7日目  地下神殿とスリーシティーズ

 

 

 いよいよ実質的にマルタ最終日。翌日は出国するだけだからだ。この日は、マルタ旅行でも特別な日なのだ。

 マルタには古代神殿がいくつもあって4箇所を訪問した。そのうちハル・サフリエニ・ハイポジウム(以後は、「ハイポジウム」と書く)という神殿は地下に作られている。ここは予約制になっていて、マルタへの航空券を確保したあと、すぐに予約した。この日はここを訪問したのだ。

 予約の時間が10時なので、この日は朝食は菓子などで簡単にすませ、8時前に宿を出た。前日に下調べをして、降りるバス停やバス停からの道順はわかっているので安心だ。

 ヴァレッタのバスターミナルから82系統でパオラの中心部へ。ここまで20分ほど。そしてバスを降りてハイポジウムに向かって歩き始めたら、目の前を古いタイプのバスが走っていくじゃないか。ボンネットバスじゃないが、古いバスだ。

 マルタに行きたかった理由のひとつはボンネットバスだったので、最後の日に古いバスを見ることができてホッとした。

 塗装はかつての黄やオレンジをベースにしたものではなかった。きっと身売りされて、塗り替えられて第二の人生を送っているバスなのだろう。

 ほんの200mほど歩いて、ハイポジウムに到着。前日に下調べしているので、難なく到着。

 画像で右側の角家は民家でその次の入口が黒いところがハイポジウム。入口の上にはハイポジウムと書いてあったのだが、下調べせずに行ったら、果たして見つけることができたであろうか。

 付近の民家と溶け合っていて目だたず、見落とす人も多いのではないだろうか。

 入口を通り過ぎて数メートル行くと道路があり、その道路を曲がったところには、壁一面にデカデカと世界遺産の表示がしてある。

 マルタの世界遺産は3つあって、ヴァレッタ旧市街、巨石文化時代の神殿群(これには数多くの古代神殿が含まれ、すでに訪問したハジャー・イム、イムナイドラ、タルシーン、そしてゴゾ島のジュガンティーヤも含まれる)、そしてこのハイポジウムである。ハイポジウムは地下神殿という特殊性からか、他の地上の神殿群と切り離されて単独で世界遺産になっている。

 入口を入ったところ。時間が来れば、ここで予約済のチケットを見せて入場する。

 予約制になっているのは、遺跡保護のため地下の二酸化炭素濃度を高くしない目的で、1日7回、各回10人に制限されてるからだ。夏の観光シーズンとあって、すでに2週間以上先まで予約は一杯だった。ここがマルタではもっとも行きたかったところなのでいけてよかった。

 最初に荷物を預ける。そのあと10人がガイドにつれられて地下を回るツアー形式になっているのだが、ガイドは明かりの点灯などをするだけで、説明そのものは専用のレシーバーで聞く。幸い日本語にあってよかった。最初に見る展示室とビデオのあと10箇所ほど説明を聞く。     地下神殿は地下の岩盤を石で作った道具を使って作られた。気が長くなるような作業だ。マルタの神殿は地上のも含め4000年ほど前に作られているというから驚きだ。

 そのつくりだが、地上にある神殿と似ているという。地上の神殿と同じようなものが、地下に岩盤を削って、しかも一見、石を積み上げて作ったかのように作られているのだ。地上の神殿ではどこも屋根が失われているのだが、地下神殿には残っていて、地上の神殿も同じようなつくりだったと想像されておる。地下神殿はは圧巻で、マルタでの最大の記憶になりそうだ。

 見学は1時間弱であった。荷物を出してもらい、退場するのと入れ違いに、次の時間のグループの人たちが入った。1日に70人なので、マルタに行っても、ここに行くのは事前にきっちり計画をたたて予約しないと無理だ。

    

 
 
  バスでヴァレッタに戻り、まずは国立美術館へ行った。ここは16世紀の建物で、かつては騎士団長の事務所があった。英領時代は、海軍総督の住居であった。

 内部は白が基調になっているのが印象的。ざっと絵画を見て回った。

  ちょうど昼だったので適当なレストランを求めてさまよった。

 結局、聖ヨハネ大聖堂の前の屋外カフェに入り、まずチスクビールを一杯。

 料理はブラジオリにした。煮込みハンバーグに似ていて、ミンチ肉を薄切り肉で巻いてトマト味で煮たような料理。ミンチ肉はあらかじめ炒めてあるのが、ハンバーグと違う。

 

 付け合せのポテトと野菜も結構多く、料理本体とあわせてお腹一杯になった。

  食後は、最後のヴァレッタ街歩き。細長く伸びる半島の先端まで行き、戦争博物館に入った。聖エルモ砦の一部を利用しているので、騎士団時代の武具などを展示しているのかと思って行った。

 でも、入口のところで頭上の看板を見てそうじゃないことがわかった。入場してみて、第1次、第2次大戦のさいのマルタでの戦いに関する博物館であることがわかった。

 

 戦争博物館のあと、隣の聖エルモ砦に行ったが、ここには入れない。月に1〜2回行われるインガーディア(昔の服装をして行進するイベント)の時だけしか入場できないのだ。

 しかも、インガーディアは7月はじめにあった後は9月末まで行われない。真夏の最も暑い時期は行われないようなのだ。だから、このイベントにあわせて入場するということもできなかった。

 次に、騎士団施療院へ。騎士団時代の病院で、当時、戦争で怪我をした戦士の治療などが行われたところだ。

 当時の建物をそのまま使っていて、1階には劇場がある。入場したあと、順路がわからず劇場のほうに行ってしまい、しかられた。

 病院は地下にあって、当時のようすが人形で再現されていた。

   ヴァレッタの街歩きはほぼ希望通りに終た。残された時間をどう使うかは、かなり迷っていてずっと決められなかった。

 候補としては、再びラバトへ行って入れていなかった聖アガサのカタコンベを見る、また、沖合いの船でレーガンとゴルバチョフのマルタ会談が行われたマルサシュロックに行くというのも有力だった。だが、結局選んだのは、ヴァレッタとは湾を隔てて向かい合っているスリーシティーズのうちヴィットリオーザとセングレアに行くというプランだ。

 

 路線バスの2系統をヴィトリオーザの入口で下車。大きな旗がはためいている。騎士団の中の出身地ごとのグループの旗だろうか。

 バス停のすぐそばの城門から中に入った。このすぐ左手には、門のない道路で中に入るようになっている。

 城門を入ってすぐのところの濠。

 工事中の部分が見えるが、そこがこのあと向かった戦争博物館。

 濠のすぐ内側にあった階段を歩いた。

 やがて戦争博物館があった。城の一部が第二次大戦時に防空壕として使われていたところだ。防空壕を体験す施設になっている。

 下はその入口の付近。 

 

 防空壕の内部。

  町の中心のヴィクトリー広場。

 ここの人気のお土産はアーモンド入りのヌガーだった。1つ買って試せばよかった。

 海辺を歩いて街の先端にある聖アンジェロ砦へ。ここは入場できないので外から見るだけ。

 画像の左端に写っているのは対岸のヴァレッタ。

 聖アンジェロ砦から対岸のセングレアの街を望む。

 右 セングレアの街並み。

 下左 セングレアの先端にある公園。公園の先端には監視塔がある。

 下右 監視塔には目がとりつけられている。別の面には耳も。

  セングレアの奥のバス終点から3系統のバスでヴァレッタへ。湾を渡ればすぐのところだが、バスだと30分くらいかかる。乗り換えてサン・ジュリアンへ。いったん宿に戻って一休み。

 そのあと、マルタで最後になる夕食に出かけた。はじめてのレストランに入った。白ワインのボトルを注文し、パンを食べながら料理を考えていた。

 メニューを見て悩んでいたら、店員が2匹の魚をケースから出して皿に載せて持ってきた。何という魚だったか忘れてしまったが、一方の魚を選んだ。

 魚が焼きあがる前に前菜でトーストが出てきた。マヨネーズのようなのが塗ってある。

 いよいよ魚が焼きあがってきた。日本の魚では、アジのような形をしているが、これは何なのだろう。

 あっさりした味で、骨をとりながらゆっくり時間をかけていただいた。

 つけあわせのポテトとサラダも結構な量があってお腹いっぱいになった。デザートも頼もうかと思っていたがとりやめ。

 宿に戻り、マルタ最後の夜なので、部屋を片付け、荷物の整理をしてすごした。一箇所に6泊と典型的な滞在型の旅でラクチンであったが、あともう1日、滞在できればよかったかなと思った。