6日目  再びヴァレッタ散策

 

 

 8時からの遅い朝食。4回目の朝だが、宿で朝食をとるのは2回目。

 この日は、アール・ダラム洞窟に行って、その後、翌日に行くハイポジウムの位置を下調べし、午後は再びヴァレッタを散策する予定。急ぐ必要はないので、この日は宿で朝食をとったのだ。

 8時半すぎに宿を出発し、バス停からヴァレッタ行きに乗ったのは9時前。ヴァレッタには9時半すぎに到着。

 10時前の82系統ビルセフジャ行きに乗って、アール・ダラム洞窟に向かった。

 案内所で聞いても、乗車する系統は教えてくれたが、これは聞かなくてもわかっている。下車するバス停がわからないのだが、わからないらしい。バスに乗って、ドライバーに聞いても同じ。やりとりを聞いていた乗客が降りるところを教えてくれるらしくちょっと安心。

 ただ、ここだと言ってくれたときにはそのバス停をすぎてしまい、ひとつ先のバス停から歩いて10分ほど戻った。バスが通る道路に面して博物館があり、場所はすぐにわかった。

 上左 博物館の内部。洞窟から発掘された骨などの展示。また昔いた動物から、マルタとシチリアは陸続きだったこともわかるという。

 上右 庭園の中を歩いて洞窟の入口へ。この付近は石灰岩地帯で洞窟が多い。

 洞窟の奥。洞窟自体はずっと続くが、入れるのは100mほど入ったところまで。

 博物館のまん前のバス停で82系統のバスを待った。バス停の名前は、ダーラムのようだ。

 ヴァレッタのバスターミナルの案内所も行きに乗ったバスのドライバーも、バス停のまん前に博物館があって、バス停の名前もよく似たものなのにどうしてアール・ダラムを知らなかったのだろう。ガイドブックを見せて、現地での綴りや現地の写真も見てもらったのだけれども。

 マルタのバスは自分の旅行の1ヶ月前にボンネットバスから新型に切り替わり、経営も変わっているが、そのことと関係あるのかもしれない。 

 すでに行ったタルシーン神殿の最寄のバス停をすぎ、次のバス停はパオラの街の中心にある。ここが、翌日に行くハイポジウムという地下神殿の最寄なので、ここで下車。

 わざわざ下車したのは、ハイポジウムは予約制になっていて、翌日は10時の予約をしているからだ。予約したときに20ユーロを支払っており、時間に間に合わなければ、見られなくなるばかりかお金も無駄になるので、ここは何が何でも行かねばならない。ということで、前日に生き方を確かめたわけ。

 幸い、街中の見逃しやすい場所にもかかわらず、案内の標識があったりして無事たどり着けた。これで翌日は安心できる。

 
 ヴァレッタに戻ると12時半。午後はマルタに着いた日にヴァレッタは見てまわったっが、ほとんど入場はできていないので、この日は、再びヴァレッタの街歩きとした。

 まず腹ごしらえ。カフェテリアでパイ生地の中に野菜のペーストのようなものを挟んだものを食べた。

 これが、まずかった。大方の日本人の口には合わないだろう。マルタでの食事の中で唯一ダメだったのがこのパイ。それでも、キニーを飲みながら、無理やりお腹に押し込んだ。

  マルタに到着した日にヴァレッタを歩いたが、あまり見られていない。この日はいろいろなところに入場しようと思う。

 昔のマルタの雰囲気を残すオールド・ベーカリー通り。騎士団の時代にパン屋があったためにこの通りの名がついているらしい。

 このあと、この通りから少し入ったところにあるマノエル劇場へ。見学はツアー形式で行われる。次のツアーは13時30分ということで少し待たされた。

 入口で入場料を払い、客席で案内時間まで少し待った。13時30分が近づいても、他の客は誰もやってこない。

 これはちょっと困ったことだ。案内は英語で行われるが、せっかく説明しているのに、たった1人の客が言葉をあまり理解していないとわかるとガイドは残念だろう。またガイドによっては1人の場合は対話形式で案内をすることも考えられるが、対話がなりたたないかもしれない。

 時間になってやってきたガイドに、自己紹介がてら、先手を打って、英語はあまりわからないし、マルタの歴史も知らない。詳しい説明をしてもらっても理解できないから、手短に頼みます、と伝えた。その一言だけで、英語のよくわかない客だとわかったと思う。そのあとは、最低限の説明だけですませてくれたようで、気軽に見学できた。

 上左  舞台。この劇場は何とヨーロッパで3番目に古い劇場だという。18世紀に騎士たちに娯楽を提供するためにつくられたという。

 上右  舞台に上がり、客席を眺める。2階の正面席はVIPボックス。

 左 舞台の上。幅はあまり広くないが、奥行きがかなりある。このあと、楽屋やVIPボックス、それに舞台衣装などが置かれた博物館を見た。

 次に行ったのは、カーマライト教会。16世紀に建てられたが第2次大戦で破壊され、その後、再建された。内部がとても明るい教会である。

 続いて、騎士団長の宮殿にやってきた。前の広場はパレス広場で、ここがヴァレッタの中心のような感じ。

 マルタといえばマルタ騎士団。11世紀に十字軍で名をはせた聖ヨハネ騎士団は16世紀にマルタに拠点を移したが、トルコ軍にマルタを包囲され、かろうじて勝利するなどし、ヴァレッタは要塞都市になっていった。その後、ナポレオンの支配、英国領時代を経て現在に至る。

 ここは騎士団時代に、騎士団長が公務をおおこなった大きな建物である。現在は大統領府と議会がおかれていて、その部分は見学できない。

 入場券を買って、中庭に進んで、2階に上がると、武具に身を包んだ騎士が立つ廊下がある。騎士は単なる人形なのだが、床は大理石、天井には絵が描かれ豪華さがある。
 いくつかの部屋は公開されている。

 ここは「給仕の間」のようだ。若者がここに詰めて、棋士たちの雑用をひきうけていたとか。別名、黄色の間。

 ここは「大使の間」のようだ。別名、赤の間。
 ここは「審議の間」のようだ。壁面には16世紀のトルコ軍による大包囲戦が描かれている。騎士団長はこの部屋に置かれた玉座に座っていたとか。
 中庭。右下にネプチューン像が写っていて、ネプチューンの中庭といわれる。

 階段の段差が低いのは、甲冑を着た騎士が歩きやすいようにするためらしい。

 1階には、騎士たちが使った武具を展示した兵器庫がある。甲冑、槍、大砲などがあった。
  次に、カーサ・ロッカ・ピッコラ。16世紀の貴族の館で、今も人が住んでいる。

 ツアー形式で見学する。16時からということで少し待った。また1人だけだったら先ほどと同じ手でいこうと思っていたが、今度は十人ほどが一緒で、その必要はなかった。

 昔の様子を再現した部屋をいくつか見たあと、第2次大戦のときにつくられた防空壕へ。中庭にある階段から地下に入った。かなり広い防空壕で市民に開放されていたという。別に家族用の小さな防空壕があり、そちらも見学した。

 このあと海岸べりにある騎士団施療院に行ったが、入場は16時30分までということで入れなかった。ほかの入場施設も、もう入場はできないので、ヴァレッタ散策はこのくらいにして宿に戻ることにした。マルタも翌日1日を残すだけだが、半日はヴァレッタにあてようと思う。

 偶然、海岸べりで水上飛行機が離陸するところを見た。マルタ航空なのかな。

   18時前にサン・ジュリアンに戻った。何気なく撮影した交差点の写真だが、ロータリーの標識が写っている。ここの交差点には真ん中にロータリーの中心になる円形の場所はないのだが、曲がるのはロータリー方式。マルタはロータリー方式が多かった。

 宿で1時間ほど休憩して、19時前に夕食のために外出した。

 屋外レストランがかたまるスピノラ湾の奥に向かって歩いていたら、旧塗装のバスをはじめてみた。

 残念ながらボンネットバスではなかったが、自分の旅行の1ヶ月前まで現役で走っていたバスだ。きっと、車齢は短いので、塗装を変えて再利用するために回送しているのだろう。

 比較的新しいタイプとはいえ旧塗装のバスを見ることができてよかった。

  3日前にもやってきた「カフェ・ラファエル」に入った。少し混んでいたが、空席はまだあった。

 白ワインを注文し、まずはパンとともにいただいて、料理を待った。   

 前菜として、シーフードサラダをとった。

 レモンのところに、イカ、タコ、白身魚の小さな切れ身が盛ってある。小エビ、カキ、アサリも混じっていた。

 ドレッシングはかけてなく、レモンのほか塩とオリーブ油でいただいた。

 レストランの中の様子。

 メインは、セルニア・アラ・マルチーズ。Grouperをトマトなどで焼いたものらしいが、Grouperが何かよくわからないまま注文した。

 出てきたのは、大きな切り身の魚を焼いてトマトソースをかけたものだった。宿に戻りGrouperを調べたら”ハタ”という魚のことだった。

 魚も大きいが、ポテトがたくさんついていてお腹がいっぱいになる。デザートは断念。マルタは全体的に料理の量は多いと思う。

 2時間かけてゆっくり食事。あたりはすっかり真っ暗になった。

 腹ごなしもかねて、隣町のスリーマまで海岸べりの遊歩道を歩いた。30分ほど。

 海岸には風が結構吹いていて気持ちいい。昼間はかなり暑いが、夜の海辺は涼しい。

 スリーマからはバスでサン・ジュリアンに戻り、1日を終えた。