソウル駅へ。そして1号線の仁川行きで龍山に向かい、いったん下車して、急行に乗り換えた。少し待ったので乗り換える必要はなかったが、急行に乗りたかったのだ。

 上右  最初はガラガラで次第に客が増えていった。

 左  漢江(ハンガン)を渡る。初めてソウルに来たとき、漢江を渡るときにソウルに来たって感じがしたのを思い出す。

 

 京仁線は複々線化され、普通と急行が別々の線で運転されていた。15年ほど前に乗ったときとは大きく変わっていた。40分ほどで東仁川に到着した。

 これから向かうタルトンネ博物館は東仁川の近くにあるためここで下車したのだが、仁川駅まで行く場合でも、急行は東仁川どまりだから乗換が必要だ。

 左  東仁川の駅舎は工事中。タルトンネ博物館へは駅の北側に出ることが必要だったのだが、表示がわかりづらく、南側に出た。このあと、北側に移動したのだが、かなり遠回りしてしまった。あとで近道はわかったのだが、初めは気づかず。

 下左  少し古そうな感じの商店街の中を歩いていく。

 下右  スドックサン・タルトンネ・パッムルグァンの表示を見つけ、矢印に沿ってすすむ。かなり急な車道を上り、かつてタルトンネだった名残だと感じた。

 小高い丘の頂上にタルトンネ博物館はあった。周辺は高層住宅が建ち並んでいる。かつてのタルトンネ(高台のスラム街)が現代的なマンションに変わったのだが、昔のタルトンネの様子を残すためにつくられた博物館である。

 スドックサン=水道局山 と最初についているが、この山が日本統治時代に貯水池がつくられ、長らく水源地として使われたことに由来するようだ。朝鮮戦争後に難民が多く流入し、仁川の代表的なタルトンネになったとのこと。

 上左・上右  内部は庶民の生活した家などが昔さながらにつくられている。うまくつくられているので、リアルな感じがよくでていて、自分がタルトンネの中にいるような体験ができる。

 地下室を利用していて、薄暗い中の展示なので、足元に気をつける必要がある。

 左  昔の駄菓子屋をイメージしたような売店。売っているのも昔のキャラクター商品などが中心だ。

 

 小さな博物館であったがじっくり見学して外に出た。仁川の市街地がよく見える。このあと、坂道を下りて、仁川を街歩きしていく。

新浦市場でタッカンジョン

 上左  仁川市の中心部 、東仁川駅の南のほうに仁川市最大の繁華街である新浦洞がある。東仁川駅から歩くとまず新浦ロデオ通りがある。ここはブランドショップなどが多くある。

 上右  さらに少し南に行くと新浦市場がある。アーケード街になっていて、食堂や屋台、食料品店などが並ぶ通りである。

 左  アーケード街に入ってすぐのところにタッカンジョンで有名な店があり、持ち帰りの客が長い列を作っていた。写真の上部の看板にはウォンソ・シンポタッカンジョンとある。ウォンソは元祖。タッカンジョンの店は他にもあるのだが、区別するためにつけているのだろう。

 列の合間からタッカンジョンを作っているところを撮影。タッカンジョンは鶏のから揚げを甘辛くてどろっとしたタレで混ぜあわせたものである。

 写真の上部では鶏のから揚げを作っていて、できたから揚げを手前の大きな丸鍋の中で甘辛いタレに混ぜ合わせている。

 下左  持ち帰り店舗の向かいに食堂があり、こちらは行列ができておらず、中に入って食べることにした。

 下右  食堂内。

 

 

 

 

  上  メニューはタッカンジョンとフライドだけで、どちらも大と中があるが小はない。

 左  タッカンジョンの中を注文。先にキャベツと大根の角切りが運ばれてくる。これは自由にお代わりできる。

 しばらく待ってタッカンジョンが運ばれ来て。ギョェー! とびっくりしてしまった。こんなに多いとは思ってみなかった。

 全部食べるのは無理かなと思ったが、どんどん食べ進んだ。ビールやご飯を頼むこともできたのだが、料理が食べられなくなると困るので注文しなかった。

 結局、3個ほど残した。食べられなくもなかったが、飽きてきてしまった。”ポジャンヘチュセヨ”と持ち帰りを頼んでもよかったのだが、さめたものは美味しくなくなって、結局捨てるだろうと思い残した。

 2人客は中、3人以上になると大を注文しているようだった。

 店を出ると列ができていて早く入ってよかったと思った。

 すぐそばにもタッカンジョンのお店があるのだが、こちらは無名店でまったく客がいない。厳しい現実を見せ付けられた。でもこちらは小があり、小を注文するために、無名店に入ってもよかったかなとか考えた。

 左  さらにアーケードをすすむと、ティギム(天ぷら)の店があった。

 天ぷらは6種類あったのだが、6種類を細かく切ったものを全部串にさしたものを頼んだ。天ぷらの種類を指定するとその場で上げてくれる。

 揚げたてのものにさらに唐辛子味のソースをつけて出来上がり。店の向かいの道路わきで立ち食いした。

 肉まんとか餃子とかほかにも食べてみたいものはあったのだが、もはや満腹状態になっているためにパス。

旧日本人街を街歩き

  昼食後は旧日本人街を街歩き。1883年に日本人が居住するために租界(外国人に治外法権が与えられた外国人居留地)が設けられた。この旧租界が旧日本人街である。1910年の日韓併合で日本の植民地となったため租界は廃止されたが、日本人街はさらに拡大した。

 旧日本人街の東側の入口にあたる門が、虹霓門(ホンイェムン)である。門というよりは短いトンネルであるが。

 仁川市内には自由公園のある小高い丘があるのだが、その丘の東側に尾根が伸び、東仁川駅の方向に続いている。その尾根の先端部分に掘られたものだ。日本人の人口が多くなったので、日本人街を拡大させるためにつくられたという。

 この門から入っても、すぐには日本人街を連想させるような建物は残っていない。日本人街だとわかるのは、数百メートル歩いてからだ。

 

 

 

 

 

 

 左  この建物は日本人街とは関係なさそうだが、瓶のキャップを壁一面に貼り付けていたのでびっくりした。

 上 一部分を拡大。

 第58銀行仁川支店。

 開業は1892年でこの建物は1939年に建設された。独立後は朝興銀行、大韓赤十字社などに使われ、現在は仁川市飲食業組合の事務所になっている。

 一方、第58銀行は、その後、安田銀行、富士銀行とかわり、現在はみずほ銀行。

 第18銀行仁川支店。

 第18銀行の初の海外支店として1890年に建てられた。その後、1936年に朝鮮殖産銀行となり、独立後は、韓国興業銀行などとして使われた。

 この銀行は長崎の商人が設立し、朝鮮殖産銀行に譲渡されたが、銀行自体は現在も、長崎に本社を置く地方銀行「第十八銀行」として存続している。

 内部は「仁川開港場近代建築博物館」になっている。

 ドアを開けるとすぎに自動券売機があってびっくり。ハングル表示だけだったが、何となく入場券を買うことができた。500ウォン(約40円)と激安。

 仁川に日本人街があったころの建物の模型や写真が展示されている。

 銀行の時代には金庫であったところも展示スペースになっていて味わいがある。

 旧日本人街の 当時の雰囲気を伝える建物が近年建てられたようだ。

 ほかにも日本風の建物はあって、カフェや土産物屋として使われている。先を急いでいたのでカフェには入らずじまいであったのが少し悔やまれる。

 第1銀行仁川支店。

 1883年に建てられた。当初は釜山支店の仁川出張所で、のちに仁川支店となった。1909年に中央銀行として韓国銀行がつくられ、さらに1911年に朝鮮銀行となり、その仁川支店になった。

 第一銀行は戦後も長らく存続したが、第一勧業銀行、そしてみずほ銀行として現在にいたっている。

 内部は「仁川開港博物館」になっている。

 韓国で最初にできた鉄道はソウルと仁川を結ぶ京仁線であったこともわかった。自分が一番興味深かったのは、水仁線の展示。昔の切符や時刻表もあった。ここは乗りたいと思っていたが、初の訪韓の少し前に廃止されてしまった。近年新しい水仁線が一部開業したので今度、仁川に行くときは乗ってみたい。

 大仏ホテル跡。

 1889年に建てられた韓国で初の西洋式ホテル。しかし。1918年に廃業し、中華レストランになったという。1900年に開業した京仁線のために、仁川が通過地点となったためだろう。その後、建物が解体された。何やら作業はしているようなので、遺構を保存するのだろうか。

 日本郵船仁川支店。

 

 赤レンガ倉庫。

 日本郵船の南側にたくさん建っているので、日本郵船に関係しているのだろう。

 きれいにリニューアルされていて、中は「仁川アートプラットフォーム」になっている。芸術家向けの貸し展示場って感じで、観光客向けの施設ではない。

 とはいえ、何棟も並ぶ赤レンガ群は小樽や函館を思い出させるものである。

中華街とチャジャンミョン

 旧日本郵船のビルや赤レンガ倉庫と道路をはさんで、西側はチャイナタウンになっている。

 まず目に入った巨大な中華風のビルが韓中文化館。中に入ると仁川と姉妹都市になっている青島などの展示や寄贈品のフロアや在韓華僑の歴史の展示のフロアなどがあった。

 あまり面白くはなく通過しただけだった。加えて、このビル、歴史的な地区にはあまりにも不釣合いな感じもした。

 旧日本人街とチャイナタウンを分ける道路は、自由公園に近づくと階段になっている。

 その階段の両側には燈籠がたっているのだが、西側(写真では左側)は中華風、東側(右側)は日本風のものだ。

 下左  西側の中華風燈籠。

 下右  東側の日本風燈籠。

 

 上左  階段の上にある孔子像。

 上右  さらにあがると自由公園。日本統治時代は西公園だったが、朝鮮戦争のとき仁川上陸作戦をおこなったマッカーサー将軍の功績をたたえて、銅像が建てられ、自由公園という名になった。

 左  自由公園から見た仁川港。

 三国志壁画通り。自由公園からチャイナタウンに下りる坂道には三国志の絵が数多く並べられている。

 下 チャジャンミョンのオブジェは面白かった。 

 チャイナタウンの中心部。中華レストランや中国菓子、中華風のグッズを売る店が並んでいる。

 下左  義善堂。韓国で唯一の中国式祠堂。

 下右  コンガルパン。試食できる店があったので、ちょっといただいてみた。中は空洞になっていて、外側はパリッと硬く、内側はふわっと柔らかい。砂糖がかかっていて、甘い。

 韓国で発達した中華料理にチャジャンミョンがある。もともとは中国のジャージャー麺(炒醤麺)であったが、仁川で味付けを変えて発達したのがチャジャンミョン。

 仁川で最初にチャジャンミョンを売り出したのが共和春という店。1905年のことだという。この店の旧店舗が、チャジャンミョン博物館として2012年4月から利用されている。

 共和春の新店舗はチャイナタウンのメインストリートにできている。

 チャジャンミョンは韓国で発達した中華料理であるということがよくわかる。日本で発達した中華料理がラーメンみたいな感じだ。どちらも起源が中華料理だが、もともとの料理とは違ったものになっている。

 館内では昔の調理場や食堂の様子なども展示されているが、興味深かったのは、韓国で存在したインスタントのチャジャンミョンのコレクション。それにしても、韓国ではラーメンは発達しなかったのに、チャジャンミョンは大衆料理になったのが面白い。

 チャイナタウンを歩くうちに、18時近くになり、もう暗い。夕食はチャジャンミョンを食べることにした。

 チャジャンミョンの店はたくさんあって、博物館をみたあとなので、共和春で食べてみたかったのだが、混んでいてやめた。かわりに、すいている中華苑という店に入った。

 麺の上に真黒なタレがかかったチャジャンミョン。タレの中には細かく刻まれた豚肉とタマネギが混じっている。

 上にはキュウリが乗せられていて、別皿でタクアンと生のタマネギがでてきた。

 

 チャジャンミョンを食べた後はソウルに戻るだけである。仁川駅の前にチャイナタウンの入口の門がある。ライトアップされていてきれいであった。
 仁川駅。1960年に建てられた小さく古いタイプの駅舎である。韓国の駅舎は、近年、多くの駅がガラス張りの新しい駅舎になっているので、なつかしい感じがする。この駅舎も遠くない時期に建てかえられるであろう。

 下左  東仁川で急行に乗換える。同じホームの反対側の電車に乗り換えるだけなので便利。

 下右  ヨンサン・クッペン(龍山・急行)の表示。龍山で普通電車、ソウル駅で4号線に乗り換え、ホテルにもどった。

 

 

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