1 ビ エ ン チ ャ ン へ |
ビエンチャンへの道
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![]() 今回は、ANAのマイルでタイ航空の特典航空券をゲットしての旅。 利用した便は、関西空港を深夜0時30分に出発する便。この日は0時20分発に変更されていた。もっともドアは0時20分に閉まったけど、離陸したのは0時50分ごろだったが。 |
![]() チェックインのあと保安検査、出国手続を終え、タイ航空で1時間ほどすごした。 ウナギの寝床のような細長い構造である。タイ航空が関空に独自ラウンジをもつのは意外なことだ。 |
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![]() 上右 水平飛行になってまもなく軽食。飲物だけ飲んで、軽食はパス。 左 軽食のあと機内は消灯になり、3時間ばかり睡眠タイム。到着の1時間ほど前に朝食。日本時間でも5時半、タイ時間では3時半ごろ。和食を選んだら3年前と 同じ(リンクあり)。少し食べるだけにしておいた。 |
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![]() 上右 タイ航空のラウンジは5箇所あるようだが、入ったところは特に大きかった。 左 機内食は控えていたが、ここでは朝食をいただくことにした。ビエンチャン行きは11時台の出発なので、6時間をこのラウンジで過ごした。 |
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![]() 上右 搭乗したタイ航空機。 左 離陸から着陸までは50分ほどだったが水平飛行になるとすぐにボックス型の機内食が配られた。ポテトとチキンがメインであったが、かなり辛く、タイであることを実感した。あわただしく片づけが始まり、あっという間にビエンチャンのワッタイ空港に到着。 |
ホテルに着きメコンをめざす |
![]() 5年前のルアンパバーン訪問の直前にラオス入国にビザが不要になっていた。そのときは欧米人の観光客が多く、乗客の多くはアライバルビザ窓口に並んだので自分が一番に入国できた。今回はビザ不要のタイ人が多く、入国手続で数人並んだ。 到着ロビーにでたところにタクシーチケット売場があり、市内まで7ドルまたは57000kipの定額。距離の割にはやや高い。両替はしていなかったので、支払いは7ドルにした。 |
![]() 今回予約していたホテルは「デイ・イン・ホテル」。ホテルだが、ゲストハウスのような名前である。ホテルの中では一番安いランクのところで、かつ市内の中心部ということで選んだ。 撮影している自分の背後にはタクシーだまりがあった。常にタクシー、それもメータータクシーが止まっていた。もっとも、徒歩と路線バスでほとんど回ったので、タクシーに乗ったのは帰国時の空港行きだけだった。 |
![]() 下左 窓越しに見たバスルームの内部。奥にシャワールームがある。上部の真ん中あたりに、シャワーが見えるのがわかるだろうか。バスタブとシャワーの両方があるのは、とてもありがったかった。ドアの向こう側にはトイレがある。 下右 30分ほど休んで街歩きスタート。塔のすぐ下が泊まっているホテル。ビエンチャンの中心部なのに、走る車は少なくのどかな感じだ。 この近くで両替をした。5000円がほぼ50万kipになった。円を100倍すればkipなので、とてもわかりやすい。
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![]() 上右 トゥクトゥク。呼び込みをするこぎ手は「サムロー」と言っていた。後ろに入口があり、座席が向かい合わせにある。 左 ホテルから15分ほど歩いて、ついにメコン川までやってきた。対岸はタイ。川幅は1kmほど。 |
お寺めぐり第一弾 |
![]() この公園の一角にあるのが(1)アヌ王像。アヌ王は19世紀の王で、ラオスのラーンサーン王国がタイの属国であったときにラーンサーン王国の分離独立をめざしたが失敗した。タイに向かって建つ。この像も2010年につくられた。赤字は訪問した観光ポイント。 このあと、迎賓館の東側を 裏側をのぞきながら、迎賓館の東側にあるワット・ホーパケオに向かった。 |
![]() 別に川から離れる形で2つの道路に直交してラーンサーン通りがあり、この道路の周辺も中心部といえる。観光地はほぼこの3つの道路の周辺にあるので、だいたい徒歩で観光できる。 |
![]() ワット・ホーパケオは、タイ語ではワット・プラケオ。今はバンコクのワット・プラケオにあるエメラルド仏が置かれていた時代もあった。エメラルド仏は、チェンマイ、ルアンパバーン、ビエンチャン、バンコクと移動したが、これで移動先の寺を一通り回ったことになる。 16世紀の建立だが、20世紀に再建されたので新しい感じがする。本堂内は小さな博物館になっていたが、撮影禁止。博物館化した寺で、ここには僧侶はいないという。庭もよく手入れされていて美しい。 |
![]() ここも本堂の内部は博物館になっていて、撮影禁止。 本堂を取り囲んでいる回廊の壁には小さな穴が無数に開いていて、その中に仏像が入っている。 |
![]() この寺は先に訪問した2つの寺と違って、観光寺院ではなく、地元に密着した寺。ビエンチャン市内の寺としては一番多くの参拝客を集めているという。参拝客めあての出店も何店か出ている。 16世紀に建立されたが、19世紀に破壊され、20世紀初めに再建された。 |
![]() 火を灯して、紐を使っての祈りが行われていた。何なのだろう。 |
![]() 下左 シーサワンウォン像のある公園の東端が、2つの道路の合流点。 下右 合流点に日本とラオス国旗の記念碑があった。ビエンチャン1号線(空港と友好橋を結ぶ道路で、中心部はサームセンタイ通りとセーターティラート通りに分かれている)の整備は日本の無償援助で行われたことが書かれている。 |
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![]() 交差点で左折し、南へ。突き当たりにあるのが(6)迎賓館。ホワイトハウスとも呼ばれる。門の中には入れないが、門扉のすきまから写真撮影したが、とがめられたりすることはなかった。 |
![]() そしてやってきたのが、2本の幹線道路の西の合流点である公園。そこには(7)ファーグム王像がある。この王は14世紀にできたラオス人による最初の統一国家、ラーンサーン王国の最初の王だ。 |
![]() 15時にホテルを出て歩き始めたのだが、17時をすぎていた。曇っていて日没ははっきりとわからなかったが、少し暗くなり始めてきた。今度はサームセンタイ通りを歩いてホテルに戻ったのだが、ホテルに戻った18時前にはもう真っ暗になっていた。 |
ラオス料理一発目 |
![]() ナンプとは噴水ということ。昼間に出かけたときも通ったのだが、そのときは水が出ていなかった。今度は水が出て、ライトアップと音楽演奏が行われていた。撮影している自分の左右には野外レストランがあって、その客向けのサービスのようだ。 |
![]() 下左 外国人旅行者2組が食事をしていたが、冷房のきいた室内でも食事できるようだったので室内へ。その後、地元客はほぼ室内に入ってきたが、外国人は外で食べる人のほうが多い。 下右 まずはビアラオを飲む。ラオスのビールといえばビアラオ。よく冷えていてうまい。 |
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![]() まずは、ラープ・グア。ラープとは、肉(牛、豚、鶏など)のミンチや魚片を炒めて(生の場合もある)にライム汁や香草を混ぜたサラダで、ラオス料理の中でも一番有名なものだ。グアは牛肉なのだが、英語メニューを見るとウェルダンとレアがあって、ウェルダンを選んだ。 牛肉に唐辛子の辛さ、ライム汁の酸味、香草の香りが混じり、とても美味しい。 |
![]() 注文時に、スパイシー? と聞かれたので、マイルドと返した。これでいいのだろうか。結果はというと、かなり辛く、野菜を食べて辛さをおさえたりしたので、スパイシーと答えていれば、食べることができたかどうかわからない。 |
![]() カオ・ニャオはメニューには書いていなかったので、ついご飯ものとして焼き飯を頼んでしまったのだ。ラープもタム・マークフンもご飯に合いそうだったのでちょっと失敗。次の食事からはメニューになくても、カオ・ニャオを注文してみることにしよう。 とはいえ、この焼き飯も旨かった。これだけ食べて、満腹で大満足だったが、800円ほど。 |
![]() 300mほど区間に出店が並んでいたが、残念ながら、ほとんどが衣類や雑貨品などで、食べ物の店はほとんどなかった。もうナイトバザールが終わりといったあたりで、ほんの少しだけ食べ物屋台があったが、食べたいと思えるものはなかった。 |
![]() このあとホテルに戻り1日を終えた。シャワーを浴びた後、バスタブで長くお湯に浸かることができて、のんびりできた。 |
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