9  メ ル ズ ー ガ

 

 

 さあ、ワルザザートをあとに、メルズーガ砂漠へと向かう。前日と同じ車、ドライバー、メンバー。

 先だって、朝食。具だくさんの大型のオムレツを焼いてくれた。

 この日は、大晦日であるのだが、偶然、この年は、イスラム教では、犠牲祭にあたった。珍しい日のめぐり合わせになったのだ。 犠牲祭の雰囲気を少しでも味わえたらいいなぁと思う。

 カスバ街道と呼ばれる、ワルザザートからティリネールへの道路を走る。舗装された道路でいたって、快適だ。

 1時間弱で、スクラのカスバに到着した。土色の巨大なカスバだ。このカスバは、モロッコの紙幣にも印刷されている有名なカスバだ。

 ここは、外側だけから眺めを見た。南側のアトラス山脈の支脈を見ると、上部は雪で覆われていた。

  

 エル・ケラア・ムグナで休憩。この付近は、バラの谷と呼ばれていて、水の得やすいところでは、バラの栽培をおこなっていた。

 そして、この土産物店では、名産のバラ水、バラクリーム、バラの香水などを売っていて、少し購入した。

 

 土産物店の店頭には、アンモナイトの「化石らしきものも置いていた。本物ではなくレプリカだと思うが。

 ここも、かつては海底であったということなのだろうか。

 

 やがて、ティリネールの街にさしかかった。土色の住宅が並ぶ街だ。だが、よく見ると、大部分の建物は、かなり新しそうなのだ。新しい住宅も、土色に統一しているようだ。

 行きかう人が、正装しているようだ。モロッコの男は、ネズミ男風のジュラバを着ていることが多いのだが、真っ白のジュラバを着ている人が多い。これは正装らしい。

 犠牲祭のお祈りをモスクであげて、家路についているところだ。

 この街で、じゅうたん工房に立ち寄った。手作りのじゅうたんを織っていた。一通りの説明のあとで、売込みがあったが、誰も買わなかった。

 じゅうたんの文様について、丁寧に説明をしてくれた。意味のないデザインではなく、それぞれが意味を持っていることを知った。
 

 ティリネールから少し寄り道をして、トドラ渓谷に向かった。

 右は、トドラ渓谷に向かうまでに見た風景。

 手前にトドラ川が流れていて、そのそばはオアシスになっている。

 その向こうには、街がある。オアシスの緑と街の建物の茶色のコントラストがとても美しい。

 

 上は、ドライバーがグランドキャニオンと言っていたところ。確かに、台地状の禿山はグランドキャニオンにも多い。

 やがて、道路の両側に山がせまってきて、谷らしくなってきたところで、ハイキングタイム。しばらく、川沿いの道を歩いていく。

 10分ほど歩いて、そこが目的地と思いきや、再び車に乗って、しばらく谷を分け入っていった。

 やがて、両側の斜面が切り立ってきた。道路と川は、崖の間の狭い隙間にあるって感じになる。

 崖の上部を見上げると、かなりの高さだ。谷底にいると、妙な圧迫感を感じる。

 トドラ谷にあるレストランにようやく到着。レストランは道路から川を渡った側にある。右の画像は、レストランの側に行くため、川を渡っているところから撮影したもの。

 崖下にあったレストラン。

 

 まずは、ハリラ。
 

 クスクス。

 チキンの煮込みで、クスクスを各自取り分けたあと、チキンをおいて、スープをかけるようになっていた。
 

 再び、半砂漠のような平原をひた走る。

 やがて、地下水路が見つかり、見学。香水のある山麓から、水の得にくい、平地の村に水を送る地下水路だ。

 

 

 ふくらみの高さは2mくらい。上にあがってみると、縦穴があて、下をのぞくことができるが、中は暗くてわからなかった。

 下は、穴が連続して並んでいる様子。

 エルフードでは、大理石工房に立ち寄った。なかでも、化石が含まれている岩石の価値が高い。

 大理石を加工しているところ。
 

 リッサニを抜けると、いよいよ砂漠だ。

 その手前で川を渡る箇所があったが、橋をかけるのではなく、増水すれば、道路の上を水が流れるようなしくみになっていた。

 雨が降れば、そのたびに、交通が止まてったりはしないのだろうか。

 さらに、およそ30分、道なき道を進み、メルズーガのシェビ砂丘がよく見えるところにたどりついた。何とか日没に間に合った。

 砂丘をラクダで登るのは翌朝だ。初日の出を見るのだ。

 しかし、夕食までの時間がかなりあるので、砂丘に歩いていき、中腹まで登った。

 

 中腹で見た日の入り。
 

 この日泊まるのはテントだが、夕食はホテルでとった。この日の夕食は特別メニューらしい。

 各自で、料理を取りに行く。まず、ハリラ。

  

 野菜などの盛り合わせ。
 

 これも野菜が中心だったと思うが、撮影に失敗。

 

 クスクス。
 
 やがて、カウントダウン。

 新年になったところで、民族楽器を使っての生演奏がはじまった。

 派手なお祭り騒ぎは、終わる気配がなく、1時ごろにテントに戻ることにした。

 この日はテント泊。テントにはストーブが入っているという話だったが、、入っていなかった。毛布をかぶって、眠りについた。

 
 夜中のトイレは、懐中電灯を持って、砂丘に行ってすませた。星空の下のトイレだ。

 

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