6 黒 島
|
小浜島へ行った2週間後、またもや八重山へ。今度は黒島が目的だ。 那覇で前泊し、石垣行きの始発便に搭乗。石垣着は8時20分。 |
8時30分発のバスで港へ。8時50分着。重い荷物を大急ぎでコインロッカーに入れ、切符を買って桟橋に出たのだが、、 9時発の安栄観光の高速船で黒島に向かう。どういうわけけ、9時に船が桟橋にやってこず、10分ほど遅れて出発。
25分で黒島着。先日行った小浜島のターミナルよりも少し小さい。帰りの船の時間を確かめておこうとターミナルに入ってみると、八重山観光フェリーの切符売り場しかなかった。外へでてわかったのだが、安栄観光と石垣島ドリーム観光の切符売り場はターミナルの建物の外にあった。 |
17時10分の石垣島ドリームの船で帰るつもりだ。確かにその時間に船があることを確認して島内へ。 まずは、やぎ君に出くわす。道端に座っているやぎは、やぎの多い小浜島でも見かけなかった。黒島は牛が多いことはして知っていたのだが、、このあと、やぎに出会うことはなかった。 |
しばらく行くと牧場が、、ようやく牛に出会えた。 このあと、島内のどこに行っても、牛だらけという状態になっていく。 島の人口は200人ほどであるのに対し、牛は2000頭だという。 |
島内で最初の目的地は伊古桟橋なのだが、桟橋にたどりつく前に海岸に出られるところがあったので、海岸へ。 潮が引きかけているような感じで、アオサのへばりついた岩が水面に姿をあらわしつつあるって感じだった。 遠くに見える島影は位置からすると、竹富島か小浜島だろうが、小高い丘があるから小浜島だろう。 |
続いて、仲盛御嶽。御嶽は「うたき」ということが多いようだ。 沖縄の全域でみられ、神様のいる場所あるいは神様が降り立つ場所とされている。それそれの地域のお祭りでは中心になる場所で、各地域を守る聖域とされている。 黒島でも何箇所か見られる。ここは入口に鳥居があったのだが、これは明治時代以降見られるようになったもので、本来は、本土の神社とは違い鳥居はなかった。 |
到着、、、黒島でも是非来たかったところの一つが、ここ伊古桟橋だ。 1935年に作られたもので長さ354m。長いのは遠浅であるためだろう。干潮時には先端でも船がつけるかどうかといった感じだ。 1972年に黒島港ができ、黒島の玄関はそちらに移行した。その後、竹富島の西桟橋とともに、登録有形文化財に指定された。
|
先端まで行ってみようと歩いたのだが、先端まで100mほどのところから先は行けなった。 崩落個所が2か所あって危ないからだ。行こうと思えば行けそうではあったが無理はしないでおいた。
|
全景を撮ろうと思ったのだが、遠くまで歩かねば無理だった。 で、根元の部分を除いて撮影。干潮のため、アオサのついた岩場の中に桟橋が伸びている。 |
伊古桟橋をあとに、島の中心にある展望台に向かった。
道の両側は牧場になっている。 |
展望台に到着。人工的に作った展望台だ。史跡のフズマリを模したものとされる。
上からは、島全体に牧場が広がっていることがわかる。 |
南の方向には、「日本の道100選」に選ばれた県道213号黒島港線が一直線に伸びている。 「日本の道100選」は1986年に当時の建設省が選定したもので、札幌大通りや御堂筋、哲学の道などが指定されていて、ここは最南端のものだ。 道の両側に牧場が広がる道ということで選ばれたのだろう。 |
黒島港線は、確かに楽しい道だ。牛を見たりできてよい。その終点が東筋(あがりすじ)の集落だ。
東筋集落の南端にある比江地御嶽。このあとは、また牧場の中を歩き、島の南端へ。 |
これは何だかわかるだろうか。
牧草ロールだ。牛に食べさせる牧草を塊にして、それをビニールでぐるぐる巻きにしたもの。 黒島ではあちこちで見かけた。ロールの後ろが牧場の入口。
たぶん島で作っているんじゃなく、島外から運ばれてきたもの。1個300キロはあるらしい。
|
黒島は高いところがない島なので、灯台も島の中からはまったく目立たない。 左は、ようやく灯台が見えてきたあたり。左端に小さく灯台が写っている。 道路の両側は、さんごを使ったガードレール?で南国らしい感じ。 |
黒島灯台。少し高くなったところにたっていた。 |
沖合のリーフで波がくだけているのがわかる。手前は礁湖のようになっている。 |
次に向かう仲本海岸への道も牧場の中の道だ。 黒島の牧場は電柵で囲まれていて、牛が自分が飼われている牧場外に勝手に行かないようにしている。牛はどうして電気が流れていることがわかるのだろうか。人にも危ないのでところどころに注意の看板がある。
南風保多御嶽。うっそうとした木々に囲まれた御嶽だ。 |
仲本海岸についたのは13時ごろ。沖合いのリーフまでワタンジというさんご礁が姿をあらわし、歩いて沖合いのリーフへいける状態だった。
ワタンジは、T字形をした陸地から伸びているような感じだ。ただ、リーフに渡る途中、やや水の流れる中を歩かねばならないところがあって、サンダルをはいていなかった自分は行かなかった。
|
ワタンジの行けるところまで行って島を撮影したのが右の画像。 ワタンジの両側は池のような状態になっていて、シュノーケルをしている人が多い。 水面から見ているだけも、とても小さな魚が泳いでいるのが見える。ワタンジの上の水溜りでは、小さなタコの仲間などが見えた |
黒島での昼食は仲本海岸近くのパームツリーでとった。黒島では数少ない昼食のとれる店だそうだ。
洋風チキンカツ丼。この店一番人気とメニューにあったので注文。ソースの味がパスタのソースの味だ。カツは2枚で、味もよし。
食事後は、自家製のケーキもとってみた。こちらもよかった。 |
フズマリ。琉球王国時代に異国船などを監視した遠見台。八重山の島の各所につくられた。
異国船などを発見した時は、火や煙でほかの遠見台に異常を知らせ、最後は石垣の蔵元に連絡がいくようになった。
ついで、ビジターセンター。 ここの前庭は、蔵元の末端機関として番所がおかれていた。かつては役所があって、島の中心であったわけだ。 |
15時ごろもう一度仲本海岸に戻ってみた。満潮は19時ごろなので、まだかなり時間があるのだが、ワタンジがほぼ見えなくなっていた。でも、ワタンジの部分がどこかはわかる。 慣れていないと危ないが、歩いている人もいる。下の画像でも、ワタンジの部分が少し色が違っている。だが、満潮になるとまったくわからなくなるのだろう。今回はまったく調べずに行って、ちょうど干潮時だったのはラッキーだった。 |
ついで黒島研究所へ。 石西礁湖(石垣島と西表島の間のさんご礁)の海中公園区域の管理と利用のために、(財)海中公園センターのもとに1973年設立された八重山海中公園研究所が前身だ。
センターは役割を終え2002年廃止になったのだが、付属施設の八重山海中公園研究所は、NPO法人日本ウミガメ協議会が管理を引き継ぎ、黒島研究所として2004年再出発した。
|
事実上、黒島の博物館的な役割を果たしている。日本ウミガメ協議会が管理をしているというだけあって、ウミガメを飼育していて、見ることができる。 普通のカメとウミガメの違いは、普通のカメは5本の指があるのだが、ウミガメはなく足がヒレのような形になっている。また普通のカメは首や足を甲羅の中に隠すことができるが、ウミガメは隠せない。 |
ウミガメのほかさんごの研究も盛んなようだ。あと、孔雀が羽を広げる姿はほとんど見たことがなく、興味深かった。
後日、調べると、誰かが連れてきた孔雀が黒島で繁殖し、今では何百羽もいるらしい。でも、見たのは黒島研究所だけだった。野生化した孔雀をみたいなぁ。 |
黒島研究所から西の浜を通って港に向かう道は狭い道だった。舗装されていない道で感じはよかった。 ただ、ちょっと怖い思いもした。一部は、道の両側が牧場になっていて、電柵が両側にあったのだ。 そして、軽トラックとすれちがったとき、道の端には寄りたくないが、寄らざるを得なかった。車が通って、ほっとしたものだ。 |
そして、この日、最後のみどころ西の浜へ。 標識にしたがって、海岸に向かったのだが、何とその道は草木が繁茂し、何とか歩けたが、道なき道を歩くという感じだった。ハブもいる島なので、多少、怖い感じも。 |
西の浜には、毎年4月〜8月にかけて アオウミガメやタイマイが卵を産みにやってくるという。ただし夜中だ。 ここの海岸の砂浜の砂が黒島港ができてから、沿岸流の変化がおこり、砂が少なくなったと黒島研究所で展示していた。 まさに、その通りで、砂の少ない海岸だった。 |
港近くまで戻った後、少し仲本海岸方面への舗装道路を歩いて、牛セリ市場を見学。 黒島牛というブランドはなくて、島で育てられた子牛が石垣で太らされて石垣牛になるようだ。
|
港に戻り、ここで石垣島ドリーム観光の切符を購入。 そして、17時10分発の船で石垣へ。
→この日の夕食などは「7」に記載しました |
|