2 日 目 コ タ バ ル 郊 外
日本軍上陸地点
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![]() 朝食は6時から食べられるとのことだったが、6時30分に朝食会場へ。マレー風、中華風、西洋風の混じった食事であった。 ただ、自分は6階だったが、いったんロビーまで降りて、別のエレベータで3階に上がるのが面倒だった。 |
![]() 部屋に戻り、タクシーがやってくるまで一休み。時間通りにやってきて乗車。 |
![]() 海岸近く2,3キロほどはダートの細い道であった。道は数多く枝分かれしており、ドライバーは人に出会うごとに道を尋ねていた。 |
![]() 海岸には上陸地であることを示す石碑があったのだが、ドライバーによると、海岸が波で浸食され、石碑も流されてしまったという。 |
![]() もうひとつは、比較的最近、おそらくは1991年に上陸50周年記念式典があったので、そのときに作られた記念碑。どちらも今はない。 博物館にあるレプリカの本物はコタバル近郊の学校にあるという情報をブログのコメントにいただきました。(2012.10追加)
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![]() さて、上記のサイトにある2つ目の石碑の写真の撮影場所、つまり石碑があったと思われる場所を見つけた。海岸の侵食で木がほとんどなくなったが、遠方の風景などからここじゃないかと思われる。
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スリーピング・ブッダ、シッティング・ブッダ、スタンディング・ブッダ |
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![]() 寝仏はタイやミャンマーでも見たが、ここの寝仏が一番大きいのでないか思う。それに前面がオープンになっていて、写真も撮りやすい。タイやミャンマーでは、室内に寝ていて、写真がとりにくい寝仏も見ている。 |
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![]() 上右 仏像の頭部だけが木の根っこのところにある。アユタヤ遺跡を思い出す光景だ。 左 ムスリムが過半数のマレーシアだが、仏教徒も華人を中心に4分の1くらいいる。当然、お坊さんもいる。 |
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![]() 仏像をたくさん見て、自分がマレーシアにいることを忘れてしまいそうだった。 |
マレー鉄道東海岸線終着駅トゥンパッと1駅手前のワカバル |
![]() トゥンパッ駅に行った。コタバルの最寄り駅はワカバルで、トゥンパッは村の中心から離れ、駅だけがある。村は1kmほどはなれている。 |
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![]() ワカバル駅の玄関。 |
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郊外から戻り歩いて市内へ |
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ホテルに戻ったあと、まず屋上にあがってみた。なにしろ、今回の宿は窓なしの部屋なので、街の様子を高いところから見たかったからだ。まず茶色く流れるクランタン川。今、渡ったばかりの橋も見える。その右手のほうにワカバル駅がある。 |
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![]() 途中、バスターミナルに立ち寄った。バスターミナル付近の建物は赤い色で塗られたものが多く、バスも赤なので、赤ずくめの一帯になっている。 |
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手づかみビュッフェ再び |
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![]() 下左 焼魚を食べた残骸。 下右 焼魚もから揚げも野菜もサンパルをつけて食べる。 |
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![]() 下左 何のジュースだろう。前日に飲んだのは透明だったっが、この日のは不透明。 下右 スイカ。 |
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ビールの飲める華人の店 |
![]() それで、少し離れた華人の店ふが並ぶエリアへ。同じような店が並ぶ。 |
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![]() ![]() 左右 料理を待つ間にビールを買いに行った。飲み物は専用の店で買う仕組み。 |
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![]() 左 タマネギ入りの卵焼き。 このあとはホテルに戻り1日終了。 |