3 日 目 バ ト ゥ ・ パ ハ
バトゥ・パハに向かう |
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![]() 上右 粥とフルーツ。 左 いったん部屋に戻り、この日に必要な荷物だけもって出発する。フロントでタクシーを頼んだ。10分ほどで車が到着した。ホテルから行先も伝えられていて、マラッカセントラル? 15RM、と言われる。ホテルで聞いた額と同じだから市内からセントラルバスターミナルまでは一種の定額制のようになっているのかもしれない。3、4kmほどの距離だからちょっと割高に思うが、かといって歩くのは大変だし、路線バスは皆目どう乗ればいいかわからないのでやむを得ない。10分ほどで到着。外観も大きいが、中に入って、巨大なターミナルであることがわかった。11年前にきたときの古いターミナルとは大違いだ。 |
そのとき9時10分だったっが、9時発の切符が売られ、ブース横に立っていたドライバーがバスまで案内してくれた。料金は9RM(約270円)。 |
![]() 切符で会社名は、ORKID MALAYSIA EKPRESとなっている。 マレーシアでは英語などの外来語を表記するときの書き方が、子供が間違えるような英語に似ていて面白い。Orchid は Orkid、Express はEkpres。 あとマレーシアでは中国語の地名もよく使われるのだが、マラッカは馬六甲。前回の訪問時に知ったが、笑えた。 |
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![]() 上右 2座席を1人で使う程度の混雑度だった。自分が乗ったときには最後尾だけが隣が空いた状態で座れたので、最後尾に座った。しかし、ひどい揺れがあり、ゆれるたびに少し飛び上がる状態だった。 左 風景は油やしの森か田んぼでであった。 |
![]() このバスターミナルは道路を利用したもので、1ブロックの間の道路にアーケードをつけ、ターミナルにしていた。前にバスがあれば、動きにくい構造だ。 14時15分か15時30分のバスでマラッカに戻ることにして、街歩きに出発した。 |
バトゥ・パハの旧日本人倶楽部 |
![]() 上がりのエスカレータは動いていたが、下りは停止中だった。東南アジアではよくあることだが、エスカレータの階段を歩くのは結構歩きにくく、疲れるものだ。 |
![]() ところで、街のあちこちにおそらく金子が滞在したころと同じ建物があちこちに残っている。 |
![]() 観光地ではないため、無理に修復して残そうというのではなく、古い建物が普通に残っている。街が廃れてしまったので、昔のまま放置されているといったほうがいいかもしれない。 |
![]() 堂々とした造りで屋上には塔がある。ここに80年前、金子をはじめ日本人がたくさん集っていたことを想像してみた。そのころは近くの鉱山でとれる鉄鉱石などの積出港として栄えていたらしい。道が広いのもそのころの名残か。 |
![]() 1階は店舗が入居していたが、2階、3階は使われていない部屋が多そうな雰囲気であった。中には入れず、外から納得行くまでしばらく見続けた。 下左 1階の亭子脚の部分を歩いた。 下右 旧日本人倶楽部の向かいには金子が朝食をとりに毎日通った岩泉茶室があったという。今は別の建物がたっている。 |
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![]() その税関の門から中を見るとバトゥ・パハ川が流れる。なんとも静かな流れだが、水はかなり濁っている。昔は税関もにぎやかだったのだろうが、今はほとんど貿易品もないのだろう。人の気配もない。 |
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![]() 上右 フードコートは川べりにあった。のんびりとした川をしばし眺めていた。 左 形といい、色といい、なかなか魅かれた建物が目に入り、1階が食堂になっていたので、そこで昼食をとろうと思った。 |
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![]() 下左 食堂の中。 下右 飲物はコカコーラにした。ジョッキに氷を入れて運ばれてきたが、コーラが冷えていないわけでなく、きちんと冷えていた。 |
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マラッカへ戻り市内バス乗車 |
![]() 写真はバスの切符売場で手前はオーキッド・マレーシア社のブース。切符を買って、あとはバスの待合所で座って待った。 |
![]() バトゥ・パハはBPとスタンプにある。KLやJBと同じようなものだ。 |
![]() バスは途中、ムアで停車してマラッカへ。渋滞があって、2時間半かかり、マラッカに戻ったのは17時だった。 すぐに翌日のKLIA行きのバスの切符を買っておいた。 |
![]() 17番のバスがスタダイスの前を通ることだけは事前にネットで調べてわかっているのだが、どの乗場から発車かまではわからなかったので、17番のバスがこないか、いくつかの乗場を掛け持ちで注視して待った。 |
![]() 乗車にはとても時間がかかり、全員が乗り終わるには10分くらいかかった。理由は乗車時にドライバーに行先を告げて、切符を買うからだ。自分はスタダイスと言ったら1.3RMということだった。ここで細かいお金を探したり、ドライバーがおつりを渡すのに時間がかかる。 |
![]() マラッカの路線バスは観光客が利用するにはハードルが高すぎる。セントラルバスターミナルでさえ、路線図も時刻表もなかったのだ。途中の各バス停にも、路線図や時刻表はないのだが、極めつけはバス停を表すポールなどもないのだ。だからどこがバス停なのかもわからない。市内からバスターミナルに行く場合は、どこで待てばバスに乗れるかわからない。 |
![]() 下車するとバス停のポールらしきものがあったのだが、路線バスのではなく、観光地をめぐるツアーバスのものだった。 下車後、夕陽を見ようとセント・ポール教会跡へ向かった。 |
屋台風レストラン |
![]() マラッカの街は海側にどんどん埋め立てて、旧市街地から海岸は遠くなっているが、丘の上からはマラッカ海峡を行きかう船が見えた。かつては、海峡の要衝として栄えたのだが、今は貿易港としては小さな港なのだろう。 |
![]() 時間があったので、まだ歩いたことがない道を通ってスタダイスまで戻ったりして、時間つぶしをした。 |
![]() 雲の切れ目にかすかに夕陽の一部が見えたので、これでがまんする。日没までまだ少しの時間があったのだが、丘を下りた。 |
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左 丘の下の公園にはマレー鉄道の車両が置かれていた。 上 日本の汽車製造会社の1965年製だった。 |
![]() どこで食べるか迷いながら歩いていたら、屋台街があったので、門を入ってみた。 |
![]() メニューはひとつにまとまっていて、ウエイトレスに注文すれば、料理ごとに分かれている屋台風の調理場で料理が作られるようになっていた。お金もまとめて払うようになっていて、屋外で営業する屋台風のレストランであることがわかった。ただ、それぞれの屋台に行って、直接に注文して、そこでお金を払うこともできるようだった。 料理とビールを注文。ビールはメニューでは、タイガー、アンカー、カールスバーグの3種だったが、この日はタイガーしかないとのことで、タイガーを注文した。 |
![]() 辛さはマレーシアの料理にしてはかなり辛い。付けあわせのキュウリやオクラ、タマネギで辛さを調節し、ビールで辛さをとらねばならなかった。 |
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![]() ホテルに戻り、マラッカ3泊目の最後の夜をすごした。 |