2  ちょっと失敗した日

新しくなったタラート・サオ

 7時過ぎにホテルの玄関を入ったところにあるレストランへ。確か朝食がついていたはずだと思って行ったのだ。席につくと写真入りのメニューが手渡された。

 何種類かの朝食メニューがあるのだが、値段が書いてある。しまった! 朝食付きじゃなかったのだ。とそのときは思って、なるべく安めのものにしようと、チキンの入った粥にした。洋風の目玉焼きやサラダなどが高めで、ラオス風の粥や麺は安かったのだ。

 外食するよりも高値だったのだが、フルーツとコーヒーまたは紅茶がついていた。

 で、食事が終わりお金を払おうとしたら、朝食付きだという。値段は、外部から来た人のためのものだったのだ。だからといって、高めの洋風のものにすればよかったとは思わなかった。ありきたりのものだったからだ。ならばラオス風の粥か麺だ。

 でも、値段のことは別にして、翌日は、ホテルの朝食はパスして、外食することにしようと思った。変わったものが食べたいと思ったので。

 8時過ぎにホテルを出発。この日は路線バスに乗って遠出しようと思う。

 路線バスはタラート・サオに隣接したバスターミナルから出ているので、その前にタラート・サオを見学したい。さらに、タラート・サオに向かう途中に(10)タート・ダムがあるので立ち寄った。

 仏塔のようだが、よくわからない。でも、お供え物が置いてあり、周囲は小さな公園になっていて手入れも行き届いていた。

 (11)タラート・サオにやってきた。タラート・サオとは朝市という意味だが、 夕方まで開いているようだ。自分が持っていったガイドブックは5年前にルアンパバーンに行ったときのものなのだが、それによると敷地は広いが2階建てのラオス風建築になっている。最近になって巨大な建物に建替えられたようだ。

 交差点を走るソンテウの向こう側にラオス風の建物が写っているが、かつてのタラート・サオの建物を模したものだ。それにしても変われば変わってしまうものだなぁ。

  ここはタラート・サオの前の交差点。ビエンチャン最大の市場だけあって、交差点の交通量もビエンチャンの中では多い。

 ここの交差点には、歩行者用のボタン式の信号があったのだが、ボタンが壊れていて、ずっと赤のままだった。実は、この交差点だけじゃなく、どの交差点でも歩行者用の信号(とても数は少ないのだが)はすべて赤が点灯した状態で変化しなかった。歩行者用の青信号はついに発見できなかった。当然ながら、赤信号で渡る。でも心配はご無用。交通量が多くないので、信号の有無にかかわらず、どの交差点でもラクチンに横断可能。また、どこで道路を横断するのもとてもラクチンだった。タイやベトナムとは全然違う。

  タラート・サオの内部。これは、もう市場というよりはショッピングセンターだ。バンコクやクアラルンプルにあるにと同じで、どうもラオスには似合っていない。きれいだし、エスカレーターがあるのにも驚かされる。

 下左  2つの新しいビルに挟まれて、昔の2階建ての市場の建物が一部残っていた。

 下右  中も雑然としていて、アジアの一番の雰囲気が残っている。残念だったのは、これだけ大きなビルになったのに、生鮮食料品が販売されていないこと。アジアの市場で見ていて楽しいのは生鮮食料品なのだが。

ブッダパークを目指すも、友好橋イミグレで折り返し

 タラート・サオの東隣にバスターミナルがある。このバスターミナルからは、市内の路線バスのほかタイへ向かう国際バスが発着している。国内の長距離バスも少し出ているが、大半はここから数km離れた北と南のバスターミナルから出る。

 ターミナルの入口にはトゥクトゥクがたくさん止まっていて、客引きをさかんにやっている。これからブッダパークに行くのだが、客引きの中には、ブッダパークトゥーアワーズと言っている者もいるが、そういう輩は避けてターミナル内に入る。

 さほど大きくはないターミナルだ。さて、ブッダパークに行くには、14系統か49系統のバスに乗ればよいとガイドブックに書いてある。このガイドブックは5年前のものだが、ネットで読める最近の旅行者の旅行記でも14系統の路線バスで行けるという記述を見ており、14系統の乗場を探したが、初めはよくわからなかった。
 そのうちに、時刻表を発見。14系統でブッダパークへ行けることを確認した。(と、思った。)

 また、この時刻表でバスの本数もかなりあることがわかった。さらに、14系統のバス乗場は1番乗場ということもわかった。

  そして、1番乗場へ。ここで、本数がとても多くなっていることを発見。真新しい時刻表なので最近になってバスの本数が多くなったのだろうと思った。

  ただ、おそらくは、この時刻表では、バスの先は友好橋と表示されているのだろうが、ラオス語だけの表示のため、それに気づくことはなかった。 このときは、これだけ本数があれば、ブッダパークは楽勝だと思ったのだが、、

 1番乗場に停車中のバス。14系統であった。

 真新しいバスで、バスの前面、側面、後面に日の丸がついている。日本の援助で導入されたバスなのだろう。

 ほかの系統にも、日の丸つきのバスが走っていて、ターミナルで見かける大型バスの半数以上がこのタイプのバスだった。
 バス車内も新しく、何と冷房も入っている。

 やがてバスが出発。でも、時刻表の通りではない。満席になるのを待っていたのだろうか。

 郊外に出てから車掌が運賃を集めに来た。他の客が払うのを見ていて、一律に6000kipであることがわかった。約60円というのは安い。

 40分ほどで(12)友好橋のイミグレに到着。自分はブッダパークまで行くつもりなので、降りなかったのだが、車掌が降りろといので降りた。車掌に、ブッダパーク! って言うと、画像の左手のほうにあるバス乗場をさして何か言っている。乗換なのだろうって思った。念のために、何番のバスか? って聞いた。英語が通じて、14番だという。ひょっとして、乗ってきたバスの系統を答えていると思い、ブッダパークに行くバスは何番か? ってきくとやはり14番だという。

 ことあと、乗換の前にイミグレを見学しておく。画像の、右手がラオスから出国するエリア、左手がラオスに入国するエリア。

 出国エリアに行くと、ものすごい人並み。ここから出国するならかなり待たされそうだ。この日は日曜日だったので、特に多かったのかもしれない。

 少しイミグレを見学して、バス乗場に行った。さきほど降車したバスが止まっていて、ドライバーと車掌がバスを整備していた。で、車掌に、ブッダパーク!って言った。前方を指差した。

 10mほど前にバスがあった。後ろを見ると14番だった。あ、このバスに乗り換えるのかって思うと、バスが出発しかけたので、あわてて乗車した。

  2、3分後、イミグレの入口を出て、ブッダパーク方面に向かうと思いきや、バスはビエンチャン方面に向かって行った。あれあれ、どうなってんの? 予想もしない展開にびっくりすると同時にショックを覚えた。やってしまったって感じだ。途中で下車しようかとも思ったが、下車したところからブッダパークに行けるのかどうかもはっきりしない。迷ったが、結局、バスターミナルに戻った。翌日に再チャレンジすることにした。乗り換えるバスを間違えたようなので、乗換さえうまくすればブッダパークにいけるはずだ。実際、翌日は、うまく乗り継げて、ブッダパークを訪問した。

気をとりなおして牛肉麺食って街歩き

 最初のプランニングでは、この日は、ブッダパークに行って、そのあと友好橋をタイ領の手前まで歩いて引き返し、さらにビアラオ工場を見学するという計画だった。この3箇所で1日コースと考えていた。

 ところが、行く直前に、ネットの旅行記でビアラオ工場の見学はできなくなったという記事を発見して、工場見学は中止。さらに、午前中のブッダパーク訪問失敗で、翌日に再挑戦はするものの友好橋の半分を歩くというプランは、時間の関係でとりやめた。この日の午後は当初、最終日に計画していた凱旋門やタートルアン訪問とした。

 その前に昼食。バスターミナルから20分ほど歩いて、牛肉麺の専門店「フーユーン」に向かった。

 牛肉麺し かメニューがない店なので、メニューの冊子もなければ、掲示もない。座れば、皿盛の野菜と茶碗に入ったもやし、辛いタレ、それに冷たいお茶が運ばれてきた。お茶が出てくるとは思わなかった。

 牛肉麺しかメニューがないが、麺の種類は指定しなければならない。ガイドブックで3種類あることがわかっていて、その中からセンニュイ(きしめんのような幅広の白い麺)を頼んだ。白い麺ということは米の麺なのだろう。

 数分で麺が運ばれてきた。ベトナムの”フォー”と同じような感じだ。

 透き通ったスープをひとくち飲むと、さらっとした薄味であった。ライムを絞って、もやしと何だかよくわからない野菜を入れた。さらに、テーブルにおいてある数種類の調味料のうち、2,3種類を何が何だかわからないまま
入れてみた。魚のエキスが入った調味料のようで、複雑な感じの美味しさが生まれた。

 16000kip。食べ終わると、汗がドバッと出てきた。
 

 いったんタラート・サオまで戻り、ラーンサーン通りを北上して、(13)凱旋門へ向かった。ラオス語はパトゥーサイ。以前は、記念碑(アヌサワリー)と呼ばれていたようだ。外国人は入場料が必要だが、わずか3000kip。

 外観はパリの凱旋門を意識したような何だか内部はまだ未完成なのかコンクリートがむき出しになっているところもある。

 階段を上って屋上に出てみた。これはラーンサーン通りを撮影したもの。タラート・サオなど一部をのぞいて高層ビルがほとんどないのがよくわかる。
 30分ほど歩いて、(14)タートルアンに到着。途中はなだらかな坂道になっていて、少し大変。トゥクトゥクを使ってもよかったかな。

 タートルアンは、ラオス語で「大きな仏塔」という意味。ここは16世紀にセーターティラート王によって建造された。黄金の仏塔で、丘の上に建っていることもあってよく目立つ。大仏塔の周囲にはたくさんの小仏塔が取り囲んでいる。上から見ると、全体が正方形になっているのも特徴だ。
 

 3000kipを払って、中にはいってみて、仏塔の並ぶ部分には入れないことがわかり、期待はずれでがっかり。外から見ていて、大仏塔と小仏塔の間の通路に入れるものとばかり思っていたのだ。

 仏塔の並ぶ部分の周囲は芝生に囲まれていて、金と緑がうまく調和していて美しい。撮影している自分の背後には回廊があって、その回廊をぐるっと回った。

   タートルアンからの帰りは行きとは別の道を歩いた。タートルアンからさほど遠くないところに北朝鮮レストランがあり、時間があえば少し食べてみたかったが、夕食が食べられなくなると困ると考えねばならない時間になっていたので入らなかった。

 さらに少し歩くと、日本の援助で建てられたと思われる幼稚園があった。バスにしろ、幼稚園にしろ、ラオスでは日本の援助で作っていることわかりやすく表示していて好ましいことだと思った。

夕陽を見ながらビアラオ飲んでラオス料理第二弾

 タラート・サオまで戻った後、夕陽が見られる時間が近づいていたので、ホテルには戻らずにメコン川沿いに直行。

 川沿いの道ではあちこちで焼魚を出していた。ピン・パーだ。川魚を焼いたものだが、全体が真っ白になるくらい塩がついているのが特徴。

 もっと小さければ、これから夕陽を見ながらビアラオを飲むので、つまみにいいが、これは大きすぎる。他の店でも小さなピン・パーは見つからず、缶ビールだけを買った。

 土手に座って、メコン川に沈んでいく夕陽を見る。

 そのとき、ワッタイ空港に着陸しようとする飛行機が視界に入ってきた。この飛行機、ずっとタイ領を飛んできて、着陸だけはラオス。ビエンチャンはタイに隣り合っているのでこんなことがおこるのだなぁ。

 ビアラオの缶。よく冷えていて夕陽を見ながら飲むと、特に美味しく感じた。夕陽を見ながらのビアラオ、旅行前からしたかったことが実現してよかった。

 土手にはたくさんの地元客が座っていて、夕陽を眺めている。中には自分と同じようにビールを飲んでいる人もいる。ヒエンチャンの風物詩なのかも。

 ただ、残念なことに、この画像を撮影した直後に、夕陽は雲に隠れてしまい、二度とあらわれなかった。翌日、もう一度チャンスがあるので、夕陽を見に来ることにしよう。

 雨季は雲が多く夕陽が見られる可能性が低そうだし、乾季は川の水が少なくて、夕陽が水面に照らし出される姿があまり見られなさそうだ。だとすれば、雨季から乾季に変わる時期に訪問したというのは良かったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

  いったんホテルに戻り、1時間ほど休憩。そのあとで夕食に出かけた。この日は「ビライラック」に行った。

  右  ここはビアラオを注文すると、ピーナツがついてきた。

  ラープ・ムー。豚肉のラープだ。

  下  カオ・ニャオを注文したつもりが、うまく伝わらず、運ばれたのはカオ・チャオ。普通のご飯になってしまったが、ラープなどとよく合う。

 揚げ春巻。春巻だけがポンと出てくるとばかり思っていたら、大量の野菜と米の麺と一緒に出てきたのでびっくりした。最初からわかっていればラープは注文しなくてもよかった。でも、美味しくって満足。

 このあとナンプでライトアップされた噴水をまた見て、ホテルに戻った。

 

 

 

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