8  エルヴァス&エストレモス

 

 

街歩きして人骨堂などへ

 7時からホテルの朝食。簡単な朝食であったが、良かったのは、オレンジジュースはオレンジを絞って自分でつくるようになっていたこと。オレンジ3個を絞ったジュースは美味しかった。

 この日はエヴォラを拠点にして近郊の街に出かけるつもりだったが、運が悪く日曜日。エヴォラ周辺では日曜日には、リスボン行きなどは別にして、ローカルなバスのほとんどが運休なのだ。結局、幹線にバスでエルヴァスとエスト レモスに行くことにした。しかも午後にならないと、この2つの街には行けない。で、午前中はエヴォラの街歩きの続き。

 
 上左  サンフランシスコ教会。

 上右  聖堂内。

 左  聖堂から人骨堂に向かう。

 この教会のみどころは何といっても人骨堂。人骨を装飾に使った礼拝堂なのだ。

 みどころとはいえ、気持ちがよくない。5000体の人骨が壁の中に埋め込まれている。さらにぶら下がった骸骨もある。

 人骨でうめつくされた壁。ところどころに頭蓋骨が見える。
 壁の様子。柱も人骨で覆われている。

 サンフランススコ教会のそばではヌガーを屋台で売っていた。少しだけ買って食べてみた。

  人骨堂、ちょっと気持ち悪くて、なんだか出た後、気分がよくなくなって公園のベンチで座っていた。気持ち悪かったのと暑いのが合わさってだと思う。まぁたいしたことなくて、買ったヌガーを食べたりしてたら直ったが。エヴォラの昔のバスターミナルがその公園になったとばかり思っていたのだが、帰国後もう少し東のほうだったとわかった。

 

 すぐ近くのメルカドへ。ナザレなどで見たメルカドと同じく、明るくきれいなメルカドであった。魚売場も臭いもなく清潔感にあふれていた。

 
 上左  街外れにある水道橋を見に行く前に、街中の水道橋の終着点へ。アーチの中が店舗に利用されていた。

 上右  カルヴァリオ修道院。

 左  城壁外の水道橋。

 

 

 

 

 

 

    上  街歩きを終えて、ジラルド広場にあるカフェテリアで昼食。

  上  飲物はサングリア。 スペインではよく飲んだが、ポルトガルでもお目にかっかった。

  左  軽く野菜サラダの昼食。 野菜サラダは何種かあってシーフードのを選んだ。で、タコがはいっている。このときはパンがでてきこなかった。ポルトガル滞在中、パンを下げてもらったことは何度かあったが、このときはパンを期待していたのだがでてこなかった。それで、ちょっと足らないかなと思ったのだが、結局はサラダだけでお腹がいっぱいになった。

エルヴァス

 
 上左  エヴォラのバスターミナルからエルヴァスに向かう。エルヴァスはスペイン国境からわずか12kmの街。1時間30分ほどの乗車だ。バスはガラガラ状態。

 上右  エルヴァスが近づくと巨大なアモレイラの水道橋が現れた。かなり大規模で、イベリア半島で最長だという。

 左  エルヴァスの城壁が見えてきて、城内への入口を入れば、そこがバスターミナルのはずだったのだが、、

 
 左  バスは城内には入らず、やがて城壁から離れていく。あれれと思っていると、ガイドブックに書いてあるのとは違う場所のバスターミナルにバスが入っていった。バスターミナルが移転したようだ。

 下左  このあと城内に向かったのだが、最初はバスターミナルの位置が地図上でつかめず苦労した。ここでiphoneの登場。位置を判定し、城内に入るのに役立った。先ほどみた入口とは別の入口から城内に入った

 下右  人通りの全くない城内を歩く。なんだか死の街って感じだ。

 左左  街の中心はレプブリカ広場。しかし、広場のあたりも無人状態。ガイドブックによるとカフェなどが集まっているとのことだが、まったく人の姿がみられないのだ。

 左右  ノッサ・セニョーラ・ダ・アスンサオン教会。かつては大聖堂だった教会だ。イエスの顔が浮き出ているという大理石があるとのいことだが、残念ながら土日は開いていない。

 上左  アスンサオン教会の隣には、ノッサ・セニューラ・ダ・コンソラオン教会がある。こちらは開いていた。

 上右  この教会の特徴は八角形であること。祭壇のまわりの階段の形が八角形になっている。

 左 街の北端にある城に向かった。何々城とかいう名はついていなくて、単に城。その途中、街の北側を眺められる場所があった。函館の五稜郭のような形をしたグラサ要塞が見えた。どうして街の下の平地に要塞を築いたのだろうか。

 
 上左  城の入口までやってきた。12世紀にアラブ人が支配した当時につくられた城だ。毎日開いていて、時間も開いているはずの時間なのだが、なぜか門は閉じられていた。開いていれば、城壁の上に上がれるはずであったのだが。

 上右  次に街の西端にある城壁の突出した部分へ。城壁の突出したところは要塞のようになっていて、城壁の周囲に数箇所ある。そのひとつだ。

 左  そこからはアモレイラの水道橋を眺められる。

 水道橋を眺めたところのすぐ近くにかつてはバスターミナルがあったのだが、現在のターミナルはここから1kmほどある。だがバスの出発まであと15分。大急ぎで、小走りしてターミナルに向かった。

 バスターミナルに着いたのは出発時刻2分前だった。すぐに切符を買い、なんとか無事にバスに飛び乗ることができた。もともとは1時間後のバスに乗るつもりだったのだが、城に入れなかったりして、早いバスに乗れたのでわずか1時間少々のエルヴァス滞在だった。おかげで、次のエストモレスでたっぷり時間ができた。

エストレモス

 上左  エルヴァスから45分でエストレモスに到着。まだできて間もない感じの真新しいバスターミナルである。

 上右  バスターミナルを出て街に向かう。バスターミナルの建物。この画像を撮影している自分の背後には、かつて走っていた鉄道の駅舎を利用した古いバスターミナルがある。

 左  古いバスターミナル。5年前のガイドブックでは”バスターミナルはかつての鉄道の駅舎”って書いてあるから、移転はその後なのだろう。

 さらに旧駅舎の反対の側に行ってみた。こちらが駅の正面だ。

 この駅舎の特徴は壁面にカラフルなアズレージョがあること。アズレージョの保存のために、絵の前にはアクリル板があった。

 画像の右下あたりの、かつてバスが止まっていたと思われるところ。

 
 街に向かって歩いた。突然、視界が開けて、大きな広場に出た。ロシオ広場だ。この広場を境目にして、ここまでは何の変哲もない新しい街なのだが、ここからは数百年はたつであろう白塗りの民家が連なっている。

 ガイドブックには広場では陶器市が開かれているかもしれないと書いてあった。市は開かれていなかったのだが、市のときに建つであろうテントなどが置かれていた。

 左  さらに進んだところの広場。このあたりから道の傾斜が急になってくる。

 下左  白い壁の家が続く。庶民的な感じの街だ。

 下右  丘の頂上までやってきた。城への入口があった。

 
 城の敷地内に入った。巨大な城の建物はポサーダになっていて、宿泊客だけが入れる。

 旅程にゆとりがあれば、ポサーダに泊まって、塔の最上部から街を眺めたり、城の内部を見たりするのもよかったかもしれない。もっとも、旅程を組んでいたときにはこの街に足を伸ばすことは考えておらず、バスでこの街にやってきた前日にバスの時刻表を検討して、この街にくることを決めたのだった。

 左  城の敷地からの眺め。平原が広がっている。作物を栽培している畑の緑と、作物が植えられていない畑の茶色のコントラストが印象的だ。

 下左  そばにはイサベル王妃像が建っている。

 下右  サンタ・イサベル王妃礼拝堂は、城の敷地内にあるアートギャラリーに申し出て鍵を開けてもらうとのことだが、アートギャラリーがどこにあるのかもよくわからなかった。礼拝堂はこの門扉の中のようだが、説明もなくよくわからなかった。

 上左  白い家が続く中を坂道を下った。少し先に城門が見える。

 上右  城門を出てバスターミナルに向かうとき、日が低くなったためか、とても長い自分の影ができた。

 左  バスターミナルには早く着いたので、カフェテリアで冷たい飲物を注文。やがてやってきたバスでエヴォラに戻った。

ガスパッチョの注文で思わぬ失敗しでかす

 

 

 

 

    エストレモスからエヴォラに戻り、ホテルで荷物を置き、すぐに夕食に出かけた。この日、向かったのは「アデガ・ド・ネト」。

 上  玄関左にあったタイルを利用し、ぶどうの描かれた看板。ポルトガルの雰囲気が漂う看板だ。

 玄関右の黒板にはこの日のおすすめ料理が書いてあった。

 それを見て、おっつ、ガスパッチョだと興奮した。ガスパッチョはスペインのアンダルシアの旅でもいただいていて、猛暑のアンダルシアで、冷たいスープのようなガスパッチョはとても美味しかった。そのガスパッチョをまたいただこうと即決した。

 そして、このときはガスパッチョは食前のスープみたいなものと考えて、メインは2番目に書いてあるバカリャウとご飯にすることにした。

 席についてすぐに玄関先で見た料理を注文した。”アレンテージョ風ガスパッチョ、魚のフィリッターつき”と”パタニスカス・デ・バカリャウ(バカリャウの天ぷら)とフェイジョ(豆)入りご飯”を注文した。ただ、このときは”魚のフリッター”には目が行かなくて、単に”アレンテージョ風ガスパッチョ”の部分しか見ていなかった。”魚のフリッター”に気づいていれば、ちょっとヘンだと思ったかもしれなかったのだが。

 飲物はハウスワインの赤にした。ワインは500ml入っていたようで、飲みごたえがあった。

 料理がやってくるまでの間、パンとオリーブをいただきながらワインを楽しんだ。もし料理の中身がわかっていれば、パンはパスして下げてもらったかもしれない。この時点では、”アレンテージョ風ガスパッチョ”といってもスペインのガスパッチョと同じものだとばかり思っていたのだ。

 ガスパッチョがなかなか出てこないので、作りおきしてないのようなのでいいんだけれども、トマトやタマネギやキュウリなどをミキサーで絞るだけのようなスープなのになぜか時間がかかりすぎているなと思っていた。

 ようやく運ばれきたガスパッチョを見て、ありゃぁ〜、だった。ガスパッチョはスープじゃなかったのだ。ガスパッチョというとトマトやタマネギなどをミキサーで絞ったスープだが、それはスペインのアンダルシアの料理。

 アレンテージョ風ガスパッチョとは、トマト、タマネギ、ピーマン、キュウリ、パン、ハムなどをビネガーの入った氷水にサイの目切りにして浮かべたものだったのだ。具は、ハムをのぞいてはスペインのアンダルシアのものと同じだが、ミキサーにかけるんじゃなくって、サイの目きりにしているのが大きく違う。これがアレンテージョ風というかポルトガルのガスパッチョだったのだとようやくわかった。

 

 そして、ガスパッチョの量が結構多かったのだ。とはいえ、冷たくて食がすすんだ。アンダルシアのガスパッチョとはまた違うガスパッチョ、美味しかった。また食べたいと思う。

 このガスパッチョには魚の天ぷらもついていた。ただ、ちょっと失敗したのは、これだけ食べてもう満腹に近づいていたことであった。ガスパッチョだけではあまりお腹が膨らまないと思っていたのに、これだけで満腹寸前。もしガスパッチョのことを知っていれば、バカリャウは注文しなかったのだけど。

 ”パタニスカス・デ・バカリャウ(バカリャウの天ぷら)とフェイジョ(豆)入りご飯”はメイア・ドセがあって、黒板の料金は16ユーロだが、メイア・ドセで8ユーロで作ってもらえた。

 満腹に近い状態から食べ始めたが、ガスパッチョに比べたら量が少なめだったので、なんとか完食することができた。

 

 注文をちょっと失敗してしまったが、アレンテージョ風ガスパッチョというかポルトガルのガスパッチョ、こんなのだとよくわかっただけでもよかった。

 満腹のままホテルに戻り、2日間のエヴォラ滞在も翌日の朝食を残すだけになった。